迷探偵 番外編 Part.2

 最近、僕はあることに悩まされていた。 その悩みとは――

「ふあぁ……眠い……」
 人間休みがないと『休みを出せ』、と言うのにいざ休みをもらうと、何をしていいのかわからなくなる。僕もその一人で、突然出来た休みにやることもないので、久々に街をブラブラと散策していた。
 新しく出来た店や、昔通った公園など……懐かしいものもたくさんあって、天気のせいもあるだろうが僕はとても良い気分だった。そして、お約束どおり、僕は公園のベンチで眠くなってしまった。
 お日様もほどよく照っていて、なおかつそのベンチが木陰になっていたりしたら、もう寝るしかないだろう!
 と、いうことで僕は眠さに耐え切れず、腕をくんでこっくりこっくり、やりはじめていた。その時、僕は気づいてなかったのだがハンカチを落としてしまっていたらしい。

「あの……・コレ落としませんでしたか?」
 そんな声に起こされて僕は半目を開け……
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁっっっ、すみません、すみません。 すみませんーーーー!!!」
「え? えぇっ?」
 声をかけてきた人は20代前半の綺麗な女の人だった。肩ぐらいまでの髪の長さにぱっちりとした大きな瞳、化粧もほどほどの、可愛いと言えるような風貌。しかし、僕のこの過敏の反応は髪の長さや化粧に関する事ではなかった。

 それは――黒、黒、黒――。

 (あぁぁぁぁぁもういやぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!!!)
 そう……僕には情けないことに、ある意味トラウマ的なものが存在した。
 先日手がけた事件で知り合い……になりたくはなかったのだが知り合ってしまった人。名前を守山美沙といい、れっきとした守山警視の娘さん。誰がどう思っても、10人中10人が「嘘やろ?」というぐらい似てない。あれはDNAが何か間違ったのだろう。
 おとなしくしてれば普通の可愛い女の子で通るのに、その服装、態度、言葉使い、性格エトセトラ、エトセトラ……はぁ……。
 兎に角、僕の心にすごく悪い意味で印象付けられた人だった。
 そして、やっと事件が解決して離れられたというのに僕は「黒い服を着た女性」を見ると無意識のうちに拒否反応が出るようになってしまっていた。
 うぅ……我ながら情けなひ……。
「あ……の……・?ハンカチ……貴方のでしょう?」
「えっ?あっ、はい。 すみませんでした。 ありがとうございました。 ではこれで」
 今すぐにでも逃げ出したいのだがなんとかこらえてハンカチを受け取り、僕はまるで台本がある言葉を読むように言って、足早に歩き出した。
 後ろの女性はあっけに取られているようだったが、すぐに向こうに歩いていったみたいだった。
 (すみません、あんな生物と間違えてすみませんでした。)
 心の中でそう謝る。

「っはー……助かった……美沙君じゃなくて良かったよ」
 そう言って僕は道に座り込む、もう年なのだろうか?少し走っただけで息があがっている。……いや年なんかじゃない!これは精神的なダメージに違いない!!これもあの忌まわしき黒ずくめのせいなんだ!!
 僕がそう心の中で燃え上がっていると携帯の着信があった。
 ピロピロリン ピロピロリン
 ちなみに携帯の着信音は初期設定のまま。言うのははずかしいが、僕は機械音痴なんだ。下手に触って故障なんてされたらたまんないし、別に着信にそれほどこだわっているわけでもないから。
 ……そこそこ、言い訳がましいなんて言わない。
「はい、山下です」
「あー山下か?守山だが」
 電話は守山警視……美沙君のオチチウエからだった。
「守山警視!どうしたんですか……僕今日休みですからね?」
「わかってるよ。いやなんだ今日の夜にだなちょっと飲み会をやろうかと思うんだが来るか?」
「はっはぁ……警視は僕が酒ダメなこと知ってて誘う……と?」
「いや、違うんだ山下。私も君が酒に弱いことは知ってるんだ。
 でもな……署長が……というより館山君が呼ぼう、って言ったんだよ。ここで断ったら私もお前もどうなるかわかるだろ……な?」
 くっ……なんで僕が……酒がすっげぇ弱い僕が飲み会なんて……!!
 自慢じゃないけど酒は匂いをかくだけで酔ってしまうという変な体質なんだよなー。だから飲み会も『絶対来い』と言われない限り断るし、他の人もわかってくれている。だが……署長……館山君……、勘弁してよ……。
「……ぃ、・・おぃ。おぃっ山下!向こうの世界行くんじゃない!」
「へっ?」
「ったく……へ? じゃないだろうが。で、結局どうするんだ?といっても選択肢は一個しかないからな」
「そう……ですよねぇ……。場所はどこなんですか?」
「場所はいつもんとこだよ。わかるだろ? そこにえっと……7時半だったかな」
「あそこですか。わかりました。 では後ほど」
 ピッ
 通話時間56秒。もちろん電話代は向こうもちなので料金表示はないが。
 しかし、飲み会……。 本気で勘弁してくれ……………………。



 そんなこんなで、飲み会に出ることになってしまった。その事実に僕は情けない気持ちで街を歩いていた。今は5時半。約束の時間まであと2時間もある。
「さてと、7時半までどうしようかな。」
 声に出して言う。別に心の中で言うだけでもかまわないのだけれど、なんとなく口に出してみた。

 何も……することがないというのは幸せなんだろうか……?
 7時半まで時間をつぶそうと思ってブラブラしていたのだが本当に何もすることがない。時々、若者達がタムロするゲーセンを覗いたりしたけど生憎、僕はゲームに興味がない。純粋にお金のかからないゲームは好きだ。例えばじゃんけんとか。
 ……というのはちょっと情けないけれど僕はゲームにお金を使うほどお金に余裕もない。でもゲームなんかに走ると、本当に路頭に迷ってしまうかもしれない。一人暮らしだけれど猫もいるし、本も読みたいし。
 あああああああ!!!もう考えるのはヤメだ!
 本……そういえば僕の好きな作家の新刊が出ていたと聞いたな……。僕としたことが、ブラブラするより本屋に行った方が良い、ということを考えていなかった。

 本屋に来た。人がたくさんいた。
 最近は黒い服が流行っているのだろうか?僕は、今にも叫んで走り出して行けそうなほど怖くなった。
 (くっ、黒い人はたくさんいるけど……ままままままっさかぁあの人がいるわけないよな!!)
 自分で自分に言い訳をするの図。
 悲しいけれど本当に黒い服の人は多かった。……自分もスーツだから黒い服なのだけれど……。
 (うん、いない!いるはずがない!!)
 そう決め付けた僕は早速新刊の棚へ向かった。そこには僕の好きな作家、赤川先生の新刊が所狭しと並べられていた。
 (くっー、やっぱりあの人はすごいよなー。新刊が出ても、全然取り上げてもらえない人だっているのに!)
 何故か自分が嬉しくなってその内の1冊に手を伸ばした。
 …………・・。
 (面白い……。 面白すぎる!!)
 他の人から見て、かなり怪しい笑みを浮かべた僕を止める人は誰もいない。何故ならソレを読んでいた人のほとんどが同じ笑みを浮かべていたから。それほどまでに先生はすごいのだ!そして僕はまた『何故か自分が嬉しくなる』になっていた。
 もちろん全部を立ち読みしてそのあと買わない……という極悪なことはせず最初の10ページぐらいを読んで買う。僕が唯一、持っている数は少ないけれどほとんど読破した作家さんの本なのだから!
 意気揚々とレジへ向かう。そこの本屋は割りと大きい方でレジの数も多い。しかしそのレジの数にも負けない数の人が買いに来ているので列が出来ていた。
 僕はレジカウンター8に並び、順番が回ってくるのを待っていた。

 と、その時。僕の順番があと2番……というところまで行った、その時。
 レジでお金を出していた女性がハンカチを落とした。混雑の為か他の人は愚か、彼女も気づいていなかった。僕はすぐにでも取って渡そうと思ったのだが人が多いので上手く身動きが取れず、やっとハンカチを取った時には彼女はいなく、僕の一個前の人が支払いをしていた。
 白い服が似合う……可愛い人だった。
 ぱっと見ただけなので顔はよくわからなかったがこう全身から“可愛いオーラ”が出ているんじゃないかと
思ったぐらいだった。そして、白い服が似合っていた。
 僕はさっと支払いを済ませ彼女のあとを追った。ハンカチを渡さなければいけないからだ。



 人の合間を抜け、やっと外に出た僕はあることに気づいた。
 あんまり時間はたってないと思っていたのだが、結構な時間がたっていたらしく空はすでに暗くなり始めていた。そして只今の時刻6時50分。ちなみに此処からだと約束の居酒屋まで、20分ほどかかる。
 署長が来ているということもあるので10分前までには絶対に着いておいたほうがいいだろう。
 僕はちょっとあせりながらもハンカチの主を探した。なんせタイムリミットはあと10分。すぐに見つけられるかどうかわからなかったし。
 しかし、彼女は簡単に見つかった。そこらへんの若者に『ナンパ』されていた。

「ねぇ彼女〜、俺たちと遊ばない?」
 あまりにも在り来たりだ。三流だ。僕はちょっと笑ってしまいそうになったが口元を手で覆い小走りにそちらへ駆け寄った。そして彼女に声をかけようとし……
「はっはっはっはっは、君たちソレは私の顔を見て言っているのかい?そして君達は自分の顔を見て言っているのかい?」

 ピシッ

 (何かが……何かが……僕の耳に幻聴を聴こえさせているんだ!!!)
 そう思うしかなかった。否、それしか出来なかった。
 さきほどの三流……四流役者のナンパに返した言葉。それは僕が絶対に聞きたくなかった声だった。先日の事件で幸か不幸か ―― いや不幸だ ―― 知り合ってしまった“例”の彼女の声にしか聴こえなかった。
 僕は今すぐに踵を返して去ろうとした。もう絶対に関わりたくないっ!
 が、神様はそれを許してはくれなかった。
「おや……そこを行くのは山下君じゃないか!!」
「いえ、人違いです」
 って!!しししししまったぁぁぁーーー!ついつい返してしまった!!
 僕は走り出したかった。今、僕に走って良いといってくれるなら世界記録だって夢じゃないだろう。しかしその人物は僕の腕を取りこう言った。
「もう、待ったんだからー。行こっ、久しぶりに会えたんだし〜。ねぇ尚吾、やっぱり刑事って忙しいの?」



 すいません、すいません。お父さん、お母さん。
 僕は、貴方たちに折角頂いたこの体の一部を壊してしまったようです。
 僕の耳は幻聴が聴こえるようになったみたいなのです。
 僕の目は幻覚が見えるようになったみたいなのです。
 僕は知らず知らずの内に麻薬に手を伸ばしていたみたいです。

 そう……麻薬に……手を伸ばしていたのなら良かったんだ……。



 この腕を取っている人物。前に見たときのような黒ではなく、今日は白。しかも何故か可愛い。……外見だけは。そう、“外見だけは”のハズだった。けれど何だろう?さっきのは、一体何だったのだろう?
 背筋がゾワっとなった。頬を冷や汗が一粒、滑り落ちた。
「ねぇ尚吾?私あの人たちになんか言われたんだけど〜。 どうしよ?」
 はっきり言おう。可愛い。そこはかとなく可愛い。
 しかし外見に惑わされてはいけない。その目は明らかに語っていた。
 『おぃ、コラ。この私に声かけようなんざ120年はえぇんだよ!おとといきやがれ!』
 しかもその上に
 『へってめぇらなんかこの私の子分の山下君に逮捕されちまえ!』
 とでも言っているようだった。そして僕の腕には必要以上の力がかかっていた。つまり……こいつらをどっかにやれって事なのかな……。
「あー、人の彼女になんか用かな?」
「いっ、いぇ別に。 なっなぁお前ら! じゃぁ僕らはコレで!」
 焦りなのだろうか?『俺』から『僕』へと変わった一人称、そして若干のどもり。やはり「刑事」という言葉を口にしたせいなのだろうか、彼らはすごすごと(?)退散した。

「っふーーー。助かった。礼を言う。 ありがとう」
「あ、いや。ところで美沙君……だよな?」
「ふっ、君も年だな。つい三日前に会っていた人間を忘れるなんて。一度病院にでも言った方がいいんじゃないのかい? はっはっはっはっはっは!」
 良かった……あの嫌味な上にめちゃくちゃ憎たらしい美沙君だ。あのままか弱い儚げな女性のままいられたらとてつもなく困るから。
 ……困る……?なんで困るんだろう。むしろあの方が可愛かったし、煩くないし。
 少し悩んだけど兎に角腕が解放されたので僕は安堵のため息をついた。そしてハンカチを彼女に渡した。
「ホラ、これ美沙君が落としたろ?わざわざ追いかけてきてやったんだぞ!」
「……・」
 ん、反応なしか?と思って彼女を見た。
 僕はやっぱり幻覚が見えるようになったみたいだった。
 彼女の目から涙が零れていた。“泣く”なんてものではなく、ただ目から水が零れた……という風に。
 そして言った。
「正吾……」
「……え?」
「あっ、いやなんでもないから!
 ハンカチ、ありがとな。これは私にとってとても大切なものだから。……ありがとう」
 美沙君は涙をぬぐってこちらを向き、そして……極上の笑みを浮かべた。
 普通の男ならこれでイチコロだったのではないだろうか?あれほど、美沙君に恐怖心を感じていた僕でも、一瞬見惚れてしまうほど可愛かった。

 そこで僕はある事実を思い出した。時計を見た。只今の時刻7時10分。
 (やっべぇぇぇ!!!!!!)
「じゃっ!僕はちょっと用事があるのでこのへんで!」
 そう行って駅の方へと駆け出した。美沙君が何かを言ったようだったかそれすらもう聞こえない。
 駅まで普通に行って10分、走れば5分。兎に角、急いでいた。



 ガラガラガラッ

「おっ、遅くなりました!!!」

「ん、遅い」
「やっ、山下さん!遅くないですよ! 丁度ですって!」
「あ、いや。 まぁ、座れ」
「はっはっはっはっは、やはり君の用事とはコレの事だったんだな!」

 あれから走りに走ってやっと着いたのだが、結局一本電車を逃してしまったので約束の時間ギリギリに……いや少し遅れてしまっていた。行き着けの居酒屋 ―― と言っても僕は飲まない ―― なので女将が水を持ってきてくれた。それを『ありがとうございます』と言って受け取り、飲み干す。
 そしてよく、考えた。
 さきほどの僕の『遅くなりました』、の声に返した声の中に何かが混じっていなかったか?と。
 いや、混じっていただろう、と。
 ありえない事実が僕の中で生まれた。……ゆっくりと皆のいる方へ顔を向ける。

 いる。

 何か いる。

 署長は沙雪君と酒を片手に話している。
 警視は同じく酒を片手に何かを真剣に読んでいる。
 そして……そこには……未成年のくせにビールのジョッキを持った美沙君がいた。

「あの、警視。僕、ちょっと法律を違反している人物を見つけたんですけど」
「んー?誰だぁ? ンなヤツ逮捕しちまぇぇ!!」
 うっ……、酒くさい。一瞬で僕は頭がグラっときた。酔ってる……この親父めちゃくちゃ酔ってる……!!!ダメだ。こんなのに話しても通じない。ちょっと考えて署長の方へと向かう。
 が、行けなかった。行こうとした瞬間署長の鋭い睨みが来た。『こっちへ来たら……・だぞ』と言っている。
 くっそ……あのバカ署長め!!!
 仕方なしに僕はカウンター(?)に座り女将に注文する。もちろん酒はなしで。と、そこへビールのジョッキを持った美沙君が来た。
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!!!」
 ガンガンガンガンガンガン
 い、嫌がらせかこんちくしょう……。
 ひどく頭が痛い。もう酔ってきてしまったのだろうか?まだ横で高笑いを続ける美沙君にハリセンをかますことさえも出来ない。

 あ……ヤベ……もうダメだ……。






 チュピピピピ

「ミャー、ミャー」

「……ん? 夢……・・か……・」
「ミャー……」
「あー、よしよし、今エサ入れてやるからな。」

 僕はベッドから起き上がりミーのエサ入れにキャットフードを入れる。水もなくなりかけだったので台所まで行き容器を洗った上で、新しい水を入れる。
 そのあと、僕はしばらく考えた。

「夢……だよな……?」

 あのヤケにリアルな白い美沙君。飲みまくる皆。本屋で新刊を買ったのも夢だったんだろう。
 そう、夢だったんだ!!!
 僕はそう決め付けた。どう思っても夢としか思えなかったし。そう、思いたかったし。



 僕はそのあといつものように朝ごはんを食べ、服を着替え、身支度をして家を出た。
 でも鞄はいつもと違うものだった。
 だから気づかなかった。

 “いつもの鞄”に尊敬する作家の新刊が入っていたなんて……





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