「お、そろそろ始まるんじゃないのか。お前のメインが」
 署長が楽しそうに山下君の肩を叩いた。叩かれた山下君はと言うと、顔をしかめて腕を組んでいた。何だか見世物にされているみたいだ、と思ったからである。
 その間にも観客席とステージとの隔ては即席階段によってなくされ、イベントへの準備が進められている。
 だがそんな心配をする必要はなくなった。後ろから呼ばれたからだ。
「山下」
「……はい?」
 もうステージが終わったからか、イベントが始まるからか、どちらかわからないが客席及びステージはかなり煩かった。けれども、自分の名前を呼ぶ声というのはよく聞こえるもので。
 山下君は呼ばれたであろう方向を見て、驚いた。
 ――美沙君が居たから。
「山下、行くぞ」
 そう言って、顎で出口を指し示す。幸い(?)署長は美沙君に気付いていなかった。山下君は「署長、ちょっと急に用事を思い出しまして……」と嘘紛いの事を言い、その場を離れた。
 突然一人残される形になった署長は、寂しく呟いた。
「これからが面白いのに……何で行っちゃうかね……」



「美沙君」
 出口付近で壁にもたれて立っていた美沙君を見つけ、山下君は小走りに近づいた。
「どうしたんだい? これから……イベントとかに出るんじゃなかったのか?」
「……」
 質問に答えず、美沙君は少し俯いて山下君の手を取った。
「早く此処から離れたいんだ」
 ぐいぐい、と引っ張っていく。わけのわからない山下君は引っ張られるまま、足を動かした。そして、今やイベント会場になっているであろう場所からかなり離れた――所謂アトラクションが多くあるエリアへ来た。

「一体、どうし――」
 やっと立ち止まって、息が整ったのを見計らって言おうとした言葉。けれど、それは最後まで言われなかった。言おうとした時、美沙君が意外な行動に出たから。山下君は唖然とした。
「ちょっ、ちょっと何で頭下げたりしてるんだいっ?!?」
 そう、頭を下げたのだ。黒い髪がふぁさと上から下に垂れた。そして、その状態のまま美沙君は口を開いた。
「すまない、悪いことをした。私のせいでこんな茶番に付き合わせて……すまなかった」
 深々と頭を下げる美沙君に、山下君はわけがわからずに訊いた。
「茶番って……何の事なんだい? それに美沙君のせいって……」
 何言ってるのかよくわからないんだけど、と美沙君に何とか頭を上げて貰いながら言った。
「わかってなくても……良いんだ。すまなかった……」
 もう一度深く頭を下げると、美沙君は申し訳なさそうな顔を上げた。
「う、うん。まぁ、よくわからないけど、別に良いから。ほら、意味も無く謝ったりされると何か気味が悪いし」
 何とか場の雰囲気を明るくしようと、少し茶化した口調で言う。すると美沙君は自嘲気味に笑って、「そうだな」と返した。
 ……美沙君の言葉を後に、会話が続かない。
 非常に、気まずい。
 そう思った山下君は、無理にでも会話を作ることにした。別にこのまま別れたって良かったのだが……何か引っかかるものがあって、それを告げることが出来なかったのだ。
「そういえば。今日のステージは良かったな、美沙君も本物のモデルさんみたいに見えたぞ」
 何時もならば「はっはっは、当然だろう!この私がそう見えない筈がない!」とこんな風に返していただろう。でも、今日はなんだかやけにしおらしく、顔の前で手を振りながら答えた。
「よしてくれ、お世辞はいらないんだ」
「お世辞だなんて……そんな事なかった。だから、2位を貰えたんだろう?」
 思ったような答えが返ってこなくて、山下君は焦った。冷静な時にこの状態を見たら――そんな事はありえないのだが――さぞ吃驚することだろう。自分が美沙君を慰めるような形になっていたのだから。
「2位を貰ったのは奈央姉ちゃんの実力だ。私の力じゃない……それに、もう一生着ないから、関係ない」
「一生着ない? 何で……」
 よく似合っていたのに、と呟く。が、それが反感を買ったようだった。
「世辞はよせ! あんなのが似合うだなんて……反吐が出るっ!
 それに、私は黒服しか着ちゃいけなかったんだ……なのにあんなのに負けて……私は――」
 私はアイツを裏切ったんだ、美沙君はステージ上に居たときと同じ服を着たままの自分の体をぎゅっと抱きしめた。その姿を見て、山下君は自分のコートを脱ぐとそっと肩にかけた。
「何言ってるのか、僕にはよくわからないが……寒いだろうから、それ着て」
 普段の美沙君からは考えられない行動の連続のせいなので、山下君も少しばかり変になっているのだろうか。やたら格好良い行動に出ている。その上、優しく笑ってこう言った。
「僕は偶には黒以外も着たほうが良いと思う。何があったか知らないけど、今日みたいな服の方が……可愛い」
 最後の方はやっぱり照れがあったのか小さくなった。けど、美沙君にはちゃんと聞こえていたようだ。
「かっ、かっわいい……?!? まさか……君の口からそんな単語が聞けるとは思わなかったぞ!」
 激しくエグいな!と先ほどまでのしおらしさは何処へ消えたのか、指で指しながら笑い出した。一方指された山下君は、どんな答えが返ってくるかを楽しみにしていたのか、突然いつもの高慢ちきな美沙君に戻ったせいなのか知らないが一瞬出遅れた。けれども、すぐさま懐に手を突っ込んで例のブツを取り出し、構えた。
「……人が優しくしてやってたら調子に乗りやがって! 悪かったな、似合わなくて!」
「んなっ、まっ、待て!早まるなっ!!」
 美沙君の説得(?)も虚しく、山下君はさっと周囲を確認したあとブツを振り下ろした。


 ズバシコンッッッ


 夜の遊園地にこれほど似合わない音があっただろうか、という感じの音が辺りに響いた。ちなみに、山下君が周囲を見たときに確認済みだが、近くに人は一人も居ない。
「ったく、今日はこれを使わないで済むと思っていたのに……」
 懐にブツを仕舞いながら、山下君は愚痴った。確かに、あのまましおらしい美沙君でいけばハリセンの出番はなかった筈だ。まぁ、それはそれで怖いような気もするのだが。
「ほら、美沙君。死んだフリなんかしていないで戻ろう。警視もきっと心配しておられるよ」
 地面とかなり熱烈なキスをかましている美沙君に手を差し伸べる山下君。悪意なく(そりゃ、少しはあるけど)その台詞と行動をしている辺り、末恐ろしいものがある。
「う……貴様、病人に何しやがる……」
 よろけつつも立ち上がる美沙君。完全に何時もの感じに戻ったようで、悪態を付く口の悪さも天下一品だ。
「病人って誰が。どこに」
「はっ、君の目は節穴か!ここに居るだろうが、心の病を持った儚い美少女ぐあっっ!!」

 どこすっ

 再び、夜の遊園地にこれほど似合わない……(以下略)が響き渡る。
「わ、悪かった……頼むからその危険なモノ、しまってくれないか……」
 音が響き渡るのと同じように、また地面と仲良しこよしになっていた美沙君が息も絶え絶え、願った。
 山下君はハリセンを懐に仕舞うと、今度は美沙君をほって先に行こうとした。いい加減、相手をするのも疲れたのかもしれない。しかし、突然腕を引っ張られてこけそうになった。
「なっ、いきなり何するんだ! 危ないだろうっ!?」
 吃驚するやら怖いやらでドキドキする心臓を押さえながら振り返ると、美沙君はある場所を指差した。
「観覧車、乗らないか?」
 

 丸い形をしたゴンドラに足を踏み入れ、向かい合うように座った。既に空には無数の星が瞬き、夜景を楽しむ時間帯になっていた。
「何でいきなり観覧車なんて乗りたくなったんだい……?」
 向かいの席に座った美沙君に訊いた。美沙君は少し笑うと「スパイが来ていたからな」と言った。
「スパイ?」
「そう、スパイ。あんまり聞かれたくなかったから、此処に来たんだ。 それにやはり遊園地に来たのだから、1つは乗っておかないとな」
 外の景色を楽しみながら、そう答える。
「で、だったら何で僕の奢りなの」
 そうなのだ。観覧車に乗るためのチケットを買うときに「社会人だろ、奢ってv」と語尾にハートまで付けて山下君に奢らせたのだ。まぁ、そんな事を言わなくたって年長者たるもの云々で払うつもりだったらしいのだが。
「べっ、別にいいじゃないか!過去の事は水に流せ!」
 真正面からジト目で見られたのが嫌だったんだろう。空(くう)を切るように腕を動かすと、パントマイムで水を流した(?)。

 しばらく沈黙のまま、それぞれに夜景を楽しんだ。ネオンが作り出す人工的な世界はやけに綺麗に見えたりして。……皮肉なモンだ、と山下君は思った。
 そうこうしている内に、ゴンドラは最上部へと辿り着いた。
「見てみろよ、此処が一番上だぞ」
 はっはっは、人がゴミのようだ!なんて某キャラクターのマネをしはじめたりする美沙君。山下君はその様子を見ながら、ふと思い出したように口を開いた。
「ところで、何か話したい事があったんじゃないのかい?」
「……へ?」
「ほら、さっき“あんまり聞かれたくなかったから”とか何とか言ってたじゃないか」
 夜景を眺めながら、軽い気持ちで訊いた。けれども美沙君はそうではなかったらしく……顔を真っ赤にして、山下君の方へ向き直った。
「――そ、その……何だ……えっと……さ、さっきはどうもありがとう……」
 指と指とをくっ付け、離し、を繰り返しながら美沙君が言った。効果音で言うと……あれだ。“モジモジ”とかいうヤツがつくと思われる。
「……さっき? あぁ、チケットの事。いーえ、どう致しまして」
 何も改めて言わなくても良いのに、と思ったのも束の間、美沙君はその返答に、ますます顔を真っ赤にさせて反論してきた。

「違うっ! “ありがとう”というのは――その……か、可愛いって言ってくれたことに対してだ……っ」

「……何を言ってるんだい。 さっきアレだけ笑ったくせに」
 まさかもう忘れたわけじゃあるまい、と呆れた顔で訊いた。
「違うんだ!あれは……周りに人が居たから仕方なく……」
 顔を真っ赤にさせて、おまけに美沙君らしくない涙目で山下君を見上げる。その表情に一瞬見惚れたものの、言われた言葉の方がひっかかったらしく負けじと反論する。
「人が居た……って、居なかっただろう!僕はちゃんと確認したんだぞ?」
 今度は美沙君が驚く番だった。
「な、まさか……気付いていなかったのか?あれだけ母さんが殺気を発していたというのにっ?!」
「……何ですと?」
 そういえばさっき会場でも署長が似たような事言ってたような……、と考える。けれども自分には全然わからなかった。山下君はうーむ、と首を捻った。
 その間に美沙君は、また“モジモジ”と言い出していた。
「それで……あの、嬉しかったんだ、本当は。だからそれをどうしても伝えておきたくて――って、お前聞いているのか?!」
 余りの事にぼーぜんとする山下君を美沙君は勘違いしたようで。唐突に席を立つと、山下君に詰め寄った。
 しかしここは観覧車のゴンドラの中。突然立つと、危険です。――なので、重心が動いたせいかゴンドラも少し傾き……
「うわっ」
「あ、危ないだろっ!」
 当然重心の重いほうに傾いたゴンドラ。中の人間も同じように傾いて―― 倒れてきた美沙君を山下君が抱きとめる形になっていた。
「す、すまないっ。すぐにどけるからっ」
 もう「ますます」だとか「更に」だとかいう言葉じゃ物足りんくらいに真っ赤になった美沙君。咄嗟に元の位置に戻ろうとするが、山下君に止められた。
「危ないからじっとしてろ。ったく……こんな狭い空間でいきなり動くんじゃない」
 ふぅ、とため息をつきながらも、美沙君を抱く力は弱めない。美沙君も美沙君で、ゴンドラの傾きが怖かったのか山下君を掴む力を弱めない。――あー……つまり、本人達の意見を丸きり無視すると『狭い空間をいいことにイチャつくカップル』にしか見えないという事だ。まぁ、本人達も気付いていないかも知れないが少しはそんな事を考えていたのかも、しれない。

 ――そして、そんな二人を双眼鏡(もちろん暗視対応)でばっちり見る影が5つ。ただ見ているだけか、というとそうでもなかったりする。美沙君が持っていった鞄の中にちゃっかり盗聴器が入っていたりして。
 何だかとても初々しいカップル(一部妄想)の会話に皆、精神的ダメージを頂いた所であった。

 結局ゴンドラがかなり低い位置に来るまで抱き合っていた(一般論)美沙君と山下君。二人とも我に返ったらしく、その後はとてもぎこちない笑みでその場をやり過ごそうとしていた。
 だが、あと少しで終わりという時に美沙君が声をあげた。
「あ……」
 山下君はその声に首を傾げはしたが、特に何も言わなかった。というよりも、この状態で話をするのが照れくさかったのかもしれない。けれど美沙君はそんな事おかまいなしに、話しかけてきた。
「忘れていた。君に渡すものがあったんだった」
 そう言って、紙袋をごそごそと探った。――出てきたのは綺麗にラッピングされた薄い箱状の物。察しの良い人なら……今日が何の日か知っている人なら、その中身は安易に予想がつくだろう。
「あの、これ。今日は……バレンタインだろう?何故か母さんが用意していたようだから、一応渡しておく」
 箱を差し出して、山下君に受け取らせる。山下君は戸惑いながらも礼を言った。
「……ありがとう。まさか美沙君からチョコを貰えるとは思ってもみなかったよ」
 その言葉を言うが早いか、ゴンドラの扉が開き、係員のお兄さんが「お疲れ様でした〜」と言って二人を外へと案内した。どうやら乗っていた客は二人だけだったらしい。出入り口の所まで送り出すと、制服の帽子を取ってもう一度「お疲れ様でした」と言って元の位置へ戻っていった。



 それからしばらくの間、他愛のない話をしながら園内を歩き回っていた。すれ違う人全員に、……なんとも仲睦まじいカップルである、などと思われているのにも気付かずに。



 * * *



「なぁ、滋さん」
 双眼鏡を覗き込みながら、猛が言った。
「ん?」
 話しかけられた守山父もまた、双眼鏡を覗き込みながら答える。
「俺さー、思ったんだけど」
 そこでやっと双眼鏡を目元から離し、裸眼で二人を見る。
「――あの山下って人、ちょっとロリコン(そーゆー)趣味の気があるんじゃない?」
 すると守山父も双眼鏡を離して答えた。
「あぁ、私もそれを思っていた所だ」

「「……ふぅ」」

 再び双眼鏡を覗き込みながら、猛は言う。
「何かこう、雛の巣立ちを見てる気分がするね」
 守山父も同じように答える。
「私は気分じゃなくて、まさしくその通りだよ……」



 * * *



 そんなこんなで、ハッピィ バレンタインデー!!
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あとがき。

……全然バレンタインじゃないとか、ラブラブじゃないとか、アンタ誰やねん、とかその他諸々。
しかもホントは1話完結にしようと思ったのに3話になってしまった罠。
と、とりあえず、はっぴーばれんたいん!!(何ゆえ平仮名かね

2004.2.14 / 執筆