思えば、あの時から既に悪夢は始まっていたのかもしれない。
 けどいつかはこうなったらいいな……って願ってた。

 だって、あの時瞳から流れたのは、嬉涙だったから。






〜 第2話 告白 〜





「ごめん、君とは付き合えない」
 告白の場所としてはかなりメジャーな体育館裏で、今日も一人の女の子が失恋をした。
「あ……う、うん・・ごめんね。呼び出したりして」
「いや、こっちこそ期待に添えなくてごめん」
「――それじゃ……、バイバイ」
 彼女はずっと下を向いていた。泣いていたのだろうか?けれどバイバイと言って、顔を上げたときにはもう瞳に雫はなかった。彼女はその後、すぐに走り去って行った。後姿がやけに淋しく見えたのは錯覚ではないだろう。
 そして彼の方はと言うとふぅ、とため息を付き近くの壁に寄りかかった。
「……はぁ……こういうのって疲れるよなぁ……」
 彼……竹内正吾は壁に寄りかかりながら呟いた。その口調から察するところ、どうもこういう事態に慣れているようである。正吾はしばらく壁に寄りかかり、何かを考えていた。だが、しばらくすると 突然驚いたような表情になり駆け出していった。
 その原因は十中八九、後ろから聞こえてきた会話なのだろう。

 “ねぇねぇ、知ってる?浅倉君が守山さんを呼び出したんだって!”
 “え、ホント?浅倉……ってあの転校生でしょ。すごいカッコイイ”
 “守山さん、いいなぁ〜。やっぱりOKするんだろうなぁ〜”





* * *





「……疲れた……」
 屋上で真っ青な空を見上げながら呟いたのは、守山美沙。影が落ちるほどの長い睫に流れるような漆黒の髪、端正な顔立ち。誰が見ても“綺麗”もしくは“可愛い”の判断を下すこの人物。けれど、この学校に美沙の本性を知るものは一人しかいない。
 小学生の頃に余りにも大立ち回りをしすぎたので近所の評判が悪くなり、中学受験という形で遠くの学校へ通っていたからだ。その際に幼馴染の竹内正吾も一緒に受け、そして二人して受かったワケだ。まぁ、正吾は半分お目付け役のようなモノだったのだが。
「疲れた、疲れる……くそっ」
 まるで花占いのように『疲れた』と『疲れる』を言う美沙。いつもはおとなしい、可憐なイメージを作っているものだから体にも精神的にも大変なのかもしれない。
 その上、今日は転校生とやらに呼び出されて滅多に来ない、屋上に来なければならなかったのだ。屋上……此処もまた、告白の場所としてはメジャーな場所である。
「浅倉……誰だよ。知らんぞ、こんなヤツ」





 今日の朝、上履きに履き替えようとしたら一通の手紙が上に置いてあったのだ。白い封筒に男の子らしいちょっと乱雑な文字で『守山美沙さんへ』と書かれていた。裏の開封部分にはどこぞの夢見る乙女なんかい、というようなハートマークのシールが貼ってあった。
 貼ってあったのだが……美沙は即座に「は、果たし状か!!」と勘違いしたのだった。
 美沙と正吾は同じクラスなので、教室にも一緒に行っていた。だから、普段ならその得たいのしれない手紙を面白半分に見せていたのかもしれないが、いかんせん、美沙の解釈が悪かった。
 「果たし状が来たぞ」等と言ったら止められるに決まっている。なのでこっそりと鞄の中に入れるといつもの笑顔で廊下を歩き出した。

「果たし状じゃない……?」
 異変に気がついたのは、授業がはじまってから。時間に遅れてはこてんぱんにやっつけられる可能性が少なくなる、ということで美沙はしっかりと確認することにした。誂えたように一番後ろの席だったので誰にも気づかれてはいない。
 そして、鞄の中からそっと取り出して……まず、ハートマークが眼に入った。
「は、果たし状にハートマークとは……なかなかやるな」
 何ゆえ、これがまだ『果たし状』だと思えるのかは既にわからないが、兎に角美沙は封を開けた。中には、白い封筒と同じようなシンプルの白い便箋。そして ――
 “ 今日の放課後、屋上にて待っています。 浅倉健一 ”
 余りにもシンプルな文章。美沙は名前を見たが、全校生徒を把握してあるはずの頭の中に、この名前はなかった。けれど、何処かで訊いたことがあるような名前だった。
「ふむ……、とりあえずは放課後、ということだな」
 パタパタ、と丁寧に折りたたむと今度は鞄ではなく、制服の内ポケットへと入れた。そこらへんに置いていたり、落としたりしたら正吾に怒られるのは眼に見えてるから。

「んー……それじゃ、この問題は……守山、やってくれ」
「あ、はいっ」
 丁度仕舞い終わったとき、先生に指名された。これから何年後かに出会う某人物が見たらその場で泣き崩れること間違いない、そんな雰囲気を身にまとい、長い黒髪を靡かせながら黒板へと歩いていった。脇を通り抜けられた生徒たちは、羨望の目で見ていた。





「ぬあぁーー……遅いぞ、浅倉とかいうヤツ……」
 誰も居ないことを確認してから、ちょっぴり大きな声で悪態をついた。遅い……と言ってもまだ此処に来て、1分も経っていないのだが。まぁ、呼び出したほうが先に来るのは当たり前の事なので、美沙が怒るのも無理はない。
 と、その時だった。屋上へ通じる階段から靴音が聞こえたのだ。

「ふっ、やっと来やがったか……」
 パキ、パキ……と指を鳴らしつつ、相手を出迎える美沙。だが、扉から入ってきた人物を見て、一瞬手を止め、とりあえず「女の子モード」に入ることにした。何故なら、入ってきた人物は世間一般から見ると『美男子』の域に入る、到底『果たし状』なんて送るようなヤツではなかったからだ。
「ごめん、ちょっと遅れてしまって……」
「いぇ……」
 おせぇぞ、このヤロウ!と怒鳴り散らしたいところだが、「可憐」なイメージを作っている場所なので、頑張って抑えて小さく返した。相手はそれをどう取ったのか知らないが、頭に手をやり、「乙女もぉど」全開で ――と言ってもヤツは男だが――顔を紅くした。
「来てくれたんだね」
 見ているだけで砂糖をたくさん吐きそうなほどクソ甘い雰囲気だった。無論、美沙としては今すぐにでも屋上から相手を投げ飛ばしたかったのだろうが。
「あ、あの……それで何か?」
 このまま砂糖を吐き続けるワケにもいかないので、極力平静を装って ―― そして、「女の子モード」で ―― 訊いた。浅倉、という男子生徒はその言葉に一瞬顔を強張らせた。
「え……っと……あの、いきなりで吃驚するかもしれないんだけど……」
「はい? 何ですか?」
「お、俺……君の事が――」


 どごすっっっ


「ぐはっ……」
「…………………………うええぇえぇっ???!」

 突然、本が飛んできた。
 それも――シャーロック=ホームズ全集 第1巻「緋色の研究」。
 自他共に認めるシャーッロッキアンの美沙にはその行為が許せなかったらしく――ちなみに浅倉という男子生徒は、地面と熱烈なキスをかましていた――、すぐに本が飛んできた方向を見た。そして、怒りを爆発させた。
「正吾っ!!! お前、何しやがるんだっ!!」
 そう、本を投げたのは正吾だったのだ。ぜぇぜぇ、と肩で息をしているところを見ると、屋上までの階段を駆け上がってきたらしい。その正吾に、美沙はつかつかと歩み寄ると腕を振り上げて叩こうとした――が、
「んにゃぁっっ?!」
 いきなり伸びてきた腕に捕まり、そのまま腕の中に閉じ込められた。
「な、な、なななななな!!!」
 余りの驚きなのか、最早“な”しか言えていない。正吾は自分の腕の中にその存在が居ることを確かめるように、腕に力を加えた。美沙は抵抗するが、男女の差なのか、はたまた“照れ”で力が余り出ていないせいなのか……全然、ビクともしない。
「……大丈夫だったか?」
「だだだだ、大丈夫って何がだっ?! ていうか離せっ!!」
 耳元で、息がかかるくらい近くで、正吾が訊いた。黒い長い髪が少し揺れる。

 ――と、どうやら浅倉とかいうのが地面とお別れしたようである。ヨロヨロと立ち上がり、キョキョロと周りを見た。そして、正吾と美沙を視界の中に捕らえた。正吾は浅倉が立ち上がったのを確認すると、美沙を隠すかのように、一層腕に力を入れた。
「――竹内っ?! 何でお前が此処に……?!」
 立ち上がった浅倉は自分の告白相手を捕まえている人物を見て声を上げた。顔を真っ青にしている ――顔面蒼白とはこういうことを言うのだろうか……?
 その彼に向かって、正吾は見せ付けるようにして美沙を抱いた腕に力を入れる。『ぎゅぅっ』、そんな効果音が出てきそうな感じだ。ついでに周りに“はぁとまぁく”を撒き散らすと良いかもしれない。
「よぉ、久しぶりだな。 ん? 4年ぶりくらいじゃねぇか」
 「離せぇっ」
「そうだな……。 俺は会いたくなかったが」
 「んにゃぁぁっ! えぇい、離せってば!」
「はははっ、それは同意見だぜ。 何しに来やがった」
 「は・な・せっっ」
「――分かって訊いてるだろ?」
 「ふっふっふ……お前らいい加減にしろぉっ!」
「あぁ、そうだとも。 ――美沙、黙ってろ」
 「なっ、何で黙ってなきゃいけないんだ! つか離せってばっ!!」

 ごりっ

「んがっ!」
 幾ら言っても離さない正吾に、美沙は実力行使で挑んだようだ。顎にアッパーが炸裂する。
 それで、やっと腕を緩めたところですかさず逃げ出す。ぱんぱんっ、とついてもいない服の埃を払うと、今更遅いのだが「女の子モード」で浅倉に向き直った。
「あ……の、竹内君とお知り合いなんですか?」
 一瞬、アッパーの前後の出来事に気をとられていた浅倉だったが、その問いかけにはっと我に返った。そして、自嘲気味に笑った。
「は、ははは……えぇ、お知り合いですとも。 ていうか、お前とも」
 その、少し“嫌な感じ”の笑いに、先ほどまでの“美男子(優しそう)”なイメージはガタガタと崩れ落ちた。そして――美沙は思い出した。

「で……、ぶちん1号か……????」
「………………いや、誰、ソレ」
 でぶちん1号……まぁ、皆さんはお分かりだろうが、あの「でぶちゃん」の事だ。横が標準の4倍はあろうほどの巨体、ぶでんぶでん、と耳元で囁きたくなるくらいのでぶちゃんだ。
 しかし――この浅倉とやらがでぶちん1号だとしたら、世間のお嬢様、奥様方に問い詰められることだろう。“ダイエットの秘訣は?!”と。
「ホラ、あいつだろ? 何かいきなり喧嘩売ってきた、ぶっといの」
 すかさず、突っ込んできた正吾に説明(?)する。
「あ…………・・、あぁ、そうそう」
「あー、はいはい。あの頃は太ってましたよ、すいませんねぇ」
 余り嬉しくない話題で盛り上がられては困るのか、浅倉はすぐに認めてその話題を打ち切った。正吾は相変わらず美沙の隣に立ち、浅倉を睨みつけている。美沙は……何かを考えているようだ。





「で? なぁんで、浅倉君が此処にいるのかなぁ?」
「ふん、居ちゃ悪いかよ。 俺としてはそっくりそのままお前に返したいね」
「うむ、確かにそれは言えてる。 正吾、お前何で此処に居る?」

 …………。

「「――それさ、ちょっと酷くない?」」
 さらっと、ズバッと言われた台詞に正吾だけでなく、浅倉までが同意した。
「なっ、何でだ?! 至極最もな疑問だぞ?!」
 二人に一緒の言葉で否定され――しかもハモっていた――美沙はうろたえた。でもその疑問は確かに「至極最も」なものだった。自分に来た手紙は誰にも見つからないように、内ポケットの中に入れたままだ。
 正吾には愚か、他の誰にも見せていない。――なのに、何で、この出来事を知っているかのような行動をとったのか ――疑問に思うのもしょうがない事だ。
「た、確かにそうだけどさ……。 ってそうじゃねぇだろっ!!
 浅倉ぁぁっ、お前今頃、何しに来やがったんだ!!」
 ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……
 正吾が叫んだ。そして、さり気なく美沙の肩に手を回す。
「コレは俺のだ! お前にはやらんっ!!」





 ――――――ぼふっ





「ぬああぁぁっ!! 何言い出すんだ、バカヤローッ!!」
 突然放たれた言葉を理解するのに、多少時間がかかったが、それを理解した時……何かが爆発したような、噴火したような音がした。顔が、トマトさんや林檎さんとタメ張れるくらいに紅くなっている。
「何……って……、聞いてなかったのか? 俺のモ――」
「そっ、それ以上言ったら猛兄ちゃんに殺して、って頼むぞっ!!!」
「言えばいーじゃん。 美沙は、俺のモ・ノ ――と、まぁ、冗談はさておき」
「じょ、冗談だったのか?!」
 喚く美沙とそれをからかう正吾、浅倉は既についていけてないようだ。
 実際、此処に美沙を呼び出したのは世間一般で言われる「告白」と言うのをするつもりだったらしい。何でも後に聞いた話だと、小さいころに声をかけた時もそんな感じの用件だった、ということだ。

 ――正直、自分の転校先に初恋の相手がいるとは思わなかった。
 ――だから、運命だと思って呼び出した。
 ――けど、“また”同じ相手に……まぁ、前のは別の意味で既に潰れてたけど……。

「はぁ……帰るか……」
 とぼとぼ、と一人で帰る姿に少し哀愁を覚えなくも……なかった。





「ん? 居ないぞっ?」
 二人が浅倉の逃亡に気がついたのは、それから10分後の事だった。
「あー……ホントだー。 ま、どうでもいいじゃん」
「よくないって。 だって何か言おうとしてたんだぞ?」
「いいんだよ、どーでも」
「……そうは言ってもなぁ……」
 浅倉が消えたのを気にする美沙。
 当然と言えば当然なのだが、正吾はそれが気に入らなかったようだ。
「いいんだってっ! あいつは――」
「? あいつは?」
「……俺が、代わりに言ってやるよ。 いいか、よーく聞けよ?」
「う、うむ」

「俺は、お前のことが好きだ」

「――なるほど……」
「なるほど……ってそれだけかよ?」
「ふっふっふっ……。 はっはっは……。 ――……って、うえぇえぇぇっ?!?!」
「うわ、遅っ」
 とんでもない反応の遅さに、思わず頭を抱えた。
 自分の幼馴染が此処まで鈍感だったとは思っていなかったようだ。……まぁ、それは自分のせいもあるかもしれない、と思い、正吾はますます頭を抱えた。
「すっ、好き?! ……スキヤキじゃなくてか?!」
「何でスキヤキ……」
「だって!今までそんなのされた事、なかったぞ?!……果たし状は何回か来ていたが」
「――あの「果たし状」、全部ラブレターだったんだぞ?」
「…………え?」
「だーかーらっ、俺が全部差し止めておいたんだ、って!!」
 どこまでも鈍い幼馴染。……あぁ、そうなんだよ。鈍すぎなんだよお前……、正吾はそんな美沙を見て、決心を固めた。
「な、何の為に……?」
「あぁぁっ、もうっ、お前鈍すぎるっ!」

「俺は――お前のことが好きなんだよっ!!!」

「……う、うむ。 それはさっき聞いたぞ?」
「〜〜〜こンの鈍感ヤロウっ!!」
 腕を引いて、自分の胸に押し付けるように抱きしめた。長い黒髪に、埋める様に顔を近づけた。
 ――拙い言葉で、精一杯打ち明けた。





「俺は……お前の事が好きだから、あんなヤツらに持っていかれたくないんだよっ。けどお前、鈍いからホイホイついてくし……、挙句の果てに「果たし状」とか何とか言って……。 ――― って美沙? 聞いてる?」
 腕の中に居るのはわかっているが、さっきまでアレほど爆発したり、トマトさんになっていたとは思えないくらい、静かだった。けれど、突然服を捕まれるのを感じた正吾は一旦腕を解き、顔を覗き込んだ。
「美沙……?」
 顔を覗き込んだ瞬間、正吾は悲しげな表情をした。美沙が……泣いていたのだ。それも、声もあげず、ただただ雫を垂らすだけで……。
「ご、ごめんっ……俺――」
 正吾は自分のせいで……、自分がいきなりこんな事を言ったせいで泣いているのだと思い、小さく謝ったあと、すぐに駆け出そうとした。一世一代の告白の後にいきなり泣かれてしまっては……悲しすぎたから。
 しかし、走り出そうとした時、服をひっぱられた。
「……違うんだっ、これはっ、その……っ」
「……」
「わっ、私も……っ。 私も好きなんだ、正吾の事がっ……好き――」





* * *





 夕暮れに浮かぶは二つの影。一方は右を、一方は左を、それぞれ出して繋いでいた。昨日までは、その連結部分はなく、別個の影だったのだが、今日は違う。

「な、正吾」
「ん? 何だ?」
「も、もうすぐ家に着くぞ?」
「あぁ、着くなぁ」
「だっ、だからさ、な?もう離して・・」
「イヤ。 どうせ碧さんは知ってるんだからいいの」
「……何で知ってる?」
「さっき、メールした」
「……」



 夕暮れに浮かぶは二つの影。

 いや――1つの影、と言ってもいいかもしれない。
 手と、手で繋がれた影は「1つ」になっていたのだから。
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