第3話 「昔の話と譲れない気持ち」

 私は声に起こされた。
「……てください。起きてください、もう朝なんですよ」
 カーテンを開けながら言う人物は紅だった。
「あ、うん。おはよう、紅」
 すると紅はキョトンとした顔をし、そして笑った。
「またお得意の冗談ですか? あ、それともそれが私の新しい名前ですか?」
 ……? 何を言っているのだろうか?
「全く貴女という人は。 いつもながら寝起きが悪いですね。 ホラ、早く目を覚まして!」
 カーテンを開けた事により日の光が部屋の中へ差し込む。私はベッドから起きて、脇に置いてあるスリッパを履いた。すると、ベッドの下に寝ていた猫が出てきて足に擦り寄ってきた。私は屈んで首を撫ぜてやる。猫は気持ち良さそうに目を閉じた。
「今日の朝食はピスが作ったんですよ。……あの人はそんなに料理上手じゃないんですけどね……」
 紅が苦笑しながら、私をドアへと促した。
「おはよう」
 ドアが開き、向こう側に誰かが立っていた。逆光の為、顔はわからないが男の人だった。
「おはようございます」
 紅がお辞儀をする。それを見て私もしなくてはいけないと思い、同じように挨拶をしてお辞儀をした。
「……おぃおぃ、また何かの冗談なのか?」
「まだ寝ぼけていたんですか? 朝食の前に顔を洗ってきてくださいよ」
 紅は私を見ると驚いた顔をし、すぐに笑ってどこかへ行った。私は紅の後姿を見送ったあと、男を見た。
 男は頭に手をやり、どうやら困った顔をしているようだった。
 彼は私の方へ近づくと言った。
「いい加減目覚ませよ?フレア」



 * * *



「……てください。 起きてください、朝ですよ」
 さっきと同じ声で起こされる。だが、その声は幾分近くに感じられる。
 私は目を開けた。
「……………………夢…………??」
 目を開けるとそこには天井が移った。“目を開ける”という事は寝ていたという事だ。顔を横に向けると、そこにはベッドがあり、ロナが寝ていた。
「あぁ……・夢だったんだな……」
「どうかしたのですか?」
「……いや……ちょっと夢を見ただけだよ」

 シャッ

 カーテンが開けられ日が差し込む。
 窓から見える景色は一面の赤。この窓からは、バラ園が一望出来るのだ。
 私は起き上がりながら尋ねた。
「ココロは? ちゃんと起きた?」
「ココロ君はもう起きて、朝食の用意を手伝ってくれていますよ」
 紅がにっこりと微笑む。
「ロナは……・まだ起きないか?」
「いえ、夜中に一度起きましたよ」
「えっ?!ホント?!」
 私は今度こそ飛び起き、ロナのベッドへ駆け寄った。
「目を開けた状態のままでしたが……貴女に謝りたいとおっしゃってましたよ」
 目を細め、ロナを見る紅。
「そんな……謝るのはこっちのほうだよ……」
 ふいに泣きだしそうになり咄嗟に後ろを向いた。ロナが倒れた原因は、私、だったから。
 そしたら、突然後ろから抱きしめられた。
「く……れな……い……?」
「無理しなくてもいいんですよ。 泣きたいのなら泣いてしまえばいい」
 優しく言ってくれる。顔は見えないが……微笑んでいるのだろうか?
「――うん」
 それが何だかとても懐かしく感じられて私は少しだけ泣いた。



「フレア、おはよーー」
 ドアからひょこっと顔を出したのはココロ。手におたまを持っていたりするので、その姿は一層愛らしい。
「ココロおはよう。 昨日はちゃんと眠れたか?」
「うんっ、もうぐっすり♪」
「そっか、よかった」
 満面の笑みで言うココロにこちらも笑顔で返す。
「ところで紅、今日の朝ごはんもう出来るけど?」
「あぁ、ありがとうございます。今行きます」
 紅はキッチンへ向かっていった。今までロナの寝ているベッドを直していたみたいだ。
「さてと」
 ウーン、と伸びをして窓の方へ行く。一面に広がるバラ。その色は言葉では表現出来ない美しさがある。
 私はふと夢の事を思い出した。
 ――そういえばあの男の人誰だったんだろう?私に手を伸ばした人は私を知っているようだった。それに名前も呼ばれたような……。あ、もしかして前世の記憶だったりとか?なワケないか。
 なんて考えていると突然ベッドから声が聞こえた。

「……………………ごめん」

 私はバッ、と振り向きベッドを見る。
 そこには、寝た体勢のままだけれど目を開いているロナが居た。

「ロナっ!!!」

 ベッドに駆け寄る。ロナは起き上がろうとしている所だった。
「だっ、大丈夫なのか?起き上がってもいいのか?」
 オロオロと手を差し出すが何をすればいいのかわからない。ロナはくすっ、と笑うと言った。
「あぁ……フレアはあの子のようだよ……」
 どこか遠くを見ているようで、私は一瞬、ロナが違う人のようにに見えた。少し危なげな雰囲気さえする……。
「あの子?」
 ――私には思い当たることがあったのだが、考えるフリをして訊いた。
「あの宝石を取ってくれる?」
 ロナが指差した先には昨日見せてもらった……紅い宝石があった。私はそれを手に取ると、ロナに渡した。
「僕はね、昔体が弱かったんだ」
 ロナは宝石を手で弄びながら話し始めた。
「僕は小さい頃に病気になってね、ずっと一人で生きていたんだ」
「一人?」
 私が尋ねると、ロナは首を左右に振った。
「いや、もちろん両親も居たし祖母も一緒に暮らしていたよ。でも――実際には一人で生きてきたようなものだったんだ」
 ロナはまた遠くを見るような目をした。


 × ロ ナ の 話 ×


 実際にはね、家族が居たんだ。
 僕は所謂『良家』に生まれた子供だった。当然のように召使が居て、執事が居て、大きな屋敷と綺麗な庭のあるところに住んでいた。誰もが羨むような暮らし。お金の心配など微塵もいらない生活は一般の人から見たら憧れだった。僕はそんな家に生まれたせいか小さい頃からいじめられてばかりいたんだ。
 父さんも母さんも優しい人なんだ。それは分かってる。でも、僕がいじめられているのを知ると『ウィルナー家の恥だ』って言ってね。
 僕はショックを受けたよ。自分自身のせいで責められるのなら良い、それでいじめられるのなら良い。けれど僕をいじめる原因は“家”だったんだ。
 僕は腹が立った。そして、何も信じられないと思った。友達も出来ず、ただ一つの救いだった家族にも裏切られた気分だった。
 そんな矢先、病気になった。

 夜に目が覚めてさ。なんとなく喉が渇いたから、水を飲みに行こうと思ったんだ。そしてベッドから起き上がった。すると上手く立てない、歩けない。なんとか立ち上がると、突然頭が割れるような痛みがして、僕は気を失った。

 次に起きた時は、周りに人が居て僕はベッドに寝かされていた。体中からチューブが出ていて、絶えず点滴を受けている状態だった。周りに居た看護婦さんは僕が気が付いたのを知ると泣いて喜んでくれた。

 けれど……そこには家族が居なかった。

 信じられる?息子が倒れて病院に運ばれたって言うのに両親は来なかったんだ。お祖母さんは僕が倒れる少し前に亡くなっていた。寿命なのかなんなのか知らないけれど……兎に角もう居なかったんだ。
 後から聞いた話だと、両親はその頃旅行に行っていたらしいんだ。
 でもね、僕が倒れた日には居たんだ。
 けれどあの人達は来なかった……来てくれなかったんだ。

 その日から僕には本当に信じられる人間なんて居ないと思った。
 僕の体は後遺症で悩まされ歩くこともままならない状態の時もあった。けど、なんとかリハビリをして歩けるようにはなった。学校はやめた。勉強は家でも出来たし、友達が出来る望みも完璧に無くなったから。
 “家”の事がある上、に“病気”まで加わった僕に優しくしてくれるのは誰も居ないことがわかっていたから。
 そして――お祖母さんの大事にしていた花に、心を奪われていった。
 お祖母さんはね、両親と違い僕の事を理解してくれた。
 僕もお祖母さんも花が好きでさ、二人でよく種植えをやったりもした。だから、僕がお祖母さんが今まで育ててきた花壇の花たちの世話を引き継ぐのは当然の事だった。
 そして、その中に紅いバラがあった。
 紅いバラに惹かれて、僕はますます花が好きになった。その頃は花以外に心の拠り所がなかったしね。

 そして、彼女に会った。


 彼女はさ……・突然現れたんだ。
 僕はいつものように花壇に出ているとふと視界が暗くなってね。
 見上げると、紅い髪色をした少女が立っていた。
 僕は目を奪われた。
 その手に持っているバラの紅と一緒の色だったからだ。
 彼女は言った。普通の言葉だったのに、何故か特別なように聞こえた。

「こんにちは」

 彼女はそう言った。僕も咄嗟に「こんにちは」と返した。
 ただそれだけの事だったのに……僕は彼女を好きになった。いや、その頃は『好き』かどうかなんてわからなかった。分かっていたことは彼女が他のヤツらとは違うという事。僕に『興味』という感情が沸いた事だった。
「これ……あげる……」
 彼女は持っているバラの花束を差し出すと照れたように俯いた。僕は最初はワケがわからなかったけど、彼女から花束を受け取った。
 途端、彼女は顔をあげ、にっこりと笑った。

 それから毎日、彼女は花壇の所へ来てくれるようになった。僕は病気のせいで外出もほとんど出来なかったしね。
 それに花壇は家の敷地内だけど、誰でも入ってこれるような場所にあった。……もちろん入ってこようとするヤツはいなかったけどね。
 でも、彼女は普通に来ていた。僕は、その事を少しも気に留めなかった。

 日に日に、僕の体は良くなりはじめた。

 注意していないと気が付かないような些細な事が普通に出来るようになったんだ。
 一番初めに良くなったのは足だった。今まで、手すりがないとロクに歩けなかったのに手すりなしどころか、階段の上り下りも楽に出来るようになった。可笑しいのはそれを彼女に言われるまで気が付かなかったって事だ。
 ある日、彼女が驚いた表情で僕に訊いたんだ。

「ロナ、いつのまにそんなに歩けるようになったの?」

 ってね。
 僕も驚いて自分の足を見た。何も無しに……病気になる前のように立っていられた。
 それが、普通の人から見たら当たり前だけど……それは僕にとってすごく嬉しい事だった。思わず彼女の方へ走りよろうとして……まだ走れはしなかったんだな、思いきり転んだ。二人して花壇の上に倒れこんでしまった。
 けれどそんな事問題じゃない。 僕らは笑いあった。 泣きあった。

 僕の体が良くなりはじめた頃、彼女は反対にやつれていった。
 毎日、最初に会った時にくれたバラと同じバラを僕に持ってきてくれる。
 僕は毎回訊いていた。「なんていう種類なの?」って。
 でも彼女は微笑んだまま答えをはぐらかした。

 その頃、僕はこの生活が永遠に続いてくれるといいな……って思ってた。
 まだ幼かったけどそれなりに将来の事も考えていた。彼女さえ良ければ一緒になりたいとも思った。

 けど――僕らには永遠が来なかった。

 丁度彼女にあって2週間経った時だった。彼女は両手に溢れるほどのバラを持って現れた。
 その姿はとても綺麗で……そして、儚かった。
 僕は思わず駆け寄った。
 けれど彼女はそれを制した。
 そして短い言葉を残して――消えた。



「ありがとう。  さようなら」



 僕はさ、冗談かと思ってたんだ。明日になれば彼女はまた来てくれる。何時もどおり花壇で待っていれば彼女はバラを持ってやって来てくれるって。
 でも、彼女はそれきり現れなかった。
 僕はそれが信じられなくて来る日も来る日も花壇で待ち続けた。けれど彼女は来ない。自暴自棄になって花壇を荒そうともした。
 けれど、壊したものは二度と戻らないことを知っていたからそれは耐えた。
 その時ふと、彼女が最後にくれた花束が目に入った。
 彼女が最後にくれた花束は、花瓶に入れて飾っておいた。普通ならもう枯れはじめてもいい頃なのに一向に枯れる気配も見せなかった。
 僕は自然とそっちへ足を向けた。
 そして気づいたんだ。
 その花束にカードが添えてあることに。

 そのカードには僕の常識を覆す事が書いてあった。
 彼女は……彼女が人間じゃなかったっていうんだ。花、バラの花だったって。
 その頃はまだ妖精だとか天使だとかは幻想の物とされていて、現実世界にはいないと考えられていた。
 だから僕は信じられなかった。けれど……思い当たる節がたくさん在り過ぎた。そして、彼女のカードにはまだ書かれていた。

 僕に気づいて貰いたかった、って。
 でも、僕は気づけなかった、って。

 確かに僕は気づけなかった……いや薄々気づいていたのかもしれない。
 彼女は本当にすごい子だったから……。


 × × ×


「それから僕は彼女の残したバラを育てることにしたんだ。
 このバラ園のバラは元を辿れば全てその花に行き着く。でも彼女にもらったバラはこんな色じゃなかった……。もっと綺麗だったのに。僕が……汚してしまったんだろうか?」

 ロナは息をつくと窓へ顔を向けた。
「丁度10年前の話だよ。
 そして3年程前、僕はこの石を見つけた。いつものようにバラの世話してる時にね、光る物があって行ってみたらこれがあった。
 バラのすぐ側で、バラと同じ色をしていて――僕は、彼女が遺してくれていたんだ、とそう思ったんだ」

 ロナの視線はまだ窓へ向けられたままだった。私は一つ疑問に思った事を訊いた。
「ロナ……って今何歳?」
「僕? 今年で25歳だけど……」
「25?!うそっ、私20ぐらいだと……」
 私があたふたしているのを見ると、ロナは微笑んで言った。
「これでも『25歳』なんだよ」
 そして、突然真顔になって言った。
「この石はね、僕にとって彼女なんだ。彼女がいた証。 彼女と僕が過ごした時間の全て……」

「紅は……紅とは何時会ったんだ?」
 そう訊くとロナは思い出に浸るように目を少し閉じて、開けた。
「彼はこの石を見つけてからすぐに会った。
 ドアをノックする音が聞こえたから開けたら彼が居た。僕ははじめ、何かおかしい人かと思ったんだよ。だって彼、『私はその石に宿る精霊です』って言うんだよ?」
 さも可笑しそうに笑いながらロナは話した。
「僕はさ、彼は狂っているんだと思った。それで名前を聞いたんだ。貴方は誰ですか?って。
 そしたら紅ったら『私には名前はない。昔はあったけれど忘れた』って言うんだ。僕は『名前がなかったら不便じゃないか?』って訊いた。すると紅は『貴方が付けてくれませんか?』って言って突然光ったんだ。
 あっ、と言う間に僕の持っていた石は宝石に変わりそこから紅の声が聞こえた。
 宝石がしゃべるなんてはじめてだったから吃驚したけど、『名前を付けてくださいませんか?』って繰り返すものだから僕は言ったんだ。

 『君の名前は紅だ』って」

 ロナはひとしきり笑うと落ち着いたようで、こちらを向いて言った。
「だから僕はこの石と離れたくないんだ。 彼女と、彼女との思い出も……紅とも……」
 すると、<私>は声を出した。

「君は彼女がいれば紅は必要ないな? 彼女が消えなかったら君は幸せだったはずだ。例え紅が居なくても、幸せだろう?」

「え?」

「君は彼女が居たら紅は必要ないのだろう?」
「そっ、そんな事ない! 彼は大切な人だ!!」
「本当に……そう言えるのか?」
「……フ、フレア?」
 ロナは涙を浮かべながらこっちを見た。その目には怒り、憎み、そして哀しみ……嫌な感情が混ざっていた。

 私は言っていない。

 誰もこんな事言おうと思っていない。――誰だ?……こいつは……誰だ?
 必死にこのもう一人を追い出そうとした。
 だが、もう一人は入れ替わる寸前にまた言葉を残した。

「よく考える事だ。君は恐らく紅より彼女を選ぶ」
 その言葉をいい終わるといきなり『私』に戻った。私はすぐにこちらを向き、涙を流すロナに向かって謝った。
「ご、ごめん。ロナ……こんな事言うつもりじゃ……」
「……ちょっと向こう行ってくれる?ホラ、朝食も出来たみたいだし」
 ロナはこちらに背中を向け冷たく言い放った。
「ごめん……ごめん――」
 私は必死に謝ったがロナはこちらを向かず黙ったままだった。
 その空気に耐え切れず、私はダイニングを横切り外へ出た。紅とココロはまだキッチンに居るようなので気づいていないだろう。



「何なんだ……何なんだお前!!!」
 拳を握り締め、他の誰でもない<自分>に問う。
「ふざけるな! ふざけるなっ!!! 私はあんな事言いたかったんじゃないっっ!! 私は……っ」
 最後の方は嗚咽が混ざりちゃんと発音出来なかった。涙が止め処なく流れては下へ落ちる。
「謝れよ。 ロナに謝れよ!!!……謝ってくれ……酷すぎる……悲しすぎる……」
 私は何度ももう一人と話をしようとした。
 けれど全然気配がない。
 あれは……やはり私だったのだろうか……?

 私の……意志なのだろうか……?

 ふと空を見上げると朝焼けが痛いほど目にしみた。
 朝焼けに照らされるバラの花はもっと……もっと痛かった。