「セシークはダイナと一緒に居ろ。絶対にはぐれるな、いいな?」
「……了解」
 小さく頷いて低い声で返してきた言葉と駆け出した足音を聞き取った後、俺は隣に居る人の方を向いた。
「それじゃあ、君の力を見せてもらう事にしようか」
「えぇ、準備万端です」
 不敵に笑うその表情に、一瞬背筋を寒い風が撫でていったような感覚を覚える。思わずゴクリ、と生唾を飲み込んだ。
 ――彼女は、すっと手を伸ばした。



 * * *



 深夜0時、ジェイム隊操作室。
「皆ちゃんと集まったな。……武器は足りてるか?」
 周りの4人を見渡して言う。それぞれから、いつもよりかなり小さい声が返ってくる。
「俺は大丈夫……」
「私も大丈夫ですよ〜。いざとなったらセシークに守ってもらいますし」
「……大丈夫です、一応剣も持っていくことにします」
「ま、僕は武器じゃなくてこの天才的な頭脳がありますから♪」
 電気をつけていない部屋の中で、月明かりだけを頼りに皆の顔を見る。ダイナとセシークは少しだけ緊張しているような顔、リスカは……かなり緊張しているようだ、顔が強張っている。そしてアグレスは、いつにもましてへらへらと笑っている。――まぁ、大丈夫なんだろうが。
「よし、それじゃ今から向かうぞ。……アグレス」
「はいはい、んじゃ移動しましょっか〜」
 おもむろに両手を前に突き出して、輪のように集まっていた俺達全体を包むような光を生み出す。
「刻、針が重なるとき。場所、人が出会う場所。――さ、行きますよ」
 呪文を言い終えると閉じていた瞳を開け、皆を見渡す。俺達は小さく頷いた。
『移動〈ムヴァース〉』
 アグレスの口から声が出た瞬間、目の前が白くなっていくのを感じた。
 そして、深夜0時のジェイム隊操作室は一瞬で空になった。



 ストッ
「――無事に着いたようだな」
 ごつごつした岩地に降り立つと、ちゃんと4人が居るかどうか周りを見渡す。
 すると4人を見つける前に、不自然な光の大群を見つけた。……恐らく、あれがジェスリータから極秘に出された軍なのだろう。一つでもかなりの明るさを出す魔法の光が何百個も一緒に揺れていた。
「ジェスリータのヤツ、か」
 いつのまにか横に立っていたセシークが呟く。俺は何も言わずに、ただ、首を少しだけ下げた。
「大尉、それじゃ僕は戻りますから。ちゃんと通信機をONにしといてくださいね」
 もう光に片足を突っ込んだ状態でアグレスが言ってくる。
 俺はちょっと前の苦い出来事を思い出しながら、頷いた。――まぁ、何というか。以前の戦いの時にちゃっかり電源を入れるのを忘れていたってワケだ。電源が入っていないのだから当然状況やら何やらも全部伝わらない。その時は大丈夫だったんだけど、帰ってきてからアグレスにかなり怒られた。……ああああっ、嫌な思い出だ!
「皆さん、お気をつけて」
 くずした敬礼のように手をすちゃ、と動かすと、アグレスは光と共に消えた。

「たぶんあと5分ほどで峠の入り口辺りに来ると思う。とりあえずそこまで行くぞ」
 そう言って、音を立てないように岩の間を抜けていく。ちなみに先頭はセシークでその後にダイナ、リスカ、俺、の順番だ。俺は周囲に気を配りながら、手の中に光が出現するかどうか確かめていた。
「……ところで大尉」
「えっ、あっ? な、どうしたんだ、リスカ」
 声をかけてきたリスカは、いつの間にか俺と同じ位置に並んで走っていた。
「私の魔法の事ですが、どのようにやればいいんでしょうか?」
 暗い上に走っていて前を向いているものだから、その表情は見えない。
 俺は暫く考えた後、小さい声で返した。
「そうだな。今回はなるべく死者を出したくないから、二、三発出したらすぐにやってもらいたい」
 “やってもらいたい”というのは、彼女が使うことが出来る魔法の事だ。

 名称は“イリュージョン”。能力の高い魔法使いしか使えない、かなり有名で、また未知の魔法。
 それは元々の魔力が高くなければいけないという事もあるが、10万人に1人居ればいい方、という出現率の低さのせいだ。俺もかなり魔力が高いほうだと自負しているが、この魔法だけは使えない。
 効果はその名の通り、不特定多数の人間にイリュージョン……幻を見せることが出来る、というもの。それは術者の意図通りのものなので見せれる物は多いのだが、よく聞くのはやっぱり精神的にダメージが多いグロテスク系のものだ。
 例えば術をかけた相手に、自分の肌が腐っているように思わせたり。またはすぐ傍に自分が一番苦手とするものを見せたり……それで発狂するヤツも多いと言う。
 俺は今までにソレを使えるヤツに会ったことがなかったから、彼女の事を聞いたときはかなり驚いて、そして喜んだ。……でも少しだけ恐怖を覚えたことは否定出来ない。
 一般的には“イリュージョン”を使えるのは「魔術師」だけ、と言われているのだ。でも俺は「魔術師」は世界に6人しか居ない、と言われているのだからそれはないと思う。けど、もしかしたら彼女は――

「了解しました」
 彼女は走り続けながら首を縦に振った。
 その声で我に返った俺は考えていたことを頭から吹き飛ばし、「期待している」と小さく言った。



「ルヴェルさん、相手の先頭が見えましたよ」
 既に止まって様子を伺っていたセシークの横からダイナがそう言ってきた。
「……武器は銃と剣、後は魔法師団」
 セシークが呟くような小さい声で報告する。俺はそれを通信機でアグレスに伝えた。
 声はすぐに返ってきた。
『魔法師団が厄介ですから、ダイナ、先に封印しておいてください』
「うん、わかった」
 ダイナは主に回復系が得意なんだが、補助魔法も使える。けど――
「えーっと……何だっけ、金の切れ目が縁の切れ……じゃないな、あれ?」
 ――……補助魔法は絶対に呪文が必要だからなのか、いつも一回では言えないのだ。
 今回だって例に漏れず変な事を言っている。セシークも同じように思ったらしく、頭を掻くと眉間に皺を寄せながら訂正した。
「……精霊との間を、切る」
「あ、そうだった! ――契約破棄を言い渡す、精霊〈ジン〉は切れた……『封印』」
 そう言った後、肉眼では見えにくい位置に居る魔法師団の方へ向けて手のひらを向けた。見た目にはただ動作としてそれをしているだけのようだが、実際には何かが放たれているのだろう。
「アグレス君、封印したよ〜」
『ん、了解。 それじゃ、とっとと攻撃してしまいますか』
 いつもと同じように軽いノリの声に少しだけ呆れながらも、仕事はいつも確実な指令塔の指示を待つ。
『敵の先頭から50メートルくらい離れた所に大きい岩があるから、大尉とリスカさんはそこから適当に一発やってください。セシークとダイナは後方から援護、ダイナは魔法師団の方にも気を配っておいて』
 通信機を片手に、言われた場所へと移動をする。
 たどり着いた場所は確かに大きな岩があって、隠れるにはもってこいだった。
「アグレス、着いたぞ。もう攻撃するのか?」
『はい、いいですよ。あ、狙うのは先頭の人にしてください。二人居るでしょう?』
 言われて見ると、先頭は二人居た。……二人ともかなりごついヤツのようだ。
「わかった。リスカ、君は右の方を頼む。魔法は何でもいいから」
「了解しました」
 そう言うが早いか、手に光を集める。俺もまた光を集めると、小さく頷いた。



 * * *



 先頭を攻撃すると、この隊は馬鹿だったのか、一気に崩れていった。
 まず前列に居た銃を武器としたヤツ等がその場に足を止め、辺りを伺いだした。そして次に剣を武器とするヤツ等が奥へと進んできて、敵(つまり俺達の事だ)が居ないかを見に来た。
 ……まぁ、此処までは良かったんだ。
 どうやら一緒に来ていた魔法師団、適当にそこら辺で雇ってきた者の集まりだったらしい。突然先頭が攻撃された上に武器を構えだした兵達に驚いたのだろう、口々に「どうしたのか?」等といい始めた。そこまで多くはなかったが、それでも結構な人数、その声は必然的にざわめきになった。
 そして、その声が余りに煩かったから銃隊の一人が銃口をそっちへ向けて言ったのだ。
 “黙れ、そうでなければ撃つぞ”、と。

 ――結果、その一言でパニックに陥った魔法師団の一人が術を暴発させた。
 もとい、“暴発させようとした”。
 術が出なかったのは当然、既にダイナが封印していたのだから。
 しかし魔法師団のヤツ等はそれに今更気づいたらしく、パニック状態になった。
 銃隊や剣隊の兵が落ち着かそうとするものの、ヒステリックなヤツが多いらしく尽く失敗。最後には皆してパニック状態に陥った、ってワケだ。

「……どうしましょうルヴェルさん、私今までこんなに馬鹿な隊と戦ったの初めてです」
「あぁ、俺も初めてだよ。本当にジェスリータの正規の軍なのかと疑いたくなるな」
 岩陰からその様子を見て、思わず呟く。
 それほどまでに、そのパニックっぷりは凄かった。そう、まるで漫画みたいに頭を抱えて走り回っているのだ。笑いを通り越して呆れが来る。
「大尉、どうするんですか?」
 まさかほっておくんですか?、とリスカが聞いてくる。俺はうーん、と唸った後、通信機へと口を寄せた。
「どうしよっか、アグレス?」
『そうですねぇ。僕も今映像を見てるんですが、何か虚しいで――っ、大尉!!』
 かなり呆れ声だったのに、突然緊迫したものに変わった。すかさず辺りを見渡すと、セシークが剣を抜いたところだった。



「クウェイルの方、ですかな?」
 その男は口ひげを触りながら、ねっとりとした声でそう言ってきた。
「……」
「はっはっは、答えたくないんだったら別に良いんですよ?私には分かりますからな、ジェイム大尉」
「っ!」
 ……なんだコイツ。俺はこんなヤツ会ったことないぞ?!
 心の中でそう呟いたのがわかったのか、そいつは嫌な笑いをするとまた口を開いた。
「クックックッ……お宅の情報員は相当馬鹿なようだ。これが罠だと気づかなかったらしい」
 俺を含む4人は全くもって、意味がわからなかった。一瞬、こいつは頭がおかしいんじゃないかと思ったくらいだ。すると通信機からかなり焦った声が聞こえてきた。
『ま、ま、ま、まさかっ――ピルカちゃん?!?!』
「ピルカちゃん……?」
 かなり切羽詰った状態の筈なんだが、その不釣合い過ぎる単語に少し首を傾げた。周りを見ると、他の3人は愚か、俺達と対峙しているヤツ等まで同じ動作をしていた。
「はっはっは、やっと気づいたか、アグちゃん!!」
「ア、アグちゃぁん???」
 先ほどの“ピルカちゃん”同様、今度は反対の方へと首を傾げた。
『で、でも!ピルカちゃんってかなり可愛くて、茶髪で眼がぱっちりしてて細くって……ネットアイドルだった筈なのに……!!!?』
「そういうアグちゃんこそピッチピチの16歳の女の子、にしていただろう?私とした事が、最初は下心を持って近づきそうになってしまった」
 いや、近づくなよおっさん!
 声には出さないものの、思いっきり心の中で突っ込んだ。
「……アグレス、どういう事、なんだ?」
 少しずつわかってきたような気もするが、とりあえず本当の事を知りたかった。俺は通信機の向こうの“アグちゃん”もとい、アグレスにそう問いかけた。
 返事は沈黙の後、返ってきた。
『――そこにいる脂ぎったおっさん、僕のネット友達なんです……。しかも……ほら、あの昨日情報をくれた人で……』
「つまり、騙されたって事か」
『はい、すいません……』
 いつに無く落ち込んだ声が返ってくる。確かに信じていた友達に裏切られるのは辛い、アグレスもきっと指令塔で落ち込んでいるのだろう。
 俺はふぅ、とため息をつくと“ピルカちゃん”を見た。

「で?その“ピルカちゃん”は俺達を罠に嵌めた、って?」
 その単語を口に出すのはかなりきつかったが、あえて口に出してみると……その反応が面白いこと、面白いこと。
 “ピルカちゃん”こと脂ぎったおっさん(名前はまだわからない)は平然と構えているんだが、後ろについてきている部下がかなり顔を引きつらせるのだ。まぁ、何ていうか――明らかに、笑ってる。
「ふっ、その通りだ!この様子を見ると反抗心の強いジェイム大尉は上層部に伝えてないらしいからな。
 ここで、仲良く死んでもらおうか、勿論どこかにいるアグちゃんも一緒に」
 かなりカッコつけて言ったんだと思う、けどそれが余りにも可笑しくて。だって、アグちゃんて!!すごく噴出しそうになったけど……俺が噴出すよりも前に、向こうのヤツが噴出した。
「ぷっ」
 一度笑い始めると止まらない。その笑いが引き金となって、俺達は勿論の事、向こうのヤツ等も一緒に笑い出した。ふと見ると、普段あんまり笑ったりしない――というかこういう事にウケたりしないセシークまで肩を震わせていた。
 そしてその笑い声に乗せて、もう一度話しかけようとした時だった。



 パァンッ



        どさっ



「な……っ?!」
 それはまるでスローモーションのように見えた。
 その手はゆっくりと動き、内ポケットから小型の銃を取り出した。そしてトリガーをかけて、引き金を引いた。
 一番近くに居て、たぶん一番最初に噴出したヤツが、ゆっくりと……ゆっくりと倒れていった。

「な、何てことを……!!!」
 人が傷ついたり、死んだりする事に人一倍敏感なダイナが突っかかって行こうとする。いつもは大抵、相手が弱かったりするから放っておくが、今回は流石に押しとどめた。
 “ピルカちゃん”なんて面白すぎる名前に騙されていたようだ。
「私に逆らうヤツはこうなるのだよ。 諸君も、いつこの弾が頭に来るか……気をつける事だな」
 この言葉は俺達に向けたものじゃなく、自分の事をさっきまで笑っていた部下に向けたものだった。
「は、はい!カピル中佐、失礼致しました!!」
 ピシッ、とちゃんとした形の敬礼をする。そいつ等の顔は暗くてよくわからなかったが、普段よりは青が多くなっていたんじゃないだろうか。
 ……にしても、“中佐”だと?
「カピル中佐、ね。それがアンタの名前か“ピルカちゃん”」
「そうだ。貴様よりは上、だぞ。ジェイム大尉」
 頭を掻きながら目の前の自分より階級が上のヤツを見る。
 国が違うから、昇級の仕方や能力は違うかもしれない。けども、さっきのコイツの行動を見ていたら――すくなくとも、性格はかなりヤバそうだ。
「それで、さっきの罠……だっけ?あっちの方に気を取らせておいて、後ろからスパッとやるつもりだったのか?」
 と、何故か未だにパニック状態で煩いある意味“ダミーの軍”を顎で指す。
「はっはっは、それも有りだがね。どんな方法であっても、今此処で君達が死ぬことには変わりないんだよ」
 そう言いながら銃口をこちらへ向ける。それと共に周りに侍らせているヤツ等も銃を構えた。たぶん今この場所から少しでも動いたら、その引き金は引かれるのだろう。
 俺は少しだけ首を動かして、後ろで固まっている2人と、横に居た2人に目配せをした。そして3人が聞こえるギリギリの大きさで、呟くように言い渡す。
「セシークはダイナと一緒に居ろ。絶対にはぐれるな、いいな?」
「……了解」
 小さく頷いて低い声で返してきた言葉と駆け出した足音を聞き取った後、俺は隣に居る人の方を向いた。
「それじゃあ、君の力を見せてもらう事にしようか」
「えぇ、準備万端です」
 不敵に笑うその表情に、一瞬背筋を寒い風が撫でていったような感覚を覚える。思わずゴクリ、と生唾を飲み込んだ。
 ――彼女は、すっと手を伸ばした。
「おや、そこのお嬢さんを使うのかね。ふっ、そんな非力そうなお嬢さんに何が出来――」
 嫌な笑いを張り付かせたその顔は、その形を保ったまま肉隗になって落ちた。

「……え?」

 カピルは疑問符を出しながら、手を顔の方へと伸ばした。手に触れるのは、脂ぎった肌ではなく、その肉を動かしていた筋の塊。――見ているだけで魘されそうだ。
 思わず目を背けると、隣に居るリスカがこっちを見ないまま呟いた。
「あんまり見ないでください。今回は特別製ですから、危ないです」
 そして、「行って下さい」と言って、後方を指差した。俺はわけがわからなかったけど、とりあえず既に遠くへ避難しているセシークとダイナを追いかけることにした。
 足を踏み出した瞬間、彼女の口がまた開いた。
 その声と悲鳴をBGMに、駆けた。
『――幻は実となりて、その身に降りかかる』
 悲鳴は、すぐに聞こえなくなった。



 * * *



 あれから数分後、リスカはすぐに俺達に追いついた。俺達――と言うのは、俺にダイナ、セシーク、そしてアグレスの4人だ。アグレスは俺が通信機を切った後すぐにこちらに来ていたらしい。
 俺がダイナとセシークに追いついたときには既に一緒に居た。
「どう、だったんだ?」
 かなり小さい声で、そう聞いた。
 するとリスカは何処か自嘲気味に笑うと、「えぇ」と、返事にならない言葉を返した。
「上手くいったんですよね、リスカさん」
 何処から来ているのかわからない自信満々の顔をして、アグレスが言う。リスカはまた自嘲気味な笑いを返した。
「……まぁ、何にしろアイツに知られてしまったから――帰ったらまずいかもな」
「まぁ、それは大丈夫なんじゃないですか。ねぇ、リスカさん?」
 少しだけ収まってきたパニック状態を上から見下ろしながらそう呟くと、アグレスがとぼけた様にリスカの方を向いた。俺はその言い方に疑問を覚え、同じようにリスカを見た。
 彼女は、左腕で右腕をきつく掴んで立っていた。服の上からなので、その部分に皺が集中している。
「リスカ……?」

「すみません、殺しました。 あの場に居た人達を全て」

 自嘲気味に笑った意味が、わかったような気がした。
「なっ、でも“イリュージョン”は殺せないんじゃなかったんですか……!?」
 ダイナが一早く反応した。
「すみません。……申し訳ありません」
 深く頭を下げる。
 近くから見ているのに、何処か遠くからそれを眺めているような錯覚に陥る。
「そうか……」
 俺が呟いた言葉が意外だったのか、俯いていた顔を上げてこっちを見てきた。俺は――表情を作って、今の状況を冷静に考えることに努めた。
「アグレス」
「はい、何でしょうか」
「あの馬鹿共、移動させられるか?」
 そう言って、例のパニック手段を指差す。
 アグレスは暫くの沈黙の後、にへらと笑って返してきた。
「ん〜。朝飯前ってのは無理なんで、夕飯前、って感じならv」
 軽口を叩きながらもパチン、と指を鳴らしてすぐに用意に入る。
 手に生み出された光はその量を増やしながら飛んでいって、ヤツ等を覆った。
『――移動〈ムヴァース〉』
 光が収まった後には、ただ、岩地が見えるだけだった。



 * * *



 午前8時、マスティル大佐、個人部屋。
「一体、どういう事なんだね」
 きちっと整った漆黒の髪が後ろの窓からの光で光って見える。
 俺は――表情を崩さずに答えた。
「ですから、先ほど報告した通りであります」

 ここはマスティル大佐の個人部屋……つまり、俺の上司の部屋だ。
 “大佐”というのは結構上の階級で、俺から見れば3個上になる。大抵は別棟に居るので本来なら話すことは愚か、会う事さえも珍しいのに……何故か、俺はここに居る。
 いや、何故かって事はないか。理由は明白だから。
 ――昨日の夜の事が上に漏れたらしい。
 だから俺は、朝っぱらからこんな所に呼び出されていた。

「報告……?だったら君は本当に隊員とキャンプに行っていたと言うのかね?」
「はい」
 わざと焦点を大佐に合わせないまま、そう答える。
「それで、キャンプ中に突然襲われたからそれに応戦した……と?」
「はい」
 大佐が大げさに息を吐くのがわかる。
「そんな事、どうやって信じろと言うのかね。キャンプに行った等――冗談も程ほどにしたまえ。大体、君達が情報を入手していた、という報告も来ているのだぞ」
「俺――私、達は隊員の親睦を深める為にキャンプに行っただけであります。それとも、大佐はこちらの報告よりもその方を信用されるのですか」
 この部屋に入ってきてから初めて、大佐を目を合わせる。すると今度はあっちが目を逸らした。
「い、いや、そういう事を言っているのではないが……もういい、下がれ」
 誰がどう見てもおかしいその態度に俺は心の中で呟く。「三流役者だな」、と。
 そしてそんな事を思っているのを微塵も出さずに、深く頭を下げてドアノブに手をかけた。
「……失礼致しました」
「――     」
 大佐が何が呟いたような気がしたが、それは閉じたドアに遮られ、俺には届かなかった。



「ん〜、ピルカちゃんは死亡……っと。全く、何でこう次々と変な事が起きるんでしょうねぇ」
 カタカタカタ、と無機質な音が響く。
「……」
 一旦手を止めて、近くに置いてあったコップを手に取り立ち上がる。中に入っている水がその動きと共に揺れた。彼はコップを手にしたまま窓際へと足を向け、まだ閉めてあったカーテンを開けた。
「罠に嵌ったのは、そっちじゃないんですか?」
 嘲笑とも取れる笑いが部屋に響いた。