暗転した後、落ちていく感覚も消えて気づけばどこかに立っていた。
 足元にはフローリングの床……家の中、か?

 バタンッ

 突然大きな音と共にドアが開かれた。
 入ってきたのは12.3歳の男の子。ふわりとやらわかそうな髪が揺れる。大きめの瞳は涙を溜めながらも強い光を放っている。

『救う相手は男の子ですね、たぶん12.3歳かな。
 悩んで、泣いて、辛くて、すごい苦しんでる』

 帽子ヤローが言っていた言葉を思い出す。……そういやアイツ結局名前聞かなかったな。
 “彼”だったのが“ヤロー”になってるのは、なんだ、その、つまり。
 俺を突き落としたヤツにそんな言葉を使う義理はねぇ!!!

 とにかく、コイツがその“救うべき人間”なんだろう。

「……くそっ!!!最悪だ、なんでこんな風に思われなきゃならない?!僕だってちゃんとやってるんだ!!」
 大粒の涙を流しながらソイツはドアのそばにひざをついていた。
「どれだけやったって、どうせ比べるんだろ?!僕が、僕を、見てもいないくせに……くそっ、くそ……!!!」
 悔し涙なのか、悲し涙なのか。
 振り上げたこぶしは涙の落ちたフローリングの床を打ち付ける。雫が飛び散った。
02.まるで夢の中の/3

 俺はその様子を見ていた。
 ……つーかぶっちゃけ見とく事しか出来なかったんだけどね!
 だって、ホラ、俺の事見えてるかどーかもわかんないし。

 と、誰にしているのかもわからない言い訳じみた事を考えていると、ドアのそばの影はいつの間にか近くまで来ていた。
 オマケにこっちを凝視している。……こりゃ絶対見えてるよな。
「……や、やぁ!」
 にこやかに挨拶を試みるもジト目で見られたままだ。

「なんだよお前、僕には霊感とか全く無いんだからな。不法侵入だったら通報すんぞ」
「ちっ、ちがうぞ少年!!! 確かに不法に侵入してるかもしれんが、不可抗力だ!!」
「はぁ?」
 ジト目に不信感が宿っていく。俺は通じないとは思いつつも事の顛末を説明した。
 つまり“お前を救ったら俺が救われる”云々を。



「……バカバカしい。誰がいつ救ってくれっつったよ。さっさと帰れよ迷惑だ」
 割と真剣に語ったというのに返された言葉がこうだ。
 俺は少しばかりムカッときて
「さっきあれほど泣いてたの誰だよ」
 と言ってしまった。
 瞬間、睨み付けていた目が大きく見開かれて顔が真っ赤になっていく。
「うっ、うるせぇ!アレは……そのっ、ちょっと、だな!!」
 しどろもどろに答える姿に先ほどまで(ちょっと)あった威圧感も吹き飛んだ。
「ほれみー、なんかあったんだろ。ちょっとオニイサンに話してみ?」
 うりうりっとひじで小突くと「アホか!」と叩かれてしまった。
 ……なんてーか、コイツ俺に似てる気がする。見た目じゃなくて性格とかさ。

 ちょっとしたこづきあいを繰り返しているとトントンと誰かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。
 その音が聞こえた途端緩んでいた表情が固まって、すぐに立ち上がると開いていたドアをすばやく閉めた。

 突然の行動にどうしたんだ、と訊こうとする前にドアの向こうから声が聞こえてきた。


「帰ってるのか?直哉」


 同じような声。心配そうな感情を含ませたものだ。
「開けてくれ、話がしたいんだ。……お前の誤解をといて――」
「誤解なんかしてない!!! お前と話すような事もない!!」

 ドア向こうの声を遮って直哉(というのがコイツの名前らしい)が声を張り上げた。
 ひっこんでいたはずの涙が急速に出てきたようで、今や零れるのも遠くない。

 だがこれは……
「ま、まさか痴話喧嘩か?」
ちっげーよ!!!どうやったらそんな風に思えんだ、お前頭沸いてんじゃねーのか?!?!」
 俺の呟きが聞こえたのか、直哉が間髪いれずに否定してきた。

 いや、だってそう聞こえるじゃん。
 浮気をしたと思い込んでいる彼女に誤解をとくべく説得を試みるもまったく取り合って貰えない彼氏の図。
 ま、たぶんドア向こうも男だからそれはねーだろうけどさ。


「直哉……?誰かいるのか、そこに」


 俺たちの声が聞こえたのか――というより直哉の変な受け答えが気になったのか、ドア向こうの彼が訊いてきた。
 けれど頭に血が上っているだろう直哉がそれに答えるはずもなく。
「慎也には関係ないだろ!さっさとどっか行けよ、鬱陶しい……!!!」
 強く言い放って肩で息をする。
 涙はさっきの俺とのやりとりでひっこんだようだが顔は泣いているみたいだった。
 しばらく沈黙が続いていたが、ドア向こうから「わかった」という声が聞こえてきた。
「ちょっと出かけなきゃいけないから……帰って来たら話してくれるよな?」
 すがるような声に一瞬迷ったのか、顔を歪ませて、でも首を小さく振って。
「……さっさと行け」
 程なくして階段を下りる音が聞こえて、消えた。



「……最低だ、僕」
 グスッと鼻をすすって顔をタオルで拭きながら直哉はそう言った。
 ちなみにここは1階のリビングだ。
 泣いてしまった顔を洗うために洗面所へ、その後は暖をとるためにリビングへ。
 ストーブは1階にしか置いてないとかで(2階はエアコンだけなんだそーだ)暖まるには1階に下りてくるのが楽らしい。

 カチッ ボオオォォ

 あったストーブは上部でヤカンなどが沸かせるタイプだった。折角だから何か飲むか、と言ってヤカンを上に乗せて沸かしている最中だ。

「何が最低なんだよ? あ、つーかさ!さっきの誰? ナオヤにシンヤってなんか名前似てるのな」
 ストーブの前に陣取った直哉の横に座り俺は軽い気持ちで訊いた。そういや声の感じも似てたな、なんて思いつつ。
「……双子だからな。親が似たような名前つけたかったんだろ」
 なるほど。確かにそういうのはあるかもなー。

「でも僕はこんな似てる名前つけて欲しくなかった。もっと、全然別の名前だったら良かったのに……!そしたらまだ、こんなにも比べられる事だって……なかった、かもしれないのに」

 堰をきったように直哉は続けた。

「昔っから、アイツの方が何でも出来たから、その度にもっと頑張りなさいとか、そんな!そんな……風にばっか言われて、褒められたりした事なんかなくって、でも僕だって頑張ってた!言われるまでもなく精一杯やってたのに!!」

「な、直哉……落ち着けって」
 また出てきていた涙をタオルで拭ってやる。

「……今回だって、すごく勉強して点数だってグンと上がったんだ。なのに皆慎也の事しか言わない。教師も親もいくらいい結果を出したって二言目には慎也はもっとすごい、だ。
 そりゃ確かにアイツはすごいよ?!僕がどれだけ頑張ったって到底越せる気がしない――でも、だからと言って、全てにおいて優劣をつけられたりしたくないんだ!それに慎也に八つ当たりみたいな事したかったワケでもない!
 少しでも、ほんとに少しでいいから、誰か……僕をみて、僕だけをみて、褒めて、“よくやった”って言って欲しかっ……ただけ、なの、に」




 見てられなかった。




 俺は思わず直哉を抱きしめていた。
 そして「よくやった」と、「お前は頑張ってる」と言い続ける。
 少しでもこいつが楽になれるなら、何だってしてやる、そんな気持ちにさえなった。
 ……いつだったか、俺もこんな風に思った事がある気がするせいもあるんだろう――か。



 ようやく落ち着いたのか小さい声で「ありがと」と言うのが聞こえた。
「いーや、どーいたしまして」
 茶化して答えると一瞬間を置いて一緒に噴出した。……うん、もう大丈夫だな。

 ヤカンが音を立てて沸いたのを知らせたのもほぼ同時だった。
「ココアでいいかな。あ、つーか、お前飲めんの?」
 俺がこの世界にイレギュラーな事は事情を説明した時に理解して貰えていた。だからこその質問だろう。
「おう、たぶん大丈夫。直哉にも触れたし、こーしてホラ、ヤカンだって持てる」
 無機物にも有機物にも一通り触れるみたいだ。

 まぁ、触れなかったとしたら夢だと理解するまえのツンデレMr.ヤだってぶつからなかったハズだしな。
 ……いや、アレ考えると触れなかった方が良かったんだけどな……。

「ん、じゃあ用意するからちょっと待ってて」
 キッチンの方へと行く直哉見ながら俺は帽子ヤローの言葉を思い出していた。

『貴方のノルマはこの男の子の悩みを解消して死から遠ざける事――』

 悩みを解消すんのはなんとなくわかる。
 ……でもコイツはこの悩みなんかじゃ死にそうにないよな、結構強そうだし。
 だったら――死から遠ざける、って何の事だ?



「な、お前さ……」
 悶々と考え込んでいた俺にキッチンから声がかかる。
 顔をそちらに向けると何だか複雑そうな表情をしている。
「ん?どうしたんだよ直哉」
 立ち上がってそっちへ行くとじっと顔を見られた。……な、なんなんだ?
「お前さ、名前なんていうんだ?聞いてないよな」
「え、あ、あー……うん、そだな」

 なんて答えればいいんだろうか。
 実は俺、この夢に入ってから全く“自分の名前”が思い出せないのだ。それどころか家族構成とかどんな環境で育ったとかもロクに思い出せない。

 ――ふと帽子ヤローの言葉が耳を掠める。

『そこはA<エース>席でしてね。そこに座るのは“夢に迷い込んだ人”』

「おい、聞いてんのか?」
「おっ、おお!! ……んと、その、実は俺さー、自分の名前覚えてなくって。
 しゃーねーから今は“エース”って事でよろしく!」
 俺の返答に訝しげな顔をするものの一応納得したらしく、直哉は小さく頷いた。
「じゃあエース。悪いんだけどさ、キッチンの方寒くって……ストーブ引きずって運んできてくんないかな。
 で、ココアもこっちで飲もう」

 言われた通り、振動で火を消してしまわないようにソーッとストーブを移動させる。
 キッチンの中ほどまで運び入れると、直哉は小さい脚立に乗って何かを探しているようだった。
「どした?」
「んー、それがさぁ、いつもントコにココア置いてなくって……どこにあるのかなー、っと――あっ、あった!」
 手をいっぱいに伸ばして隅っこの方にあったココアを取ろうとして、



 グ ラ リ



 脚立が傾いて、



 ゆっくりと、直哉が落ちていった。
 その光景は酷くスローモーションで、でも、それなのに俺は一歩も動けなくて。





 ガシャーンッッッ!!!!





 頭から落ちていった直哉は、俺がたった今運び終えたストーブにぶつかって床へと倒れた。
 当たったストーブは振動が強すぎたせいで自動消化機能が壊れたのか、火がついたままで真横に倒れた。灯油が、漏れていく。

「な……お、や?! お前、大丈夫かっ?! ……!??」

 駆け寄って、今すぐにでも危険な火から遠ざけようとして、直哉に触れようとして、



 俺の手は何の衝突も無く、直哉の体をすり抜けた。



 なんでだ?!さっきまで、ちゃんと触れてたのに……!
 本人に触れれないのならストーブを別の場所に、そう思ってどかそうとして、やっぱりこっちにも触れなくなっているのを確認してしまった。

「直哉……!!直哉っ!!直哉!!!!」

 何も出来ないまま、呼びかけ続けても反応はゼロ。
 漏れた灯油に火が移り、一瞬で辺りは火の海へと化してゆく。
 肌を、髪を、焼いていく臭い。



 俺は、これを し っ て い る 。



 暑い。あつい。熱い。……冬なのに、こんなにも熱かったのは。


 パタン


 遠くで扉を開く音が聞こえた。
 そして続いて「ただいま」という声。慎也が帰ってきたんだ!

 俺はドアを開けることもなく、すり抜けて玄関に向かう。
 さっきまで触れていたモノに触れなくなったのも、“直哉”の意識が無くなったからだ。
 こんな状態になった俺を見ることは出来ないかもしれない、それでも!



「……なんだ?なんか変な臭い……」
 靴を脱いでいる慎也が異臭を感じ取り口元を覆っていた。
 そしてリビングのドアをすり抜けた俺の方を見る。……焦点はあってる――俺はまだ、見えてる。
「慎也……っ」
 そう呼びかけた後、すがるように叫んだ。



助けてっ!!! 直哉を――俺を、助けて(…………)……!!!
title by 雰囲気的な言葉の欠片:前中後