あるところに道化が一人おりました。
 彼は小さな鞄と、そして一枚の写真を手に立っていました。
 黄緑の瞳と金色の髪を持つその容姿は、人中にいると随分と目立つものではありましたが、
 しかしここではあまり関係ありませんでした。

 時刻は星巡る時。つまりは夜だったので。

 彼の持つ写真には一人の少女と、その肩を抱えるように一人の男性が写っていました。
 勿論、彼ではありませんでした。
 彼はそれほど年を取っておらず、まだ若者と呼べる程の見かけでしたが、その写真の中に居る男性は見た目は若いものの、髪には若干の白が混じり始めていました。推測ではありますが、四十年程生きたくらいでしょうか。
 そしてもう一人、写っていた少女はと言うとまだまだ幼い外見です。
 その写真は一色の濃淡で表現されていますから、どのような色を持つのかはわかりませんが、とても素敵に笑うその顔を見て、道化は一人微笑みました。

 そんな彼らの後ろ、写る建物は――

 今、まさに、道化が立つその位置の、前にありました。

 さて、先ほどから話している「道化」。
 彼の事をもう少し詳しく話して参りましょう。

 彼の名前――は、ええと、ありません。
 何故ならば、彼には幼少の記憶が無く、はっきりしている思い出の中では「道化」としか呼ばれていなかったからです。
 だから、言うなれば彼の名前は「道化」。
 道化の名の如く、少しイカれた服装を……と言いたい所ですが、それ程では無い、でも一般的でも無い服装をしておりました。
 シルクハットに燕尾服。
 ダイヤの模様が入ったその服装は、どこぞの夜会に出るならともかく一般的な服としてはやや浮いたものである事は確かです。
 左目の下には、変わった模様が入っていました。▲と▼を合わせた、よくわからない模様でした。
 そして先に申しました通り、黄緑の瞳と金色の髪を持つ、どこか異国……いえ、異世界風の容姿をしております。
 この国、もといこの世界ではこんな奇抜な配色は滅多にありません。
 多いのは黒髪と茶髪。瞳の色は蒼と紫が人口のほとんどを占めています。
 それ故か、多くの人は世界を「藍の世界」と呼んでいます。蒼と紫の間が藍だと認識されているから、らしいのですが詳しい事はわかりません。ただ語呂の問題だとか、漢字が良いから、と言う人もおります。

 まぁ、それはさておき。
 そんなわけで一見してこの世界の人間では無いとわかる彼が何故ここにいるのか。
 それを説明するには、まず過去に遡らなければなりません。



 * * *



 ある時、一人の親父が一人の少年を拾いました。
 と言っても林のそば、でも道端、でも街の中、でも無く、それは宇宙で、でした。
 親父は宇宙センターという所に勤めていた技師でした。
 宇宙センターとはその名の通り、宇宙にぽつんと浮かぶ大きな塊。
 その中で多くの人間が住み、多くの仕事と生活をしていました。
 主な仕事は「世界の管理」。

 ――と、そうなるとまず「藍の世界」について説明が必要になるようです。



 *



 「藍の世界」に限らず、この空間に在る世界はいずれも同じ形をしていました。
 薄い透明の膜に包まれた球体状の物。それが世界の形でした。
 その中に青く染まった液体――通称「海」と呼ばれるものが半分程溜まっていて、その上に「島」が浮かんでいます。
 島は大小様々に、しかし藍の世界では大きなものが一つと小さなものが三つしかありませんでした。
 その大きな島をいくつかに分けたのが「国」です。
 世界に住む生き物のほとんどがそれぞれの国に属し、暮らしています。
 
 何か生き物が居ると、悪い事が起きるのは必然になってきます。
 簡単に言えば国同士の戦い。
 世界が世界と認識されてから数十年後、大きな戦争がありました。
 避けようの無い戦い、十年以上も続いたその戦いの後、大地は枯れ果てて人々もたくさんたくさん死にました。
 しかし命があって、暮らしていける土地もあって、――復興に向けて気合を入れ始めた頃、
 突然「海」が減り始めました。
 日に日に島は下へ下へと、海と共に動いていました。
 これはおかしい、そう気づいてある国の探険家達が海に潜りました。
 そしてそこで世界を包んでいた膜に、穴が空いているのを見つけたのです。

 ――ビニールの袋に水をたっぷりと入れ、つまようじでぷすっとやってみてください。

 そんな風にぴゅーっと、「海」は「世界」から消えていっていたのです。
 世界の人々は慌てに慌てました。まさか穴が開くなんて考えていなかったのです。
 その時は世界中で話し合って、探検家達と技術者達を海に潜らせ、とてもとても強引に穴を塞ぎました。
 大きな大きな針と丈夫な丈夫な糸で縫い合わせ、接着剤で補強したのです。
 こんな方法で世界の膜が直るとは誰も思っていませんでしたが、しかし、それは治りました。

 ――勿論、そんなやり方でそうそうなおるものではありません。

 どうやら、そうする事で「世界」が自己修復を始めたらしかったのです。
 人々は安堵しました。
 減っていた「海」も次第に戻り、世界には平和が訪れました。
 ……が、平和とはそう長続きしないのだと相場が決まっています。

 それから数百年が経ち、また争いが起きました。
 前にやった時より技術も発達し、空を飛ぶ機械から多くの砲弾が落とされました。前よりもっともっと多くの人が死にました。大地も死にました。
 戦場となっていた小さな島は戦争前の半分の大きさになってしまいました。
 けれど、どうにかこうにかして、その争いも終わりました。
 人々は反省し、やはりまた、命と暮らしていける土地とを大切にして日々生きていこうと誓いました。
 そうやって過ごしていっている内に、一人が倒れました。
 そしてその翌日には二人、翌々日には四人。ネズミ算式に多くの人が倒れました。皆、呼吸困難でした。
 世界各地で同じような症状が数多く起こり、研究者は異変を感じ取って文献を漁りました。けれど、似たような病例は見当たりません。
 頭を悩ませていた研究者はふと上を見上げ。
 そこに穴が開いているのを見つけました。
 普通に考えて肉眼で上の膜が見えるはずがありません。が、ご丁寧に雲で囲ってあったので、見つけられました。
 数百年前の戦の時は下の方に開いて海が漏れていきましたが、今度は上に穴が開いて空気が漏れていたようです。
 もう空も飛べる技術を持っていましたから、人々は修復に向かおうと考えました。
 が、ある一人が言いました。
「昔の文献によると、世界には自己修復機能があるらしい。しばらく放って置いたら治るだろう」
 人々はなるほど、それもそうだと決めて、空には行きませんでした。

 そしてしばらく、待ちました。

 穴を囲むように出来ていたリング状の雲は大きさを増していきましたが、穴は塞がりません。
 その代わりに、空気を必要とする生き物がばったばったと死んでいきました。
 人々はいつ自分も死ぬのかという恐怖に苛まれ、とうとう空に行く事にしました。
 数百年前と同じく、探検家達と技術者達は空飛ぶ機械に乗って上の方の膜の所まで行きました。
 そして文献通りに大きな大きな針と丈夫な丈夫な糸で縫い合わせ、接着剤で補強しました。
 穴は塞がりました。

 ――当然のように、そんなもので塞げるわけが無いので、やはり世界の修復機能のおかげでした。

 人々は安堵しました。そして平和な世界がやってきて、
 幾度か同じような事を繰り返しました。
 異変に気づき、最初は放置して、でも状況が悪化するので対処する。
 ある時は「海」の色が薄くなりました。 人々は蒼色の絵の具を溶かして流し入れました。
 ある時は膜の一部が黒ずみました。 人々は空飛ぶ機械でそこまで行って、モップで磨きました。
 ある時は島のある場所は沈み、ある場所は隆起しました。 人々は隆起した場所を削って沈んだ場所に埋めました。
 何れも、ただの気休めどころか、ただの子供の思いつき程度でしかありませんでしたが、「世界」は治りました。

 そんな風にして、人々は学びました。
 何か悪い事が起きると「世界」は傷つくのだと。
 そしてそれを治すためには、自分達が何かをしなければいけないという事。
 自己修復機能はあるけれど、それを世界が使うのは必ず「何か」をした後だったからでした。
 それからも何度か世界は傷つきました。 
 その度に人々は直していましたが、近年些細な事でもすぐに傷つくので作業が追いつかなくなっていました。

 そうこうしている内に、ずっと探検家と技術者に任せていた修復作業を仕事とする団体が現れました。
 彼らは内部班と外部班に分かれ、膜の内と外とで作業を分担する事にしました。

 内部班は空飛ぶ機械を応用した、空飛ぶ島を作る技術を使って上半分を担当する用の人口浮島を作り、下半分用には大きな潜水艦を用意しました。
 そして外部班はと言うと、未だ成し遂げられていなかった宇宙進出を目指すと豪語していました。
 世界を作っている薄い膜は、どうあっても外には出してくれませんでした。境目まで来て手を突いてもぼよんと押し返されるだけです。
 どんな刃物を使っても切れませんし、どんな爆発物を使っても吹き飛びません。
 穴が開いている時も、塞ぐ作業はあくまで内側で。外には出してくれませんでした。
 結果、技術としてはあるものの、今まで宇宙に出た生き物は一つも無かったのです。
 だから、人々はそう豪語した外部班を笑いました。大馬鹿者だと罵りました。
 けれど外部班は諦めずに、とりあえず宇宙へ行ける(はずの)機械を作り始めました。
 長い長い年月がかかりました。
 空飛ぶ機械と見かけは変わらないものの、強度は信じられないくらいに上がりました。
 そして先端は鋭く尖っていて、世界中のどんな刃物よりも切れ味のあるものでした。
 ミサイルもたくさんたくさん積みました。
 とうとう出来上がった機械を見て人々は笑いました。
 本当を言うと、作っていた人達も笑いたいと思っていました。絶対に失敗する、と考えていたからです。
 でも外部班をまとめていた代表だけはそう思っていませんでした。
 彼はどうしても、どうしても、宇宙に出たかったのです。

 打ち上げの日。
 鋭く尖った先端が空を仰ぎ、代表もまた空を仰ぎました。
 そして乗り込む前に、成功祈願として全員で一分間思い思いの願いを馳せました。
 代表も願いました。どうか上手くいきますように。
 「世界」を治す為に、どうかどうか、上手くいきますように、と。
 一分が過ぎ、人々は目を開けました。
 開けた瞬間に九割が目をこすりました。残りの一割は目を見開きました。
 あれだけ尖っていた先端が笑えるくらいに丸みを帯びて、両サイドにこれでもかと取り付けられていたミサイルが跡形も無くなっていたからです。
 当然人々は騒ぎました。誰がこんな事を?ミサイルはどこへ行ったんだ!あの先端はどうなっている?今更デザインを変えるなんて!
 色々ありましたが、結局は皆混乱していたのです。
 代表もまた、混乱していました。
 だから、頭を冷やす為に空を仰ぎました。そして、

 ――宇宙を駆ける機械は飛び立ちました。

 代表が見上げた先にはぽっかりと穴が空いていました。とてもとてもわかりやすく、雲で囲われていたその穴は、今まで見たどんな穴より大きく、そして綺麗なものでした。
 今までの穴は裂けたようにフチがギザギザでしたが、その穴は加工でもしたのかと思うくらいにつるつるだったのです。
 宇宙を駆ける機械はその穴目掛けて飛び立ちました。
 そして、穴に飛び込み、穴から飛び出しました。
 そこはもう「宇宙」でした。

 人々はこの事について議論を繰り広げましたが、結局何一つわかりませんでした。
 でもある教授が言いました。
「殺人者は拒むが医者を拒む者はそう居まい。恐らく「世界」が彼らを認めたのだろう」
 なるほど、確かに彼らは「世界」を治すための団体でした。
 意思を持った「世界」が彼らを人間で言うならば医者だと認識して、自ら宇宙へ行く事を許したという説は瞬く間に広がりました。
 その説を後押しするように、開きっぱなしになっているその穴を、その団体以外の宇宙を駆ける機械が通り抜ける事は叶わなかったのです。

 「世界」に認めてもらえた、のだと団体は大いに盛り上がりました。
 内部の修復作業に一層気合が入りました。世界はどんどん治っていきました。
 そして外部は、最初に出た宇宙を駆ける機械で世界の外側を周り、とてもとても傷ついている箇所が多いのに驚きました。
 これでは何度も何度も宇宙に出て、帰って、を繰り返していては間に合いそうにありません。
 彼らは、宇宙にも内部と同じように人口浮島のようなものを作る事を決めました。

 まずは材料を載せた宇宙へ行く機械を打ち上げました。
 それを組み立て、そこから内部へと伸びる道を作りました。内部からも外部へと伸びる道を作り、それらを繋げました。
 今となっては人も行き来出来るれっきとした道ですが、作られた当初はただ、内部と外部を繋げるものという意味合いだけでした。
 ふわふわと漂う宇宙空間では、うっかりすると浮島が「世界」から離れてしまいそうになったから、道で繋ぎとめたというわけです。
 その後、浮島は少しずつ大きくなっていきました。それと同時に世界を囲むように幾本もの線が張られる事になりました。これを伝って、世界のどこへでも簡単に、効率良く、安全に移動出来るようになりました。
 浮島はいつしか宇宙センターと呼ばれるようになり、そして。



 * * *



 ――ある時、一人の親父が一人の少年を拾いました。

 親父は宇宙センターに勤める技師の一人で、丁度線を伝ってセンターへ帰ってきていた所でした。
 ふわふわふわ、と何かが宇宙を漂っているのを見つけたのです。
 宇宙には星と呼ばれる島がいくつもあり、それらが漂っているのは知っていましたが、それのどれとも違う気がして親父は不思議に思い、それに近づきました。
 長細く、白いそれは、ある一面がガラス張りになっていて中身を見る事が出来ました。
「……なんじゃい、こりゃ」
 親父は中を見て呟きました。
 少年が一人、眠って入っていたのです。それはまるで死んでいるようにも見えました。
 「藍の世界」では宇宙葬は禁止されています。
 だから親父はさては他の世界のが漂ってきたんだな、と思いました。
 最も実際にそれを確かめた人間は未だ居なかったのですが、こうして極々たまーに「藍の世界」のものでは無い、ものが流れ着いていたからです。
 さて、これをその場に放置しておく事も出来ましたが、なんとなくそのままというのも気持ち悪いので親父はそれを持ち帰りました。
 死んでいるなら死んでいるで、ちゃんとした土地に埋葬してやるべきだ、と思ったのでした。
 そういうわけで一人の親父が一人の少年を拾いました。