ヴヴヴ……
 机の上に出していた携帯がバイブレーションでメール受信を知らせる。
「あら、この携帯は――」
 そう言って碧さんがそれに手を伸ばすと、美沙君が来るのが遅いから、と外を見に行っていた猛が「あ、俺のです!」と言った。そしてすぐに携帯を開く。
「タケー、美沙来てた?」
 不安になってきたのか、眉がハの字になった奈央が縋るように訊く。
 すると猛は無言で携帯の画面を奈央に見せた。そこには先ほど亞子奈が打ったメールの文章が。奈央はそれを見ると俄然ヤル気を取り戻したようで、ガッツポーズを取った。
「……良しっ! それじゃ、張り切って行きまっしょー!」



 * * *



「しょ、署長……何でこんなトコ来なきゃ行けないんですか……?」
 所変わって、こちらは観客席。前から2列目の真ん中、という絶好のポジションに彼らは居た。
「ふっふっふ、まぁ、すぐにわかるさ。有難く思えよ、山下。この僕が自分の命の危険も顧みずこうして付いてきてやっているんだからな。本当は館山君も誘いたかったんだけどなぁ……」
 最後の方は半ば独り言のように、署長が言った。山下君は首を傾げるばかり。『命の危険も顧みず』の所がすごくひっかかっているらしい。
「確か、ファッションショーでしたっけ。僕には到底関係のない話ですよ?」
 受付らしい所に立っていた、やたらケバイお姉さんに渡されたパンフレット開きながら言う。パンフレットには今回服を出すデザイナーの名前や、特別審査員の写真と経歴などが書かれていた。後は去年の写真だろうか?スラリとした体系の女性達がステージの上を歩いている写真が大きく載っていた。
「はっはっは、大丈夫さ。何も君に女装しろなんて言ってない」
 何でこう話が噛み合わないかな……、と山下君は横目で署長を見ながら思った。そして再びパンフレットを見る。すると、一番後ろのページに大きく書かれている文字を発見して、またもや首を傾げた。
「バレンタイン……恋人フェア……?」
 何だこりゃ、セールみたいだな。なんて思いつつ、文章を読む。
『今日はご存知バレンタイン!ちょっと内気な貴方でも、今日はちょっぴり大胆に!恋人のいる方はその“愛”をもっと確かな物へと変えましょう!
 素敵なショーを見た後は、貴方が今日の主役です!!』
「……はぁ?」
 思わず口から飛び出た言葉。はっ、となりすぐに口元を覆うが、隣の署長には当然聞こえるわけで。
「ん?どうかしたのか? ……ほほう、なるほどね。ふっふっふ、はぁーっはっはっは!!」
 山下君の見ていたページ――つまり“例のイベント”の所を見て、何時もより遥かに怪しい笑いを炸裂させる。その様子を見て、山下君は思わず席を一個……といわず100個くらい空けたくなった。とは言っても、もう開演(?)間近、特等席に近いその席の周りが空いてる筈など無くて。
「しょ、署長。お願いですから普通にしててくださいよ!恥かしいじゃないですか!」
小さく上司のわき腹をつつくしか出来なかった。ただでさえこの席を取るときに変人ぶりをとくとご覧アレ!だったのだ。本当に勘弁してくれ……、と心の中で嘆く。すると署長は少しおとなしくなって(それでも笑ってはいたが)、山下君の肩を叩いた。
「ふっふっふ、山下。この前も言ったと思うけど」
「……はい?」
「腹括って頑張れよっ♪」
 明らかに楽しんでます、な口調で署長は言う。
 山下君はとりあえず頷くと、もう始まるであろうステージに視線を移した。



「良いわね、美沙。ちゃんときびきび歩いてよね!間違ってもこけたりしないように!」
「わかってるよ。ったく何回言えば気が済むんだ」
 いつもの黒ずくめとは違い、そのまま雑誌の撮影に入っていってもおかしくないような――一般的な(可愛い)女の子の服装をした美沙君。当たり前なのだが、全部奈央作成の物である。
「それと、これが終わったらすぐに違うイベントに切り替わるから。適当に楽しんでくるのよ〜」
 そう言って、ぽんっと背中を叩く。そして手元にあるパンフレットを開いて、美沙に見せた。
「ほら、これ。アンタには全然言ってなかったから知らなかったかもしんないけどね。パートナーはたぶんすぐに見つかるから!あー、うん、きっと美沙なら大丈夫!」
 少しばかりの罪悪感と期待が入り乱れているのか、奈央の目は泳ぎっぱなしだ。しかしその中にあった“期待”は瞬く間に消えていく。
「パートナーね。知っているぞ、お前ら山下を呼んだだろう?」

 ぎぎくぅっ
 
 奈央を含め、その部屋の中に居た人達は皆して“ぎくっ”とした。その様子に気付いているのか、気付いていないのか、美沙はまだ続ける。
「しかも話を聞くと私がアイツの事を好きだの何だのぬかしたそうじゃないか。ん?中々いい度胸だなぁ?」

  ぎっ ぎぎぎぎくぅうぅっっ
 
 皆やけにぎくしゃくしていて、何もかもバレバレである。“あの”碧さんでさえ、体がロボットになっているのだ。バレない筈が、ない。 けれども、この次の言葉で ――何とも恐ろしいことなのだが――彼らの戒めは解けることになる。
「……まぁ、いいけどな。 キミタチの思い通りに動いてやろう」

 …………………………

「――え?」
 最初に声を上げたのは誰だっただろうか、兎に角沈黙の後に聞こえたのは疑問音だった。
「ま、ままま、まさか!! 本当に惚れてるのっ?!?!」
「嘘だろうっ!あんなナヨっちくて根暗っぽいヤツに!俺の方がよっぽどイイ男だぞ?!」
「まぁまぁまぁ、結婚式場は何処がいいかしら」
「……あぁ、山下が息子……信じられん」
 誰もそんな事言っていないのに、4人はそれぞれ、とんでもない解釈をした。一瞬そのリアクションに驚いた美沙君だったが、すぐに我に返ると顔をりんごさんにして突っかかった。
「ばっ、馬鹿言え!ただ……そう、演技だ!演技してやる、と言っているだけだ!なっ……んで私があんなヤツを好きにならなくてはイカンのだっ!!」
 そんな台詞を吐いても、ぜ〜んぜん説得力のない顔の赤さ。本当に好きかどうかは置いといて、美沙君は極度の照れ屋さんであるようだ。
「またまたぁ〜。ん、良いのよ、照れなくっても♪」
「だっから、違うと言っとろーが!!」
  4人は先ほどロボットになっていたとは信じられないほど機敏な動きで、美沙君の周りに集まっていた。顔なんてニヤけまくってて怖いくらいだ。
「ま、兎に角。 そろそろ出番だろ。……行った方がいいんじゃねぇ?」
 ただ一人だけ、真面目な顔で猛が言う。その言葉に奈央は「そうだった!」と慌てて美沙君の腕をとった。
「わっ、いきなり掴むな!」
 突然腕を掴まれてこけそうになる美沙君。何とか持ち堪えたものの、一言言ってやらないと気がすまなかったのだろう。けれども、奈央は聞く耳もたず。ぐいぐいと腕を引っ張る。
 キィ……
「それじゃ、行ってくる!」
 部屋の中の3人は「言って来い!」等と言って、二人を送り出した。
 パタン
 扉がしまり、一瞬沈黙する。
 が、すぐに猛が口を開けた。
「なぁ、滋さん」
「ん?」
 “滋さん”というのは、守山父の事だ。いつも守山父だの禿げ親父だの言っているので、あまり覚えられていないだろうが。
「あのさぁ、俺思ったんだけどな。美沙の恋愛感情は置いといて……向こうはどうなんだ?」
 俺実際には会った事ないから知らないんだよ、と続ける。
 その言葉に滋さんこと守山父は眉を顰めた。
「んー……初めて会った時は始終愚痴を言いまくっていたぞ。でもそこまで嫌がっているようには見えなかった――ような気がせんでもないようなそうでもないような……」
 何とも曖昧な答えを出すオヤヂである。
「たぶん嫌ってはないと思うわ。だってこの間会った時、そう言ってたもの」
「へぇー……って碧さん、会ったの?!」
 さらりと会話に入ってきた碧さんに猛は勿論、守山父まで驚いた。
「い、一体何をしに行ったんだ、碧……」
「あら、山下さんに会いに行ったんじゃないのよ。誠吾君に会いに行った時に偶々ね」
 何驚いてるのよ、と二人を見る。猛と守山父は揃って、顔の前で手を振った。
「「い、いや。何でもないです」」
 と。



 * * *



「あ、始まるみたいですね」
 こちらはまた観客席。堂々と2番目の真ん中の席におさまった署長と山下君はステージを見た。
『皆さん、こんばんは。この度はお寒い中お越しくださり、有難うございます』
 ステージの端にスポットライトを浴びながら出てきた司会のお姉さんが挨拶や審査員の紹介などをする。はっきり言ってンなもん興味ないわ、な二人はふんぞりかえって(これは署長だけだが)ジュースを飲んでいる。
 山下君はそんな司会の言葉を聞きながら、ふと気付くものがあって署長に問いかけた。
「署長」
「ん?」
「もしかして……このショー、誰か知ってる方が出てらっしゃるんですか?」
 ほら、沙――館山さんとか、と先ほどの会話を思い出しながら口にする。確か署長は「本当は館山君も誘いたかったんだけどなぁ……」とか言っていた筈だ、と。
 すると署長、「あほう」と言いながら、頭をぽかっと叩いた。
「今日のメインは僕じゃないんだ。確かに館山君が出ていたら嬉しいが……生憎、彼女は別の用事らしい」
「……じゃぁ、メインは誰なんです?まさかとは思いますけど、“腹括れ”ってこういう意味じゃないでしょうね?」
 山下君はパンフレットで口元を隠しながら、小声で言った。
 答えは――返ってこない。
「……。 ……署長?」
 疑問に思って、横を見る。と、署長は頭を抱えて酷く震えていた。
「なっ、何やってるんですか!
「い、今、途轍もない殺気を感じた……!」
 さっき?……あぁ、殺気。と山下君は何故か納得した。“そういう次元の話なのか”なんていう突っ込みは最初(ハナ)からするつもりはないらしい。けれども、上司の明らかに怯えているその様子に少しばかり不安を覚え、なるべく目立たないように周囲を見渡した。
 すると、自分達の席からさほど離れていないところに見覚えのある顔が二つあった。
「守山警視? それに……警視の奥さん?」
 自分が見ているのが相手も気付いたようで、警視の奥さんもとい碧さんが小さく手を振ってきた。山下君はそれに同じように小さく振り返すと、定位置に戻った。
「署長。守山警視が来ていますよ、ホラ」
 未だに怯え続けている署長に、耳打ちをする。その言葉に、署長はもっと震え出した。そして、小さな声でぶつぶつ言い始めた。
「な、なんで碧さんがこっちに来るんだよ。控え室に引っ込んどきゃいいものを……、あぁ、バレたら殺される!」
 実に、情けない。
 と、そうこうしている内に紹介等も終わり、やっとショーが始まったようだ。テンポの速めの曲がかかり出し、モデルさん達が順番に歩いてくる。
「ふーん、流石に皆スタイル良い人ばっかですね」
 山下君はステージ上を行くモデルさん達を見ながら、ほぼ当たり前な事を口にした。
「ふっ……館山君には負けるがな」
「あー、はいはい」
 いつのまにか立ち直った署長が髪をかきあげながら言う。何だか疲れた山下君はそのまま流す。
 そしてステージに視線を戻す。
「……あれ?」
 いや、まさか、等と小さく呟きながら、山下君は口を覆った。
 そう、あの人がステージに出てきたのだった。

「ったく、スカートというのは歩きにくくて堪らん。うぅ、寒いし」
 そんな事をぶつぶつ言いながら、スタンバイする。ちょっと離れた所からは奈央が「頑張って!」と声援(?)を送っていた。が、美沙君はそれどころではなかった。
 寒いのも嫌だったろうし、歩きにくいのも気になってはいたのだろうが……1番問題なのは観客席に居るであろう人なのだ。早い話が山下君の事である。
(ホントに居るのか……?)
 ステージの端からちらりと様子を伺う。けれどステージが明るすぎて人の顔まで判別出来ない。美沙君は仕方ない、とため息をつき、自分が出て行ったときに確かめることにした。
「23番の人、出番です!」
 係りの人が呼びかける。無論、小声で、だ。
 美沙君は奈央の方を見て頷くと、笑顔の仮面を貼り付けて(と言っても怪しげな仮面を想像しないよーに)ステージへと出て行った。

「署長……やっぱりメインって僕なんですか……」
 やたらにこやかな美沙君が何時もの黒ずくめではない、今時の女の子が着ているような服で出てきたのを見て、山下君は確信を持った。本人としちゃぁ、持ちたくない確信だっただろうが。
「ふむ、あの美沙がこうなるとはねぇ……」
 隣に座る人の質問には答えず、署長は顎を摩った。
 確かに、何時もの美沙君とは別人も別人。よく言う“雲泥の差”、“ティラノサウルスとミジンコ”なんてメじゃないくらい別人だ。え?何?例えが違うって?――ま、まぁ、そこはご愛嬌というヤツだ。
 兎に角、今や誰もに笑顔を振り撒く一端のモデルさん気取りな美沙君に山下君は酷く恐怖を覚えたらしい。
(な、何これ……。いや、顔は美沙君だけど……双子だったとか?って違うだろ!
 あぁ、何でだ!どうしよう……!! ――あの美沙君が可愛く見える……)
 恐怖……?なのかどうか怪しい所だが。

(うわっ、ホントに居やがる!てか誠吾まで何で居るんだよ?あぁ、くそっ。……神上さん相手に意地になるんじゃなかったな)
 あくまでもにっこりと笑いながら、心の中では悪態をつきまくった。
 でも、これは美沙君自身も気付いていないことだったのだが――実際には何処かで嬉しがっていたのだ。亞子奈にあんな風に言われてカチンと来たのも、プライドがどうのこうのとかいう問題では、なかったのだ。まぁ、それは本人も気付かぬような小さな心の変化なのだけど。
 美沙君は一通り言われたように動くと、ステージの奥へと引っ込んだ。



 * * *



 時間が経つのは早いもので、もうショーは終わりに近づいていた。要するにあれだ、“例のイベント”が近づいてきているということである。
 最初と同じように司会の人が出てきて、審査員の言葉を聞いている。ステージには先ほど服を披露したモデルさんとその服を作ったデザイナーさん達がずらっと並んでいた。どうやら結果発表らしい。
 ジャカジャカジャカジャカ…… ジャーン!!
 お決まりの音楽とお決まりのスポットライトで次々と賞が発表されていく。――― 上位3名も発表されたようだ。なんと驚くべきことに、奈央作成の服が2位になっていた。
「奈央、結構やるじゃないか!」
 発表や何やらで盛り上がっている会場。さっきまでの小声などではなく、大きめの声で署長が言った。おまけに指まで鳴らしている。
「そ……うですね……」
 山下君は適当に返事を返す。しかし、その目線は一定の場所で止まっている。署長はそんな山下君の様子を見て、人知れず微笑んだ。「こいつも中々可愛いとこがあるじゃないか」なんて思いながら。



「あー……疲れた」
 結果発表も終わり、一旦控え室に引き上げた美沙君が一番最初に言った言葉はこれだった。
「え、そう?! あたしなんか、もう嬉しくって疲れなんてどっか飛んでっちゃったわよ!」
 まさかあんなに高い評価を貰えるなんて!、と完全に舞い上がった奈央が言った。自分の作った服を握り締めて、感動の涙を流している。
「あぁ、良かったな。それに、今回の服は私も結構好きだぞ」
「美沙……、ありがとうっ! もうこれでアンタの恋が実れば万々歳よね!!」
「……恋?」
 感激の余り、自分が何を口走ったのか奈央は把握していなかった。
「え? 鯉がどうかした?」
「私の……恋が実れば、だと……?」
「えっ?! ええぇぇっっ?!」
 気付いた時には既に遅し。美沙君はゆらりと立ち上がると、奈央に詰め寄った。
「どーいう事だ? お前等まさか本当に私を山下とくっ付けようとしてたのか?――― 人の気持ちも知らないで、そんな事考えたのか……!!」
 ガタンッ
 座っていた椅子を蹴り倒す。倒れた椅子は不協和音を作り出しながら揺れ、やがて沈黙した。
「奈央姉ちゃんだってわかってるくせに……何でそういう事するんだ。酷いじゃないかっ!」
 片手で顔を覆いながら、首を振る。長くなってきた黒髪が左右に揺れた。
「ご、ごめ……でもそんなつもりじゃ……」
「じゃぁ、どんなつもりなんだ! 正吾の事――忘れろって言うのか!」
「違うっ! そんな事言ってない!! でもアンタ、本当は――」
 バンッ
 次の言葉を言わせない為なのか、それとも我慢出来なくなったのか……美沙君は棚を思い切り叩いた。そして自分の鞄と家から出るときに一緒に持ってきた紙袋を持つと、冷たく言い放った。
「もう、いい。 これから先一生、奈央姉ちゃんの服なんて着てやらないから」
 それじゃ、と言って美沙君は部屋を後にした。
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