お前と居た日々を忘れる事はない。
 今も、そしていつまでも忘れる事の出来ない……思い出だから。
 私は今日も黒い服を着て過ごす。

 それが……お前との唯一の繋がりだから。






〜 第1話 はじまりの言葉 〜





「此処に……あったのか……」
 まだ暗い空が続く中、彼女は何かを探していた。ただ、闇雲に探しているようにしか見えず、部屋の中は泥棒が入ったのではないかと思うくらい荒れ果てていた。
 けれど、彼女はしばらくするとその部屋の片隅から一冊の本を取り出し、微笑んだ。
 それはかの有名な小説家コナン=ドイル著作の「シャーロック・ホームズ」。
 誰もが知っている、“名探偵”だ。握手をしただけで過去の経歴を知り、裾に跳ねた泥を見ただけで何処から来たのかを把握する。犯罪学者でもあり、数々の論文を世に出している。そして ――重度の麻薬中毒者でもある。
 そんな彼の名推理をワトスン博士が書いている形の……推理小説だ。

 彼女はその本を開きながら呟いた。
「……あの頃……あの頃か、お前と付き合いだしたのって」
 外ではにわかに雨が降り出し、窓へ雨があたり音を出した。
 そして、その雨のように、彼女の瞳からも涙が滴り落ちた。





* * *





「ばーかっ、お前なんかが私を倒そうなんざ100万年早いわ!!」
 威勢のいい啖呵は、丁度十字路になっている、決して大きいとは言えない道から聞こえた。
 声の主は恐らく小学生高学年くらいだと思われる少女。黒い髪に、黒い瞳……典型的な“日本人”の姿だ。大きな瞳にすっと通った鼻筋、まだ幼さを残しているが数年たったらさぞ美しくなるだろう。
 しかしその口から出てくる言葉と態度は……余り頂けないものであった。

「なっ、なんだと?!てめぇっ、調子に乗りやがって……!!!」
 近所のガキ大将なのだろうか?小学生(ガキ)にしては大きな体だ。……縦にも、横にもでかい。  当然お約束通り、子分を引き連れており、たった今、その子分は少女に倒された。そこで、大将直々に出ることとなったようだ。
「ふっ、お前らみたいな雑魚に“てめぇ”だなんて言われたくないね!」
 少女……守山美沙は髪の毛をかきあげ、近くに倒れていた雑魚(子分1)を蹴り飛ばす。
「うっ……あんちゃぁぁぁーーんっ!!!!」
 泣いて逃げ出す子分1。……しかし、あんちゃんとは一体何処の世界だ。
 大将……名前はまだわからないので仮に“でぶちん1号”として置こう。――― “大将”と呼んだ方が早いような気もするがそれはそれ、気にしないのが漢(おとこ)ってモンだ。
 と、そのでぶちん1号は子分が逃げ出したのに腹を立てたようだった。
「くっくそっ、あの根性なしめっ!帰ったらおやつ抜きにしてやるっ!!!」
 ……どんなセコイ罰やねんな。思わずツッコミたくなる。
 少女、美沙もそう思ったらしくでぶちん1号の脳天にとび蹴りを喰らわした。
「っんなっ?!?!」
 会心の一撃(クリティカルヒット)……。
 ずどぉぉーーんという効果音と共に道路に倒れたでぶちん1号。
 美沙はそれを足蹴にしながら満足そうに笑った。
「そんなセコイ罰を言うようなヤツが私に向かってくるなど1億年早いわ!!!はっはっはっは!!」
 高らかに笑う少女。側から見たら十分“可愛い”の類に入るのに、この不気味な笑いが似合ってしょうがない。どうせならもっと可憐な笑いをすれば良いのに……。

 美沙は一頻り笑うと、今度は残っていた子分達の方へと顔を向けた。
「それで? 君たちは……どうするのかなぁ?」
 にっこり、と先ほどとは対照的な滅茶苦茶可愛い声で話しかけた。
 それに気が緩んだのか、子分達はまたもや無謀な賭けに出たようだ。
「たっ、大将の仇っ!!!」
 声が上ずっていて誰がどう見ても怯えているのだが、それでも“仇”と言って向かってくるのだからなかなか躾けの行き届いているグループらしい。
 けれど美沙にはそんなものは通用しない。
「向かってくるのなら再起不能にしてやってもいいが?」
 にぃ〜〜っこりと笑いながら言う姿は、さながら悪魔の様でもある。先ほどと同じ“微笑み”であるはずなのに、体が凍りつきそうなほど怖い。指をバキバキと鳴らしながら近づいてくる美沙は、言葉では言い表せない迫力があった。
「ひぇっ……ごっ、ごめんなさいっっ!!!」
 その迫力に負けたのか、子分のほとんどが咄嗟に謝ると鞄も持たず逃げていった。残りは1人。彼(仮に子分2として置こう)もまた、逃げ出したかったようだが体が固まり動かない。足はガタガタと震え、今にも失神しそうだ。
 しかしそれは本人にしか解らない事だったので、美沙は違う解釈をした。
「ほぅ、貴様やる気か?……度胸だけは認めてやろうじゃないか」
 じりじりと近づいてくる少女の皮を被った化け物を見据えながら、未だに震えの止まらない足に鞭を打ち、子分2は勇気を奮い立たせた。
「たたたたたたた大将のっ、かたかたっか仇だぁぁっっっ!!!!」
 どこから取り出したのか、子分2の手には頑丈そうな木の枝が握られていた。それを振りかざし、ろれつの回っていない口調で何かを叫びながら襲い掛かってくる。
「くっ、武器とは卑怯なっ!」
 まさか武器を持って攻撃するとは思っていなかった美沙は、利き腕ではない左腕で枝の攻撃を受けながら隙を見つけだし、拳を叩き込んだ。
 その右手は子分2の頬に当たり、吹っ飛ばすとまでは行かなかったが地面へと叩きつけた。そしてその一撃きりで、子分2は動かなくなった。



 美沙はそれを確認すると、子分2の手から枝を取り上げ近くの溝に捨てた。ポチャンッ、という音がして底の方へと沈んでいく。美沙は思わずため息をついた。
「ふぅ……。全く、雑魚は群がるから面倒だ、な……っ?!」
 と、ため息をつくのもつかの間、突然後ろから何かを投げられた。

 カラン

 咄嗟に身をかわすと、先ほどまで体のあった位置に大振りの枝が落ちていた。
 半分呆れたような顔を作り、美沙は枝が投げられた方を向いた。
「突然、物騒な物投げるなって」
 視線の方向には美沙と同い年くらいの男の子。その手にはもう一本、大振りの木が握られている。逆光で余りよくは見えないが、こちらもまた呆れたような顔をしている。
「お前が悪いだろ。ったく……またこんな事して」
「そんな事言ったって、こいつらから突っかかってきたんだ。当然私には、やり返す義務があるっ!!」
 少年は美沙の方へと近づきながら、道に倒れているでぶちん1号と子分2を見た。
「あーあ、碧さんに言ったらまた怒られるぞ?」
 でぶちん1号の頭には一目でわかるほどのたんこぶ。そして子分2もまた、一目で頬の大きさが違う事がわかってしまうくらい腫れている。
 少年は思わず顔の前で手を合わせて、二人の冥福を祈った。
「まだ死んでないぞ?」
 美沙はその様子を見て、さり気なく嫌味ったらしい仕草をする少年に話しかけた。だが、少年は答えるでもなく、さっと美沙の方へ向き直った。
「……美沙。腕、見せてみろ」
「え……?」
 少年は手を差し出したかと思うと、突然美沙の左腕を掴んだ。
「痛いっ!!」
 袖を捲ると先ほど子分2によって受けた傷が赤く腫れ、血が出ていた。少年はその状態を見て小さく舌打ちをするとポケットからハンカチを取り出し傷口を隠すように巻いた。
「ご、ごめん……」
 左腕を少し上に上げながら美沙は呟くように、小さく謝った。
「全く……いくら売られた喧嘩だからって、何も一人でする事ないだろ?少しは考えろよ。例えば人を呼ぶだとか……」
「何言ってるんだ!正義の使者はいつも多数の悪に向かって一人で立ち向かうんだぞ?!」
 美沙は自分より一回り大きい少年を見上げながら言い返す。しかし少年もまた言い返した。
「正義とか何とか言ってるけどな、もしもの事があったらどうするんだ!?お前一人じゃ出来ない事だってあるんだぞ?……少しは……」
 少年は美沙から目を逸らすと言葉を途中で切った。
 美沙はそんな少年の態度が気に入らず、右腕で少年の腕を引っ張ると訊いた。
「何だよ?!言いたいことがあるならはっきりっ……」
「俺に言えっ!!」
「な……?」
 突然こちらへ向き直ったかと思うと、美沙の両肩を掴み言葉を放った。
「今度、そういうのがあったら俺に言えっ。代わりに……とは無理かもしれないけど加勢する事は出来るんだからな。それにお前……一応女なんだしこういうのは……」
 再び目を逸らすと肩を掴んでいた手も離し、少年はそっぽを向いた。
 美沙はあっけにとられていたが、少しの間考えた。
「……なるほど。正吾は私に女らしくしろと……そう言いたいんだな?」
少し、ほんの少しだが怒気を含んだ声。
美沙は手を握り締め、けれど冷静に次の言葉を放つ。
「な、なら正吾は女の子らしい子と一緒に居ればいいだろう。 私は、私の信念を貫き通すだけだ ――!!」
 近くに置いてあった鞄を走りながら掴むと美沙は駆け出した。後ろから少年が何かを叫んでいたが振り返らずにそのまま走っていく。



「な……、何なんだ……?」
 一人、置いてけぼりにされた少年……竹内正吾は突然走り出した美沙を追いかけようと思ったが、その前に何故あんな事を言われたのかがわからなかった。
「な、何だよ……俺、何か悪いことしたか?」
 手に持った木の枝を道路に叩きつけながら誰にも聴こえないくらいの声で、先を続ける。
「ただ、お前に怪我して欲しくないから……くそっ」
 正吾は悲しみ混じりの悪態を付くとでぶちん1号達を蹴り飛ばした。子分2は溝の手前ギリギリの所まで追いやられたので、気が付いたとき溝に落ちなければいいが。
「……お前ら、二度と手ぇ出すなよ。おぃ、浅倉起きてるんだろ」
「わかってたのか」
 浅倉……と呼ばれたでぶちん1号はのっそりと起き上がりながら服の汚れを払った。
「いいか、二度とちょっかい出すなよ。俺は、お前が美沙に声をかけた本当の理由知ってんだからな。わかったらソイツ連れてさっさと消えろ」
 冷酷とも取れる表情で言い放つ正吾。浅倉は背筋を凍らせるその表情を少し見た後、子分2を叩き起こして消えていった。





お前が悪いんだ、お前があんな事言うから。
けど……“俺に言え”って言ってくれたこと、本当は嬉しかったんだ……。
でも私は、自分の中に生まれたこの感情が何か、まだわかってなかったから。
……ごめん……な。





「美沙ったら、まった喧嘩してきたのね」
 家に帰ると30代後半くらいの女の人が美沙を迎えた。彼女は守山碧。美沙のお母さんだ。にこにこと笑っているが目は笑っていない。よく裏の支配者等になりそうな雰囲気をかもし出す……綺麗な女の人(ひと)である。美沙はお母さん似なのだ。
「……ごめんなさい」
「もう、さっき正吾君が来てたから知ってたけど……で?こてんぱんにやっつけてきたんでしょうね?」
 どうやらこの母にして子供あり、というような家庭らしい。
「あったり前だろっ!!こう、飛び蹴りを食らわしてな!頬を打ったたいてやった!」
「流石は美沙!母さん嬉しいっ」
 きゃぁっ、と手を合わせウィンクをする碧さん。美沙はそんな碧さんを見て安心していた。
 けれど、まぁ現実とはそう甘くはないもので。
「そんな可愛い美沙に母さんご褒美として今日のご飯はカリフワラーにしてあげるっ」
「うわーい、やったぁ………………えぇえぇぇっっっ?!?!?!」
 ずざざざっ、と後ずさる美沙。碧さんは首を少しかしげてあくまで“可愛らしく”言った。
「あら?まさか母さんの作った料理……食べれないって言うんじゃないでしょうねぇ?」



 子は親に勝てない。少なくとも、守山家の食卓事情はそうだった。
 その日の夕飯はカリフラワー尽くしで碧さんは旦那……守山滋に今日の出来事を聞かせていた。この頃はまだ美沙も料理に興味がなかったので滋は同情の篭った目で美沙を見ていた。
 美沙はと言うと、泡を吹いて今にも死にそうだったが碧さんに睨まれて泣く泣くカリフワラー尽くしの夕飯をつついていた……。
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