悪夢ってのは、見てもあんまり覚えてなくて
 でも、嫌な夢だった ――ー それだけは覚えていて。

 その日は珍しく目覚ましの音じゃなくて、自分の意思で目を覚ましたんだった。






〜 第3話 悪夢を見た日 〜





「なぁ、……俺はお前が好きだったぞ?」
 やめて、優しく微笑んだりしないで。
「俺は……が、……の事が本当に好きだから……。それだけは覚えていてくれ ――」
 やめて、もうしゃべらないで!
「最期に……お前の笑った顔が見たい……」
 貴方の為なら、何回でも笑うから!お願い……お願いだから居なくなったりしないで!!
「大好きだったよ……」
 いやあああぁぁぁあ!!!!!!





「――はぁっ……、はぁっ、はぁっ……」
 まだ日も昇りきらぬ明朝。ベッドの布団を跳ね除けて、一人の少女が身を起こした。
 彼女の名前は守山美沙。稀に見る美少女で頭も良い。だが……如何せん性格が悪かった。いや、どこぞの女子学生のように、影でイジメをしたり嫌味をグチグチ言うような類ではないのだが。兎に角、余り頂けない性格の持ち主だったのだ。
「な……、何だったんだあの夢……」
 美沙はベッドの脇の机に置いてある目覚まし時計を見て、時間を確認した。短針は5と6の間、そして長針は2の辺りを指していた。
「……まだこんな時間じゃないか……、何だってこんなに早く起きなきゃならんのだ!」
 口調は強気だったが、その表情は今にも泣き出しそうで――いや、彼女の両頬には、涙の筋があった。綺麗な白い肌にくっきりと残る雫の痕。
「嫌な夢……見たんだよな。……あれ?でもどんな夢だったっけ……?」
 美沙はその頬の涙に気づかず、頭に手をやって考え込んでいた。けれど、考えても、考えても答えは浮かんでこない。ただ、その胸にわだかまりを残しただけで。
「昨日の映画……あんなシーン、あったっけな……」
 ふむ、と顎に手を当てて考える。そして強引にそうだった、と思い込み、美沙は再び身を沈めた。

 PiPiPi……
 ドンドンドン ドンドンドン
「こらっ、美沙!!早く起きないと正吾君に情けない寝顔、見られちゃうわよ!!」
「――うっせぇなぁ……」
「まぁっ、煩いですって!毎日起こしてあげてる母さんになんて事言うの!……そっか、美沙は今日のお弁当のおかず、カリフラワーだけでいいって事なのね?
 わぁっ、お母さん、料理のし甲斐があるわ〜〜vV」
「――べんとーが……カリカリフラ……うええぇぇぇぇえぇぇ?!?!?!?!?」
 ガバッ
「ま、待ってくれ母さん!!もう起きたからカリフラワーだけは勘弁を―― !!!!」
 そう言ってパジャマのまま駆け出した美沙。しかし碧さんはふんふん♪と上機嫌に鼻歌を歌いながら台所で作業を始めていた。……勿論、その手には例の白い物体が。
「うああぁぁ!! 母さん、頼むから!何でもするからそれだけはやめてくれ!!」
 縋り付く美沙を見て、碧さんはにぱっ、と笑った。……天使の微笑みではなく、悪魔の笑みで。
「やっだぁ、美沙ったら。朝のコミュニケーションってヤツよv」
「……毎朝それをやられたらホント堪らんのですけど」
「まぁ、それはともかく。早く着替えてきなさい。今日は特別な日なんだから!」
 包丁を片手にコンロの火、顔負けに燃え上がる碧さん。……ダイニングテーブルの方では、守山父がそれを見て見ぬフリをしていた。けれど、ベーコンエッグの上に塩をかけるつもりが、砂糖をかけている。……うーん、なかなかのうろたえぶりである。
「特別な日……?今日、何かあったのか?」
「うふふ、そうよ!今日は美沙と正吾君が晴れて結ばれた日の翌日よ!!!」
「――…………………………………………っっっっっ/////////」
 口をぱくぱくさせているものの、ちゃんとした言葉が出てこない。その顔は、朝食の席に並ぶプチトマトさんと一緒に食卓に並べても気づかないんじゃないかと思うほど真っ赤だ。
「だ〜いじょうぶ!昨日は美沙を思って何も言わないでおいてあげたけ・どv 今日という今日は絶対にパーティをするんだからね!猛達にも連絡とってあるし!!」
 腕が鳴るわ〜、等と言いつつさり気なく美沙のお弁当にカリフラワーの和え物を詰める碧さん。放心状態、それに加えて心臓ばっくんばっくんの美沙は全然気づかない。いや、気づけない。
 そんな美沙に、守山父は可哀想になって声をかけた。
「……頑張るんだ、美沙。アレを止められるものは誰もいない――」



「正吾ーーー!!何でアンタそんな重要な事教えてくれなかったのよ!!!」
「ちょ、ちょっと待てよ!何の話だよ!ていうか、何でいるんだよ!!?」
「煩いっ、お黙り!」
 此処は美沙の家のお向かいさん、竹下さんのお宅。
「お黙り……て、奈央、お前姑臭いぞ……?」
「そうだよ!!猛兄もなんか言ってくれよ!俺、何にもしてねぇし!!」
 何故か年上と思われる女性に羽交い絞めされている少年……、彼が先ほど守山家で話題に上っていた“正吾”だった。茶色がかった黒い髪に、黒い瞳。なかなか端整な顔立ちの少年だ。
「……いやぁ、俺も今回だけは奈央に加勢しよーかな〜、って思って来たんだけど」
「なっ、何で?!ていうか、その前に、二人とも何で此処にいんの?!」
 思わず後ずさると、その手に携帯電話が当たった。……ライトがチカチカしてるのを見ると、どうやら着信かメールがあったらしい。
「何で?何でって、碧さんからメールがあったんだもの!そしたらアンタがやっと告白したって言うじゃない!! あぁっ、もう何で教えてくれないかなー。すぐに冷やかしに行ったのに!!」
「――俺は、冷やかし……じゃないけどな。美沙が泣いてたらちょっくら成敗しようと思って」
「いや、あの、でも……あぁ……くそっ、碧さんにメールなんてするんじゃなかった!!」
 頭を掻き毟って近くに置いてあった鞄を手に取った。ちなみに携帯電話は既にポケットに入れてある。……まだ確認していないようだが。
「と・に・か・く!! 俺はもう学校行くから!あんまり冷蔵庫の中、荒らさないでよ!奈央姉と猛兄が来た後、いっつも冷蔵庫の中身空っぽなんだから!!!」
「……うーん、考えとく」
「考えるだけじゃなくてするな!っつーの。……ったく、それじゃ行ってくるから!」





* * *





「はっはっは、美沙、聞いたぞ?何でも正吾君と付き合い出したそうじゃないか!!」
「……てめぇ、海の向こうに居るんじゃなかったのか」
 朝の楽しい家族の団欒(!)も終え、顔に縦線が入りまくった美沙が道路で正吾を待っていると変なおぢさんに声をかけられた。
「ふっ、僕の手にかかれば海なんて無いも同然!スーパーマンになれるのさっ!」
「ほほう……、そのスーツのポケットから出てる飛行機のチケットは何なんだよ」
「むっ、そんな細かい事を気にするようじゃ人とは付き合えないぞ?!」
 平静を装いながら、指摘されたスーツの中のチケットを素早く隠す。……時既に遅し、なのだが。
 そして、チケットを隠し終わったかと思うと、やおら片手を上げて、遠くへ振った。
「正吾ーっ!! おっめでっと〜〜うvV」
「げっ、なんで鉦ちゃんが居るんだよっ?!」
 手を振った相手は、息を切らしながら走ってくる正吾だった。
 どうやらこの二人――美沙と正吾の事だ――、家が近いというのに遠くで待ち合わせて行くらしい。……まぁ、それは今日に限っての事なのだが。
 さきほど正吾の携帯に来ていたメール。あれは美沙からの物だったらしく、待ち合わせ場所を変えようという事だったのだ。
「よし、それじゃぁお兄さんが二人の門出を祝って、今から素敵な場所へ連れていってあげよう!」
 正吾が二人の所へ着いたとたん、鉦ちゃんこと、鉦山誠吾警視がにこやかに言った。
「いえ、結構です。それに今から学校なんで、年寄りは早々に帰ってください」
 随分と酷い言い草だが、それを平然を言ってのける所を見ると……どうやら、いつもの事らしい。
 きっぱりはっきり言い放つ美沙に、正吾は軽くため息をついた後、口を開いた。
「マジで今から学校だしさ、今日は碧さんに早く帰れって言われてるから無理なんだってば」
「なにっ!? み、碧さんがそう言っているのかっ?それはちょっとマズいな ――……」
 少し驚いた後、口元を手で覆って呟いた鉦山さん。――……いちいち“鉦山さん”と呼ぶのも鬱陶しいので、とりあえず署長(この時点ではまだそう呼ばれていないのだが)と呼ぶことにしよう。
 その署長が最後に呟いた言葉……「マズい」。
 その言葉は、美沙にだけ聞こえていて、それを聞いた瞬間はっとなって署長を見た。
「ま……さか……、また事件なのかっ?!」
 口調だけで取ると深刻そうな話し合いにもそのまま持ってけそうな感じである。
 しかし、その顔で、表情でそれはボロボロに崩れる。
 曰く、少女漫画の如く瞳を輝かせて。曰く、化粧品要らずで顔を紅潮させて。
「え? あ、あ……うー……」
 突然胸倉を掴まれて、やたらキラキラした目で睨まれた(?)せいか“あの”署長が、どもっていた。そしてすぐに顔を背ける。
 少しでも話してしまうと、自分はその場で碧さんに殺られるようなモノだったから。
 そんな署長を可哀想に思ったのか、いや、この場合二人がやけに親密に見えたのが(正吾ビジョン)気に入らなかったのかもしれない。
「兎に角っ、今日はダメだから! ほらっ、美沙学校遅れるから行くぞっ!!」
「あ……、うん。 ま、帰ってきたら聞くから!誠吾、逃げるんじゃないぞ!」
 そう言って二人はその場を後にした。





* * *





 パーッッン パーッッン
「うあっ、いきなり何しやが――って、ああぁ!!奈央姉ちゃん!!」
 場面が変わった後、すぐに学校も終わって午後になる……、少し気が引けたが文面上仕方のないことなのだ!!気にしない!!……気にするな!!
 と、いうことで署長と別れた後学校へ向かい、案の定冷かされ不機嫌面になった美沙はいつもならば正吾と一緒に帰るところを今日は一人で帰ってきていた。
 ――案外、照れ屋さんなようである。
 そして家に帰ってきたら……先ほどの「パーッッン」である。
「やっほー、美沙。 ん〜、もうまた可愛くなっちゃってぇ!今度モデルやってくんない?」
 クラッカーから飛び散った紙の向こうから現れたのは親戚のお姉さん。朝に正吾の家で何やら喚いていた人である。
「断る」
「んー、つれないねぇ。 お金もちゃんと払うよ?」
「断る。ったら断る!! あんなわけのわからん服を着させられるのは勘弁してくれ!」
 玄関に散らばったクラッカーの中身を踏んづけて中に入る。その後に親戚のお姉さん ――奈央も続いた。そして横からすごく楽しそうな声で話しかける。
「ところでv いやん、もう、美沙ったら恋する乙女ぇ〜v」
 ぼふっ///
 一瞬で美沙の顔が真っ赤になる。もうこりゃトマトさんだのりんごさんだの言ってられない程だ。
「ななななっ、ななんで奈央姉ちゃんが知ってるんだ?!……はっ!母さんだな!そうだな!?
 ――ん?もしかしてそれじゃさっきのクラッカーって……っっ?!?!」
 そこまで言うと、鞄を放り出してリビングの方へと駆け出した。

 ダダダッ  ガチャッ

 ……。

 バタンッッ

「いや、何で閉めてるかな」
 後ろには追ってきたのだろう奈央、呆れた様子で頭を掻いている。
「……っんで、こんなに用意周到なんだ?! 怖すぎる……っっ!!」
 どうやら美沙は朝碧さんが言っていた言葉を聞いていなかったらしい。
 そう、ドアを開けたその向こうには。満面の笑みを浮かべた碧さんに、少し青ざめてはいるがそれなりに嬉しそうな守山父。そして今朝正吾の家で奈央と一緒に喚いていた(?)猛……と、こいつは少し仏頂面だ。んでもって、ついこないだ美沙の彼氏に昇格した正吾。
 ちなみにテーブルにはパーティ料理がずらり、ど真ん中にはでかすぎるケーキもある。
 ――極め付けが、その部屋の上部にかけられたモノ。
『正吾君と美沙のラブラブ記念!〜2人の愛は永遠よっ☆〜』
 美沙はまだこの垂れ幕を直視していないからいいものの、直視したら最後……穴があったら入りたい、いやむしろ掘ってまででも入りたい気持ちになるかもしれない。
「ほらほら、皆アンタの帰りを待ってたんだからさ。 入った、入った!」
 碧さんに負け時と満面の笑みを浮かべた奈央は青ざめまくった美沙の背中を押して部屋の中にぶち込んだ。そして自分も入った後、ドアを閉め、手を叩いた。

「よっしっ! それじゃ、改めて――2人ともおめでとうっ!!」
「おめでとう、美沙。 それに正吾君も……ふふ、新郎さんよろしくねv」
「お、おめでとう――父さん悲しいけど、怖いから許すっ」
「……美沙ぁ……うぅっ、兄ちゃん悲しいぞぉっ……!」
 若干祝ってない人がいるような気がせんでもないが……まぁ、ご愛嬌だろう。
 さて祝われた2人はと言うと。
「――…………っっっ///// な、な、なっっ……!?!」
 ドアの少し前で立ち尽くしたままの美沙。先ほどからずっと真っ赤なのだが……、今も大丈夫なのか?と訊いてやりたくなる程、赤かった。
「いやぁ、どうも」
 対する正吾はもうその場で見たら思わず裸足で逃げ出したくなるくらいのオーラを出しつつ、頬をかなり緩めていた。実は彼、朝は「言うんじゃなかった」とか何とか言っていたが、こうして祝われるのは案外好きだったりするのだ。
「美沙、とりあえず着替えてきなよ」
 未だ「な」を言い続ける美沙の肩をぽん、と叩く。すると美沙はそれを合図とするかのように、一瞬で部屋から飛び出していった。
「あらあら美沙ったら……そんなに早く皆に祝ってもらいたいのね〜」
 絶対に違うと思う、とお惚れ気全開の正吾以外は密かにツッコミを入れた。





「そうなんすよ! もうコイツったら鈍いのにも程があるっつーか!!」
「……大変だったわね、正吾君! でももう大丈夫よ、一回やってしまえばこっちのモンよ!」
「そうですよね! あぁっ、わかりましたよ! 滋さんもそうやって碧さんを ――!」
「嫌だわ、正吾君。 そんな滋さんが私を襲った、だなんてv」
「言ってないから、ホント違うから」
 美沙が着替えて降りてくると、主役が一人欠けているというのに既にパーティは始まっていた。しかも何だか皆テンションが異様に高い。
 ……ん? あのコップの中の液体は――い、いや、よそう。ただ気分がハイになってるだけだ。
「もう美沙〜、あんたもニブニブね〜」
「うっさいわ酔っ払い! 猛兄ちゃんも何とか言ってくれよ!」
「うぅっ、兄ちゃん寂しいな〜。 寂しすぎるよ〜っ」
 あちらも凄けりゃこっちも凄いらしい。べろんべろんの奈央に、飲みまくっているのに至って普通の美沙。それに泣き上戸の猛。全然パーティと言う感じではない。

 その様子に嫌気が差したのか、美沙はコップを持って立ち上がるとほろ酔い加減の碧さんと縦線を入れまくった守山父に挟まれた正吾の腕を引っ張った。
「馬鹿騒ぎはもうたくさんだ。 上、行くぞっ」
「へ? お、おぉっ!」
 2人に挟まれては居るものの、自分はそっちのけで過去の話に華を咲かせているので、正吾はそっと間から抜け出した。

 部屋から出て行く時にモロに眼に入ってくる例の垂れ幕を無理やり頭の中から排除しつつ、上へと上がる。ちなみに“穴があった入りたい”云々はもう実行済みだった。
「……ったく、お前も一緒に馬鹿さわぎするなよなー」
 カラ、とベランダへの窓を開ける。少し冷たい風が吹いて、下の馬鹿さわぎで火照っていた頬にひんやりとした感覚が残る。
「ンな事言ったって……嬉しいし……」
 ホントにお前鈍いしさ、とさり気なく肩に手を回しちゃったりして。
「そっ、そりゃ私も嬉しいが……っ! だがあんな馬鹿さわぎに便乗することはないだろう!?」
 回された手を少し見て、でも振り払わないまま俯いた。暗さと俯いている事で顔は見えないが……耳が真っ赤なので顔も同じようになっているのだろう。
 正吾はそんな彼女(この言葉に彼はいたく感激していると思われる)を見て小さく笑うと、肩から手を離して後ろから抱きしめた。
「っっっ///」
 突然の事に驚いたのか、顔を上げて後ろを振り向こうとする……が、結構きつく抱きしめられているようで全然動きがとれない。
 余りに恥ずかしいので“やめろ”、そう美沙が言おうとした時、先に正吾が口を開いた。
「俺はさー」
「……な、なんだ」
「ほんっとーに嬉しいんだよ。 こうして美沙と居れるし、皆とも馬鹿さわぎが出来てさ」
 そこまで言うと、少し腕を緩めて正面へと回り込む。
「ば、馬鹿何言って……っ」
「――だって昔っからお前鈍すぎだし、こうしてられるの信じられないくらいだ……」
 ぎゅぅ〜っ
「な、なな、っっ……!?!」
 今度は真正面から抱きしめられて、胸の辺りに顔を押し付ける形になる。美沙は真っ赤になりながらも観念したのか……そっと正吾の背中に手を回した。
 正吾はその動作に驚いたが、すぐに満面の笑みを浮かべて更に強く抱きしめた。
 ――が。
「で、でも……お前だって鈍いんだぞ!」
「……はぁっ?」
 少しくぐもった声で言われた言葉に思わず素っ頓狂な声を上げる。
「お前は知らないだろーけどなー……っ、そのっ、正吾が他の子に告白されてるの……っ、悲しかったんだぞ! 毎回置いてかれるような気がして……でも断ったって聞くたびにすごい安心して……」
 はは、嫌なヤツだよな……、そう言いながらぎゅっと正吾の服を握り締める。
「だ、だからすごく嬉し――っっ?!?!」

 全部を言う前に顎に手をかけられて、


 唇に、感触。


 目の前には視界いっぱいの顔。

「っっ……」
 それが離されたかと思うと、息のつく間もなく強く抱きしめられた。
「――……どうしよう、嬉しすぎる」
 上から聞こえて来た声は少し震えていて、その代わり抱きしめる腕の力は強まっていって。
 美沙は小さく胸を押してスペースを作り、正吾の顔を見上げた。
「い……きなり……そのっ、キ、キス……するなよ……っ」
「悪ぃ……でも美沙があんまり可愛くって、つい……」
 見上げてくる美沙の顔を真正面から見つめる。
 美沙もまた、見つめ返す。
「美沙……」
「正吾…………」
 そして顔が近づいていって――



「あぁ、青春だねぇ……」



 ……、……、…………???

 ばっ
 突然振ってきた声に美沙は思わず正吾の体を付き離した。そしてその声の方を向く。
「おおおお、お前居ないと思ったら……んっでンなトコに居やがる!?!?!」
 そう、そこには今朝海外からスーパーマンしてきた署長こと、鉦山誠吾が居た。
 しかも……その右手にはちゃっかりビデオカメラ、勿論、作動中。
「いや、少し前に来たんだがね。碧さんに頼まれちゃって……しかし良いものが撮れたよ。
 みっどりさぁ〜んっ! これで僕の分の食べ物、くれますよね〜っ」
「えぇ、勿論よ誠吾君。 さ、奈央用意してきてあげてv」
「ラジャッ! ……にしても2人ともやるぅ〜。 ほらっ、猛も一緒に行くわよ!」
「うぅっ……正吾め、後で待ってろよ――!」
 その場に署長が居ただけでも驚きなのに、下で馬鹿騒ぎしているはずの面々も何故か居たりして。声が聞こえてくるたびに美沙はそれに反応して、可哀想なくらいうろたえていた。
「なな、何なんだアンタ等はぁ!? 人の事監視してんのか?! そうなのか?!?」
「――ま、まぁ落ち着けよ美沙……」
「何言ってるんだ、正吾! お前も何か言い返せっ!」
「いや、俺は見られてるの知ってたし……鉦ちゃんが声出したのはビビったけど」
「あら、正吾君ったら割とやるじゃない。 ねぇ、あなた」
「…………」
 うふふ、と何処か怖い笑みを浮かべて言う碧さん……けれど返答はなく。一瞬の沈黙の後、美沙が「?」マークを出しながら覗き込んでみると、そこには魂抜けてる守山父の姿があった。
「し、死んでる……?」
「いや生きてるだろ」
 そうは言いつつも手首で脈をとっている辺り、正吾も本当に生きているかどうか自信がなかったらしい。碧さんはそんな夫を見つめて、にこっと笑った。
「もうあなたったら、私の言ったことに答えないなんていい度胸してるじゃない♪」
 そしてズルズルと引きずっていく。
 再び、その場は2人だけになった。

「……ったく、何なんだあの人達は! プライバシーの侵害だぞっ」
 風のようにやって来て〜、風のように去って行く〜なイレギュラー達が出て行った方を見て、美沙がぼやく。そしてしばらくして、はっと思い出したように言った。
「しまった! あのビデオ取り返さないとヤバイじゃないか!」
 うぅ、あぁ、あんのバカヤロー!、と言いながら家具を押しのけて出口へと向かう。
「ほら、正吾も早く来いよ! 早くしないとあの人、ダビングしてしまうかもしれんだろっ!!」
 そう言って、美沙は正吾の返事も待たずにドタドタと走っていった。

「……いや、別に俺は残ってもいーんだけど」
 正吾は1人残された後、小さく呟いた。
 その顔は困ったように照れていて、出会い頭に「こんのお惚れ気ヤロウがぁ!」と殴り倒されても文句は言えないくらいだった。
「――にしても美沙可愛かったなぁ……。 続きは……また今度、だな♪」
 そのままの表情で、正吾は部屋を後にした。





 その“続き”が来ないのは、たぶんわかっていたけれど。
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