第4話 「過去の修正と心の修復」

「ね、紅。……フレア行っちゃったけど……朝ごはんどうする?」
「そうですね……しばらくして戻ってこないようだったら呼びに行きますか」
 フレアがロナと話した後、部屋を……家を飛び出していったのを二人は知っていた。キッチンの奥で、使った器具を洗っていたのだがその水の音にも負けないぐらいフレアが出て行く音は大きかった。
「……どうしたんだろうね……ぼ、僕ちょっと心配になってきた」
「大丈夫ですよ。あの人はそんなに弱くないはずです」
「違うよ!ロナも……ロナも心配だけど……フレアが心配なんだ……」
 ココロは苦しそうに顔を歪めて言った。小さい体だけれど、その表情は一人前の大人の顔だった。
 紅は、その姿を見て少し笑うと呟いた。
「私はフレアの事を言ったんですよ」
「……えっ?」
 ココロは驚いたように顔を上げる。紅とココロの視線が絡み合う。
「紅……フレアの事知ってるの……?」
 不思議そうな、そして少し怪訝な顔をしてココロが訊いた。
「えぇ、知ってますとも。 君の事も知ってるよ。君は……本当にあの人に似ている……」
「あ……あの人……?」
「ピスウィルタ=クロガゼル」
 紅はそう言うとココロの頭の上に手をかざした。手に光が宿り、ココロは眠りに落ちた。
 ココロが眠ったのを確認すると紅はその小さな体をソファに寝かせ一言呟いた。
「――全く、魔法に弱いのも……お前にそっくりだよ、ピス」



 * * *



 赤色に染まるバラ達。
 外見は美しく、そして優しい。しかし、その影には棘を持ち、知らず知らずの内に誰かを傷つける。
 薔薇に傷つける気がなかったとしても、傷つく誰かは無くならない。

 私はそっと手を伸ばし一輪のバラを手にした。紅く、紅く……どこまでも染めていくような……血のような赤。
 勝手に摘むのは悪いことだがそれすら私には考えることが出来なかった。
 ただ、ロボットのように体が動く。考える力が体に合わず、空回りした……。
「痛い」
 どうやらバラを摘む際に棘でやられてしまったようだ。指先にぷっくりと血が出てくる。
 どんどん出てくるので、丸く膨れた血は割れて重力に従い下へと落ちていった。
「……痛い……なぁ……」
 私はそれを見つめる。その血を止めようという考えは浮かんでこない。
 血が肌を滴り落ちるのが、やけに心地よくて――そのままバラを握り締めた。
「バラか……」
 呟くように言った後、無性に悲しくなって泣いた。
 何が悲しいのかわからない。
 でも、悲しかった。
 だから……泣いた。
 声は出さずに、涙だけを流して。

 ――よく考える事だ。君は恐らく紅より彼女を選ぶ――

「バカ、何言いたかったのかわかんねぇよ……」
 私の中の<私>に、そう悪態をつくと、バラの花を踏みつけた。茶色のブーツの裏側が汚い赤に染まっていく。地面とブーツに挟まれ綺麗で美しかったバラは、一瞬の内に汚物に変わった。
「わかんねぇよ……なぁ……答えてくれよ……お前は誰だ?

 ――――私は……誰だ?」

 涙が一滴落ちた。
 紅く、汚いバラの残骸の上に落ちたその涙はすぐに土に吸収された。
 その様子を見て少しだけ笑った。
 私が何をしてようと……涙は、雨は、水は、土に吸収され養分になるのだろう。
 けれど“私”という土は、私が水を与えてやらないと永久に養分をもらえない。
「もし、これが全部夢だったら可笑しいよな~……」
 わざとふざけたようにして独り言を言ってみる。
 その声は響く事もなく、私の耳に届いた後、世界から消えた。
「夢なはず……ねぇよなぁ……」
 私が自分の意志であの場所を出てカケラ探しをはじめたのを私は知っている。願いをかなえるため……か。
「かなうはずないってのか?こんなところで躓いてちゃ無理ですよー……ってか……?」
 その声もまた、一瞬の内に世界から居なくなった。
「……くそっ」
 私は座り込むと土の上に仰向けになって寝転んだ。そして、そのまま眠ってしまった。



 * * *



『誰が、バカだって?』
 ――声がした。やけにリアルな……声……。
『起きろよ。精神体が寝てたら話出来ないだろーが』
 ――は?精神体? ンなもんしるか……。
『起きろっつーのがわかんねぇのか!!』
 ――あー、もー、煩い……寝かせてくれ……。
『……起きないつもりならそれでいいけどなー、後悔すんぞ』
 ――後悔?ははは、今更……何を後悔するっていうんだ……。
『全て。にだよ』
 ――全て……?
『そうだ、見つけ終わった後に絶対に後悔する……』
 ――見つける……って何をだ?
『忘れたのか?呆れたヤツだなー。全く……起きたらちゃんと行っとけよ?』
 ――……どこに行くんだよ……。さっきから人の眠り妨げやがって……。
『10年前、お前も見てた……だろ?』



 * * *



 目を開けた。そこには冴え渡るような、蒼い空。雲ひとつない、眩しすぎる空。
「10年前……」
 夢の中でそんな事を言っていたような気がする……。10年前……私が4歳……5歳の時か?
 私は思い出した。
「そうか……そういう事……か」
 10年前は『彼女』がロナの前から姿を消した時だった。
「連れて来いってことか……。それで紅と選ばせる……ってか?」
 呪文を唱えた。そして、言霊を解き放った。

「アルカ15年 夜半月十日ハルスへ」




 ◆ ◇ ◆




 ドスンッ
「痛い……」
 はじめにあの場所へ来たときもこんなんだったなー。っと……今回は上手く行ったのだろうか……?
 確かめるために辺りを見渡すと、そこはさっきとは全然違う風景だった。家が立ち並び、人は居ないものの気配がそこらじゅうにあった。
 そして、目の前には大きな屋敷。
 門柱には『ウィルナー』の文字。
「此処か……」
 ロナの本家、ロナの家族とロナと……『彼女』がいるところ。私は人目につかぬ様、小走りで屋敷の前を駆け抜けた。
 屋敷の前を駆け抜けた時、誰かが見ているような気がしていた。視界の端に綺麗な『紅』が移る。

 (紅……?)

 けれど、それはきっと紅ではなく、恐らく……『彼女』。
 私はその存在を確認しながら裏手に回り、花壇を一望出来る場所に身を潜ませた。

 両手に花を持った少女が訪れた。歳の頃は今の私と同じくらい……。ロナの話と合う。
 ――彼女だ。
 それからしばらく耳を済ませていると声が聞こえた。

「ありがとう さようなら」

 え、これって……ちょ、ちょっと待てよ。ロナの話だとこの後消えちゃうんじゃ……っ!
 私は見つかることも忘れ茂みを飛び出した。案の定二人に見つかり、去ろうとする彼女とロナに見られた。
「き、君は誰?」
 ロナが、10年前のロナが相変わらずの口調で訊く。
「私は……えーっと……その……」
 私は返答に困った。今名前を言ったら未来に関わるんじゃないかと思ったからだ。これから先、関わらない世界の未来では……ないのだ。
 ところが、そんな心配をよそに、思ってもみない言葉が口から出た。
「私は紅って言うんだ」
「紅……?」

 なっ!また出てきやがったのか?!しかも紅の名前を語りやがってっ。

 私が返答に困っていると、もう一人の私が勝手に答えた。二人はその名前は信じたようだが、存在自体はまだ信用されてないようだった。
「あの……あたし、もう行かなきゃ……」
 彼女が焦ったように言った。そうだ……彼女にはもう時間がないはずなんだ……。
「え……、ちょっと待ってくれよ、リミナ!!!」
 ロナが我に返ったようで少女……リミナの腕を引く。
「離して……お願い!! 時間がないのっ!」
 けれど、リミナはそれを振りほどくと、ロナから離れた。
「時間……? 時間って……何の事だよ」
 ロナは呆然とその場に立ち尽くした。
 リミナは、黙ってバラを一本出現させると、言った。

「ありがとう。ロナの事は絶対忘れないよ。 でも……ロナはあたしの事……忘れてね……?」

 リミナはそのバラを地面に置くと逃げるようにその場を去った。
 ロナは追いかけることもせず……いや、出来ずに居た。
 私は目の前で繰り広げられる現実を見て、少し怯んだ。一体……どうすればいいというのだろうか……?

 (バーカ、早く行けよ)

 頭の中で声がした。……またか。従うのは癪だったが私はロナを見た後、リミナの後を追いかけた。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……うっ……げほげほ……」
 リミナは走っていた。脇目も振らず、走り続けていた。ただ、前を見つめて……走り続けていた。
 私はその様子を少し離れて見ていた。

 ――そう、見ていたのだ。
 ――この場面、……以前にも……。

 この後、私の中の記憶が正しければリミナは川に身を……投げる。

 橋まで来た。
 私は死なせることだけは、それだけはさせることが出来なかったから、咄嗟に橋に行こうとした。けれど、体が動かなかった……何故っ?
 (少し、待ってろ。あの時とは……違うから)
 あの時?……けど……もう橋に着いてる。後少しでリミナは、川に身を投げてしまう……っっ!!
 (待つんだ。今は力を使うことは出来ない。……後少しで……)
 後少しでリミナが死んじまうだろ!! 早く行かなきゃ、助からないっ!!!
 半ば泣きながら私は<私>に言った。

 (来た)

 来た?誰が……来たって言うんだよ。
 私は体が動かないので橋を確認出来なかった。けれど、突然戒めが解け、体が橋の方を向いた。
 橋にはリミナと、同じような色の髪をした男性……紅が居た。




 ◆ ◇ ◆




 そこから先は、何が起こったのか覚えていない。私は、強制的に元の時空に戻された。
 目を開けると飛び込んできたのはバラの赤。アルカ25年、10年後の世界だった。
「何だよ……行った意味ないじゃないか……」
 自嘲気味に呟く。目から涙が溢れた。
 でも、此処でずっと泣いてるわけにはいかなかった。
 謝ろう。
 さっきからそれほど時間が経っている事もなさそうだった。
 私はバラの中から起き上がった。

 そして、異変に気がついた。

 10年前に行く前、バラ園の中心に位置するロナ達の家は普通の民家だったはずだ。
 しかし、今此処にあるのは大きな屋敷だった。
「あ……れ……?この家って……ウィルナー家の屋敷じゃん……」
 そう、此処は私がさっき見てきたウィルナー家の屋敷だった。幾分古くなっているものの、それがまたいい味を出している。
 私はしばらくその場から屋敷を眺めていた。そして、屋敷の入り口にオレンジ色を見つけた。ココロだった。
「フッレッアーーー!!!」
 両手を口に当て叫んでいる。ココロが居るという事は……やっぱり此処は25年か……?
 兎に角一人で考えていても仕方ないので私はココロの居るほうへ歩き出した。

「もう、フレアってば。朝ごはんに遅れちゃうよー。僕楽しみにしてるんだからね! ホラ、早く!!」
 腕を引っ張られ、私は苦笑しながら屋敷の中へ入った。
「なぁ、ココロ。 紅はどうしたんだ?」
 ココロが紅と居たとは限らないが……私は変わる前の世界を考えて、ココロに訊いた。
 けれど、ココロは不思議そうに首を傾げると言った。
「紅って誰?」
「は……?お前、何言って……。 ま、まさか紅……居ないのか……?」
 私はココロが言った言葉を否定しながら、一番嫌な事を考えた。紅は……もう居ない。
「兎に角!朝ごはん! 皆、もう待ってるんだからっ!」
 私はココロに後ろからせっつかれ、食堂と思われる部屋へと行った。そこにはテーブルがあり、その大きさといったら、片側15人ぐらい座れるんじゃないかと思うぐらいだった。
 その上座、そこには、ロナによく似た男性が座っていた。ロナのように見えるけど……?

「フレア」

 男性が口を開いた。
「いや……もう、紅……なのかな?」
 私はその言葉に一瞬固まった。それを知っているという事は、彼がロナだという事だった。
「ロナ……?ロナなのか……?」
 思わずロナの近くへ駆け寄り、その姿を見た。その姿は随分と変わったようだった。着る服も、髪型も、その堂々とした雰囲気も。
「お帰り」
「た、ただいま……」
 少しの間ロナを見つめていた。彼は随分と変わったようだった……が、その笑顔は変わっていなかった。
「ありがとう。 紅」
 ロナは言った。
 衝撃が走る。
「違うだろ……? な、違うだろ? 私は紅じゃない。……お前の紅は他に……居ただろ?」
「フレア?」
 ココロが横から心配そうに顔を覗き込む。私は『大丈夫だ』と言うと、またロナを見た。
「リミナは?」
「……もうすぐ来るよ」



 リミナはすぐに来た。綺麗なドレスに身を包んだその姿は美しかった。赤色の髪に、赤色の瞳。優しげに微笑むその姿は幸せそうだった。
「ごめん……ちょっと、外、行って来る……」
 私は気分が悪くなり、許可を貰ってベランダに出た。
 風が心地よかった。

「紅は? なぁ、知ってるんだろ?教えろよ」

 私は<私>に訊いた。けれど、返事は返ってこない。
「はっ、肝心なところで黙秘か?……ふざけんじゃねぇよ……」
 手すりを力いっぱいに掴んだ。その手に涙が滴り落ちた。

 ――よく考える事だ。君は恐らく紅より彼女を選ぶ――

「確かに……。ロナは紅より彼女をとった……」
「紅は居なくなった」
 <私>は答えてくれなかった。私はここで、大事な事を思い出した。
「カケラは……?」
「カケラはどうなるんだ?」
 ロナがリミナに貰った花から生まれたカケラ。でも、此処にリミナがいるという事は――カケラがないという事――??
 その時、後ろから声をかけられた。
「フレアさん」
 リミナだった。
「リミナ……」
「お隣、いいですか?」
「あ、うん」
 リミナは隣に来ると同じように空を見上げた。朝日……とは言いがたいが、日に照らされたその姿はとても綺麗だった。
「……紅は……もう居ません」
 リミナが口を開いた。

「居ない?……リミナは何か知ってるのか……?」
 あまりに突然の発言だったので、私は信じられずに訊いた。
「何故いなくなったのかはわかりません。けれど……もう居ないんです」
 ぽたっ
 手すりに涙が落ちた。
「ごめんなさい……たぶん……あたしのせいなの」

 リミナは話してくれた。
 あの橋で紅に会ったこと、彼が魔法をかけてリミナを助けてくれたこと。
 それによって、彼自身が消えてしまったこと。
 最後に、カケラをリミナに託したこと。

 リミナは話し終えた後、小さな小箱を取り出し私にくれた。
「紅が貴女に……って」
 小箱を開けるとそこにはアカノカケラが入っていた。

 綺麗に輝く赤色の宝石。

「そうか……。ありがとう、話してくれて」
 私は小箱を閉じると、リミナの方を向いた。
「ロナは紅の事知らないんだよな?」
「えぇ、恐らく」
「それなら……いいんだ」



「それじゃ、お世話になりました」
 私たちはその日の内に元の世界、時空へ帰ることにした。――目的を果たしたからだ。
「また、いつでも来て下さいね」
 リミナが言った。
「うん。 また来るよ」
 私はそう答えると、もう一度ロナとリミナを見て言った。
「お幸せに」
 二人はにっこりと笑うと「ありがとう」と言った。
「じゃ、行くか。 な、ココロ?」
「うん!」
 私はココロの手をとり呪文を唱える。帰るべき時空を伝えると、術が作動し、私たちを元に戻した。




 ◇ ◆ ◇




 目を開けるとそこは3日前に出てきた宿の一室だった。
 時間は、此処を出たすぐ後の時間に戻ってきたので、この世界では20分経ったか、経たないかぐらいだろう。
「帰ってきたんだね……」
「……あぁ」
 私たちは床に座り込み、少しの間思いにふけった。すると、ココロが口を開いた。
「あのさ、フレア。 ロナがね……紅に会ったらよろしく言っといてくれ……って言ってた」

 私は一瞬、ココロの言ったことが飲み込めなかった。

 けれど、望みを託してココロに問いをかけた。
「……ロナ……覚えてたのか?」
「うん、フレアとリミナがベランダに出てたときにね、突然気分悪くなって――それが治ったら思い出してたみたい」
「……そっか……。ってココロも覚えてたのか?」
「あったりまえでしょ!! 僕を何だと思ってるの!」
「で、でも私が『紅は?』って訊いたとき『誰?』って言ったぞ?」
「……そ、そんな事言ったっけ?」
 ココロは頬をかきながら言った。
「ま……いいけどな。 今は、思い出してるんだから」

 私は立ち上がると部屋の窓を開けた。 空が……綺麗だった。
「とりあえず、アカノカケラは手に入れた」
「うん」
「これから、頑張らないとな」
「うんっ!」



 遠く離れた世界にいる二人と、どこか、遠く離れた場所にいる一人に。心からの感謝を。

 そして身近にいる一人にも心からの感謝と、とびっきりのお礼を。

 一番近くにいる誰かには――ありがとう。
 ――どういたしまして



 7つのニジノカケラ。 1つ、手に入れました。
 棘を持つ薔薇は時に誰か傷つけるけれど、何時も、その姿で人を癒してた。
 自分の事しか考えてない……なんて言って……ごめん、な。