モモイロ 桜色 ピンク 
アカに白を足し薄くなった色
その色は季節にハルを告げる色  その色は人を成長させる色
――その色は願いをかなえる色
願いをかなえよ、モモノカケラ。

第2節 モモノカケラ “ 桜貝の願い ”

 それほど遠くない過去、それほど遠くない未来。
 そこにマイとナオキがいた。

 マイとナオキは幼馴染というやつだった。
 しかし、マイはそれ以上にナオキの事を思っていた。
 マイもナオキも17歳。もう子供とは呼べない、大人とも呼べない年齢だった。
 幼稚園、小学校、中学校まではずっと一緒の二人だったが高校で分かれることになってしまった。ナオキは秀才で遠くの進学校に行き、マイはそのまま近くの高校に入った。

 離れたくなかった。ホントは同じ高校に入りたかった。――でも私は、行けなかった。

 マイは高校に入ってからというもの、そればかり思っていた。
 幼馴染、そういう関係、それだけの関係、結局は他人。
「小さいころは何も考えずによく遊びにいったな……」
 マイは隣のナオキの家を見て小さく言った。
「今は何も考えずにいくなんて出来ないね。学校はどうなの?友達は出来た?――彼女は出来た?
 悲しいな……会いたい……」

 次の日は休日だったのでマイは久しぶりに家の近くにある海にいった。
 今は初夏といってもまだ寒い。泳げるわけではないのだがなんとなく、海を見たかった。
 家からも見えるのだが、直接見たかった。

 海だけを見たかった。

「あーもう夏なのかー。 ナオキと違う環境に入って、これで2回目の夏」
 独り言だった。いや、独り言のつもりだった。
「あ?何言ってんだ? とうとう勉強に参って、頭おかしくなったのかなマイちゃん?」
 その低くなった声。ちょっと意地悪な言い方だったが、紛れもなくナオキの声だった。

「ナオキッッッ!!!!?」

 マイは呟きを聞かれたことが恥ずかしかったが、ナオキに会えたのが嬉しかったからすぐに後ろを振り返った。
 ――ナオキは女の人と一緒にいた。
「こんにちは」

(鈴のような声って、こういうこと言うんだ)

 マイはそう思った。
 ナオキの横にいた女の人はナオキの高校の制服を着た漆黒の長い髪の美人だった。
 端正な顔立ち、すっきりと通った鼻筋や大きく開かれた瞳、背の高いナオキの肩にいくかいかないかの身長。

(……・・お似合いの二人だな)

 そう思った。 切なかった。 苦しかった。

「おぃマイ? どうかしたのか?」
 ナオキが黙ったまま突っ立ったマイを心配して、声をかけた。
「えっ? 何?」
 マイは今にも泣き出してしまいそうだったが、なんとか堪えて笑顔を作って、そう言った。
「あ、いやなんでもないんだけどさ。 なんかぼーっとしてたから……ってお前どうしたんだよ」
 ナオキはちょっと変な顔をした。
 マイは笑えてなかった。
 いや、笑えていた――けれど、それはとても悲しい笑みだった。

「ごめんね。 私ちょっと用事あるから行くね。 バイバイナオキ」
 ナオキが何か言っていたがそれも聴こえないようにマイは走り出した。
 海へ向かって。


 ――なんで後ろ振り返っちゃったんだろう。
 ――なんで海を見たいなんて思ったんだろう。
 ――なんでナオキと違う高校なんだろう。
 ――なんで……なんで、私はナオキが好きなんだろう。

 ――こんなに切ないのに。
 ――こんなに胸が張り裂けそうなのに。

 ――悲しすぎるよ……。
 ――何も伝えていないのに。
 ――この気持ち、伝えることも許してくれないの……?


「ハァッ、ハァッ」
 どれくらい走ったのだろうか。
 いつの間にかマイは海に出ていた。
 海を見るとますます切なくなった。悲しい、切ない、胸の痛みに押しつぶされそうだ。
 マイは泣いた。
 声をあげずにひっそりと。

 家を出てから、海に着いてから……かなりの時間がたった。
 けれど、この痛みを癒してはくれなかった。
 マイが家を出たのは午前中。もう、日は沈みかけていた。
「夕日が綺麗だな……」
 マイはもう泣き止んでいた。

 もうナオキのことは忘れよう、そう思った。
 でも、しばらくは忘れられないのをマイが一番わかっていた。
 だからこそ、そう思わなければ切なかった。

 砂浜に下りると昔の記憶がふと蘇った。

 ――皆さんは、桜貝の事を知っていますか?
     桜貝っていうのはね、ピンク色をしたとても綺麗な貝なんだけれどなかなか完璧な状態で見つけることが出来ないの。
     だからね、ちゃんと、どこもかけていない桜貝を見つけたらお願いをして御覧なさい。 きっとその願い、かなうわ。
 ――先生は何か、お願いしたの?
 ――私?えぇしたわ。 私のした願いはね……


「私のした願いは、この薬指にはまっている物をくれた人と結婚すること」
 マイは無意識に言葉を紡いだ。
 これは、マイとナオキが小学生の時担任の先生に教えてもらったことだった。
(あの頃は完璧な桜貝を見つける為に毎日放課後に友達と一緒に海岸を探し回ったなー。――結局見つからなかったけど)
 あの時は「願い」があった。
 必ずかなうという先生の言葉を信じて「願い」を信じて。

 でも……今は、かなうはずのない、願いになってしまっていた。

「あれっ?今何か光ったような……。」
 確かに、波打ち際で何かが光った。
 マイはその光った場所へと歩いていった。

 そこには桜貝があった。完璧な形のものが。

「今ごろ見つかるんなんて……酷いよ」
 マイは思った。 悲しい事実を。 切ない自分を。
(これが昨日だったら私すごく喜んだんだろうなぁ)
「でも今日はもう喜べないや。」
 笑った。 悲しい気持ち押し込めて笑った。 泣いて笑った――


「おーい何してんだよ。もうそろそろ帰んねぇと、おばちゃん心配すんぞ」
 ナオキだった。
 もう暗いのと泣いてるのとで顔は見えなかったがまぎれもなくナオキだった。
「お前……何泣いてんだよ。 何かあったのか?」
 その表情は、声は、優しくて、悲しくてマイの涙は止まるはずもなく零れ続けた。

(桜貝がね。 見つかったんだよ。 もう願いがかなわないとわかってから見つかったんだよ)

 マイはそう心の中で言った。そして、ぎゅっと桜貝を握り締めた。
「ん?お前手に何隠してんだ? っ!! もしかして切ったのか? 見せてみろっ!!」
 ナオキはマイの手を取った。手を開いた――
「こ……れは桜貝……?」
「あげる。ナオキにあげる。私の願いもうかなわないから」
 マイはナオキに桜貝を押し付けた。溢れる涙は止まらない。例え涙は出ずとも心ではもっと泣いている。

 ――願いかなわないから――

 そう言った。もう言ってしまった。
「かなわない?昔あれほど桜貝を探したお前の願い、もうかなわないのかよ?」
 ナオキが言ってきた。少し怒ったようにあきれたように。

(そういえばナオキにはいっつも探すの手伝わせてたんだっけ)

「……ごめんね。でもかなわないの。ナオキにあげる。 彼女と幸せになれるよ」

(彼女、彼女、彼女。そう私の願いはナオキの彼女になること。
 ずっとナオキと一緒にいたい――それが私の願いだった。小さいころからの……願いだったの……)

 マイは心の中でそう呟くとサッと立ち上がって歩き出した……・歩き出そうとした。
 だが、マイが歩き出そうとした時、ナオキがマイの腕をつかんだ。
「なっ、なにするのよっ、離してよ!!」
 マイは捕まれた腕を振り解こうとした。しかし、ナオキは振り解かせず、掴んだままこう言った。
「彼女?誰だよ、それ」
 低い声だった。
「誰って……彼女でしょ今日の女の人……。なんでそんなこと言うのよ」

(そんな……そんな酷い。わかりきったことなのに……)

「彼女でしょ? 彼女なんでしょ? だからこの桜貝にお願いすればいいじゃない、『彼女と幸せになれますように』って……、『上手くいきますように』って……!!」

(なんで私がこんな事言わなきゃいけないのよ……)

 マイはもう何もかもぶちまけたかった。何もかも言ってしまえば楽になれる……。
 そう、思った。
「彼女……そう彼女よ。私、昔ナオキに手伝ってもらって桜貝探したわ。その願い……ナオキには言ったことなかったよね。
 ――私の願いは……私の願いは……ナオキとずっと、ずっと……一緒にいること」

(言ってしまった。でも言ったところでかわりはしない、ナオキに彼女がいるということは……)

 マイは自分の思っていたことをぶちまけたことで、もう何もどうでもよくなっていた。
「ナオキ。そういうことだから。彼女とお幸せに……」
 そう言って、今度こそ歩き出そうとした。

「………………なんでそうなるんだよ…………・。」
「……え?」

 歩き出そうとしたマイに、ナオキの声が聴こえてきた。
「なんでそうなるんだよ。なんのために俺が今まで……っ!!」
 そう言うと、ナオキはマイの方に振り返って半ば叫ぶように、言った。

「俺は……俺は……俺は!! お前のことが好きだ!!

 ずっと好きだった。お前は知らなかったかもしれないけどな。
 ……だからこの桜貝は受け取れない。受け取ったとしてもマイが言ったようなことには使わない。
 ――俺もお前と一緒にいたいんだ」

「え……? でも、彼女は……?」

(そうだよ。今日一緒にいたあの女の人は、彼女じゃないの?)

 マイはナオキの言っている意味がわからなかった。わかってはいたけど……あまりにも自分の考えていたことと違っていたから……。
「あいつは彼女なんかじゃない。俺の兄貴に会いに来たんだよ。同じ学校だし、行く場所は一緒だからって……俺は嫌だって言ったんだけど。もしお前が見たら……お前に誤解されたら嫌だから……」
 そう言ったナオキの頬は少し紅くなっていた。
「だっ、だぁら!!これ返すって言ってんだよ!!!」
 ナオキはマイの方にグイッっと手を突き出して言った。
 やはり、頬は紅かった。
「う……うん」
 マイもナオキに負けず劣らず紅くなって、ナオキの方に向かって歩き出した。……しかし途中で止まる。
「ナオキ……さっきの言葉って本当? 私が泣いてたから……とかいうのじゃないんだよね?」
「あっ当たり前だろ。誰がンな理由でこんなこと言うかよ。俺はお前が好きだ。ずっと一緒にいたい。
 ……・・ってお前こそどうなんだよ。」
「え。私……?わ、私もさっき言った通りだよ!!ナオキとずっといたい。
 ……・・ナオキのことが好き、大好き」


 マイがそう言ったとたん、ナオキの手の中の桜貝がポウッ、っと光った。
 その時間は長いようで短かった。
 光ったその後には、もう桜貝はなく、小さな石のようなものがあった。
 たった今まで、手の中にあった桜貝と同じ色をした石だった。
モモノカケラ
その色は、ココロにハルを告げる色
その色は、思いを告げる色
すれ違っていた2人を一緒にした約束のカケラ
それが、モモノカケラ