カチャ
 無機質な音を響かせて部屋に入る。中にはアグレスとセシーク、そしてリスカが居た。
「どうだったんです、大尉?」
 アグレスがすかさず訊いてくる。俺はちょっと肩を竦めて見せた。
「完璧に疑われてるな。とりあえずは誤魔化したけど」
「……そう、ですか」
 ぽつり、と呟くようにリスカが言った。
 俺は一瞬考えた後、彼女に話しかけた。
「リスカ、ちょっと話があるから――10分後に俺の部屋に来てくれるか」
「おぉぉっ!大尉ってばそんなに早く口説いちゃうんですかぁっ?!」
 そう言ってくるだろう、と予測していたのでサラリと聞き流す。
「いいな?」
「……はい、わかりました」
 視界の端で彼女が頭を下げたのを確認して、俺はその部屋を後にした。



 コンコンコン
 ノックの音がして、次に声が聞こえた。
「ピアレイです」
 俺は「入ってくれ」と言って、彼女を中に入れた。

「そこに座って、待っていてくれ」
 話が長くなるかもしれない、と思い別室にある小さなキッチンへと向かう。そこでティーバックの紅茶を淹れ、適当なお菓子を持って部屋に戻った。
「あ、すみません!私が用意すべき物ですのに……」
 慌てて立ち上がってトレイを持とうとするリスカを制して、ソファに座らせる。
「いいんだよ。別にティーバックだから簡単だし」
「しかし……」
 それでもまだ言い縋るリスカの前に紅茶を置いて、俺もソファに腰掛けた。
「いいから。――君に、聞きたい事があるんだ」
 間を置いて言った後、表情を覚られないように、わざと紅茶カップを持つために顔を下げた。
「……な、んでしょうか?」
 焦った声に、疚しいことがあるのだろうか、と考え、でも俺にもいっぱいあるじゃないか、とまた考えた。
「いや、別に大した事じゃないんだ。ただちょっと気になってね」
「……」
 俺の顔を正面から見つめた彼女に、俺もまた見つめ返した。
「――なぜ、この隊に入ったのか、を教えて欲しいんだ」
 彼女が顔を背けるよりも早く、目線を落として波紋が広がる紅茶を見た。
「君にはまだついてきてくれる部下が居るのだろう?なのに、なぜ、こんな所へ来たんだ」
「そ、それは」
 それだけを言って、彼女もまた目線を落とした。
 しばらく沈黙のまま、紅茶を啜る音だけが聞こえていた。
「大尉は……――約束を守ってくれる方ですよね?」
 突然、リスカがそう問いかけてきた。
「無理のある物じゃなければ、必ず守る」
 話してくれるのだろうか、と思いながら答えた。
 その答えにリスカは泣きそうな顔で、でも笑って言った。

「誰にも言わないでくださいね。――実は、あの時の試験官にセクハラされまして……」

 ――……はい?
「せ、せ、セクハラっ?!」
 予測範囲外だった答えに思わず声をあげる。
「それでその――反射的に魔法を発動してしまいまして……」
「……そのせいで、階級が落ちたのか?」
 けど階級が落ちたからって、それが隊を異動した理由にはならない。
「だから、そんな上司は彼らには可哀想だと思いまして。その上、上司の階級が下がったら……部下に申し訳なくて」
「――もう部下を持つのが嫌だって事か?」
 彼女が言いたいであろう言葉の裏を引き出して、そう言った。
 でも力なく笑って、首を振った。
「いえ、嫌なんじゃありません。ただ、こんな上司についてこなければならない彼らが可哀想で、それに私自身、上に立つのは苦手なんです……」
「そうか……」
「はい」
 何処かすっきりしたような声で返してきた彼女を見て、俺は人知れず息をつく。
「それじゃ、これからはそんな思いしなくて済むだろうな。――でも、その事をちゃんと部下に話してから来たのか?」
「……言って、ないです」
 リスカはまた顔を曇らせた。
「ちゃんと言ってこなくてはダメだろう。それに俺が聞いた話だと君の元部下達はまだ誰の下にもつかないで、事務の仕事をやっているそうだ。……本当にこのまま、俺の下に居てもいいのか?」
「……」
 黙ってしまった彼女に、少し居心地の悪い気持ちを感じて、頭を掻いた。
 しばらく口を開くのを待っていたが、何かを考えているのか彼女はずっと黙ったまま。
 俺は耐えかねて一つ提案をした。
「――俺の隊はリスカが入った状態でもまだ人数が他の所より少ないんだ。……だから、上に頼んで君の元部下達も入れて貰う事が出来るかもしれない」
 俯けていた顔が上がった。
「いや、まだ言ってみないとわからないけどな。……出来る可能性がある、という事だ」
 ちょっと照れくさくなって大げさな動きで腕を組む。そしてリスカの方をちらりと見た。
 彼女は驚いたようにこっちを見ていた。
「……リスカ?」
「ほ、本当ですか、大尉?」
 がしっ、と俺の手を掴んで、かなりの至近距離まで顔を近づけてくる。
「あ……りがとうございます!本当にっ……ありがとうございます!!!」
 部下達の事が気になっていたのだろう、彼女はその瞳に涙を浮かべて、俺に礼を言った。
 俺はというと、至近距離で見た彼女が余りに綺麗だったからか、いつもよりもかなり早い心臓の鼓動に戸惑っていた。

「それじゃ、彼らの事よろしくお願いします」
 深く頭を下げて、彼女は部屋から出て行った。
 思わずため息をつく。
「……でも今の状態じゃ上に言ってもどうなるか……」
 そこまで呟いて、紅茶のカップを手に取った。そして残り少なかった紅茶を飲み干して、手を付けられなかったお菓子へと手を伸ばす。
「――出てこないのなら、俺が全部食べちゃうけど?」
 ぽんっ、とお菓子の袋を宙に投げた。
「ヤだなぁ。いつから気づいてたんですか?」
 その袋を受け取りながら、アグレスが部屋に入ってきた。



「紅茶を淹れにキッチンに行った時から。何となくおかしいな、と思ったんだ」
 まぁ、座れよ、とさっきまでリスカが座っていた場所を勧める。アグレスは笑顔を貼り付けながらソファに腰掛けた。
「いや、しかし、大尉もなかなか男前ですね。僕ドキドキしちゃいましたよv」
 心にも無い事をサラリと言ってのけるこいつは、相当裏があるように思う。俺はそれがこの3年間で嫌という程わかっているので、「それはどうも」と軽く流した。
 アグレスは「つれないですねぇ」と言った後、お菓子の袋を開けながら小さい声で話しかけてきた。
「でもあんな事言っても良かったんですか?今の大尉の言葉じゃきっと上は通してくれませんよ。……昨晩、あんな事があったばかりですし」
「わかってる。でも前から、もっと隊員を増やせって言われてるからな、それを盾に言ったらどうにかなるんじゃないかと思ったんだ」
 差し出してきたお菓子を丁重に断りながら、俺は続けた。
「それに証拠がないんだし、上も相当危ない事やってるみたいだから……大丈夫なんじゃないかな、ってね」
「――まぁ、大尉がそう言うのなら大丈夫なんでしょうけど。ジェスリータの方から色々けしかけられてかなりイライラしてますからね。絶対に煽るような事だけはしないでくださいよ」
 喋りながらもすごい速さでお菓子を平らげる。
 そして空になった袋をゴミ箱に投げ捨てると、胸ポケットから小型PCを取り出した。
「何かあったのか?」
 ソレを俺の前に出すことは滅多にないので、少しの不安が胸をよぎる。
「ちょっと貴重な情報を手に入れまして」
 通常のものよりも格段に小さいキーボードを叩きながらアグレスが言った。
「……?」
 俺は疑問を感じながら、無言で移動し、アグレスの横に座る。
 そして画面に映し出された多数の文字列を眺めるが、全く意味がわからなくて、やっぱり元の位置に戻った。
「実はですね、今朝マスティル大佐に大尉が呼び出された時に、いざとなったら脅し返せるようにデータをハッキングしてみたんです。……え?いや、今回は絶対にバレてませんよ」
 ハッキング、という言葉を聞いて顔色を変えた俺にアグレスは淡々と言ってのける。
「そしたら意外な情報が手に入りまして。――っと、これですね」
 そう言って、画面を俺に見えるようにこっちに向けた。
 ――一瞬、目を疑った。
「嘘……だろう?」
 その画面に出ていたのは、“国王暗殺”の4文字。そして既にこの軍にスパイが入り込んでいるということ。……上層部はそれを知っていて、黙認しているということ、だった。
「全く困りますよね、勝手に暗殺なんかされちゃ。僕らの給料とかどうしてくれるつもりなんでしょう」
 いつも軽口でアグレスが笑う。
「上は、何で黙認なんて……」
 余りに大きい衝撃に、アグレスの言った言葉なんてちゃんと頭に意味のある物として入ってこなかった。“暗殺”なんて、何でまた。
「まぁ、僕が思うに。将軍が戦うのが嫌になったんじゃないですか、こっちも、あっちも。だからてっとり早くボスを潰して、それを理由に戦争を終結させる、とか。何でこっちの国王になったのかはわかりませんけど、人柄から見ても、どう思ったってこっちが悪役だから、仕方ないんじゃないですか?」
 あくまで僕の考えですけど、と肩を竦める。
 それでもまだ呆然として、働かない頭。アグレスは大げさにため息をつくと、画面を自分の方に向けた。
「言っておきますが、これはまだ確実な情報じゃありません。だから、ただの噂に過ぎないかもしれないんです。ただ、上に疚しいことがあって、これが本当なら……部下を3人増やすくらい、わけないでしょうね」
 あ、でも大尉がやると即刻闇に葬られちゃいそうですねぇ、そう言って笑う。
「兎に角、これはあくまで可能性の一つに過ぎません。国王が暗殺されるにしろ、戦争が終わるにしろ、僕らには戦う事しか出来ないって事ですよ。そして、とりあえず考えるべき事は、その戦いで一緒に動く仲間を増やすか、増やさないか、です。 上に言うのは大尉にお任せしますが、何かあったらすぐに言ってください。手札に強いのが揃ってるのはこっちの方ですから」
 パタン、と小型PCを畳み、右ポケットに仕舞った。そして俺の肩を叩くと、
「まだ時期じゃないですから、本当に起こったとしても3ヶ月は先です。だからリスカさんと思う存分イチャついてくださいね、大尉v」
 と、にこやかに言った。
 その言葉で頭のフリーズが解けた俺は、頬が一気に熱くなっていくのを感じて、
「――よ、余計なお世話だ!!」
 にこやかに笑い続けるアグレスを部屋から追い出した。



 * * *



「あの時にあの人達を殺したのは、知り合いだったから、ですか?」
 ふいに落ちてきた声に彼女は思わず顔を上げた。
「“何の事”って顔してますね。……隠しても無駄です。何でも、知ってるんですよ」
 問いかけた彼はにっこりと笑った。
 彼女は小さく息をつくと、肘をついた。
「……別に、知り合いだから、とかそういう理由じゃありません。ただ、チャンスだと思っただけです」
 何のチャンスかは、わかってるんですよね、と後ろを振り返らずに言った。
 彼は「勿論」と返した。
「かと言って、あんな風に殺すのは感心出来ませんね。第一、彼は殺さない程度にしておいて欲しかったと思いますよ。……まぁ、僕が思っているだけかもしれませんけど」
「……わかってます。でもアイツだけは、生かしておけなかった」
 震える腕をもう片方の手で押さえながら、彼女は呟いた。
 彼はその様子を見ながら、ドアノブに手をかけた。
「何にしろ、もうちょっと理性で行動を願いますよ、リスカさん」
 ドアは、音も立てずに閉じられた。



 * * *



 リスカと話した二日後、俺は再びマスティル大佐に呼び出された。
「おぉ、ジェイム大尉、よく来てくれたな。いや、なに、とりあえずそこに座りたまえ」
 前の時とは全く違う態度に深く疑問を覚えながらも、勧められた位置に腰を下ろした。 そして気づかれないように、さっと周囲を見渡す。――別に、二日前に来たときと何ら変わった様子はない。
「君はコーヒーは大丈夫かね?あ、いやいや、そこに腰掛けていたまえ。ティーバックだから簡単なのだよ」
 俺の部屋と同じように、別室にあるキッチンから顔を出した大佐の言葉に、思わず立ち上がる。けれどティーバックを手に、怖いくらいに上機嫌な(演技をする)大佐を見て、「ありがとうございます」と腰掛けなおした。
 その様子を見て、俺も二日前にリスカが来たときはあんな風だったんだろうか、と思って凹んだりもした。
「砂糖やミルクはいるかね? ん、ブラックでいいのかね」
 元来、甘いものが苦手な俺はコーヒーも当然の如くブラックだ。大佐も同じようにブラック派だったらしく、トレイにはソーサー付きのコーヒーカップが二つ乗っているだけだった。

「ところで大佐、話があるとの事なのですが……」
 目の前に置かれたコーヒーには手を付けず、姿勢を正してそう尋ねた。
 すると大佐は一瞬動きを止めて、「おぉ!」と言った。
「いや、この間の事を謝ろうと思ってね。どうやら私の思い違いだったようだ」
 明らかにおかしいです、と表現しているその早口に気づかないフリをして、俺は黙って聞いていた。
「実は昨日、偶然君の所のビ……――何といったかな?」
「ビガ、アグレス=ビガでしょうか?」
「そうだ、そのビガ君に会ってね。その時に彼に写真を見せて貰ったのだよ。後ろにテントが写っていて、君達の姿が収められていた。バーベキューは楽しかったかね?」
 早口で捲くし立てられた言葉は、聊か理解するのに時間がかかった。
 そしてやっと理解出来たとき、思わず不必要な言葉が漏れてしまった。
「あいつ、いつの間に……」
 作ったんだ、と続くはずだったんだが、それだけは何とか押し留めた。
「ん?どうかしたかね?」
「えっ、いえ、いつの間にそんな写真を撮っていたんだろう、って思いまして。全然そういう素振りを見せなかったものですから、驚いてしまって」
「はっはっは、それほどバーベキューを楽しんでいたという事なのだろう。……だから、その、疑ってしまってすまなかった。君達は本当に親睦を深めるためにキャンプに行っていたようだ」
 謝っていても、頭は絶対に下げない。それは上の物が下に対してとるお約束的な事であり、例外は無かった。第一、謝るというだけでも大事なのだから。
「いえ、信じて貰えたようで良かったです。あの、話とはそれだけでしょうか?」
 俺は“安心する部下”という演技をして、ほっとしたように微笑んだ。
「うむ。すまなかったな、呼び出してしまって。君の方は、何か困ったことなどないかね?」
 何かあるのだったら言いたまえ、とでもいう風に聞いてくる大佐に、俺はふと思いついて、ダメ元でも、と言ってみる事にした。
「……あの、実は」
「ん?なんだね」
「隊員を増やして貰いたいと思っているのです。入れたい、と思っているのは先日うちに入ったピアレイ少尉の部下だった者達なのですが……宜しいでしょうか?」
 俺の隊の隊員が他より少ないのは大佐も知っているはずだから、“隊員を増やす”という事では何も言われないと確信していた。しかしリスカの元部下となると、どうなるか――内心ビクビクしながら、そう言った。
「なるほど、私も君の所の隊員が少ないのはよく知っている。 いいだろう、私が許可する。確かピアレイ少尉の下に居た者達は事務をやっているんだったな。私の方から異動を言い渡しておくから、安心したまえ」
「あ、ありがとうございます!」
 余りの急展開に嘘じゃないよな、と思いつつも深く頭を下げて礼を言う。
「いや、なに、礼には及ばないよ」
 本調子になってきたのか、いつもの尊大な態度に戻ってきた大佐は、ふんぞり返ってそう返してきた。
 俺は早くこの事を他のヤツ等に……リスカに知らせたかったので、もう一度「ありがとうございます!」と頭を下げて、部屋を後にした。
 演技はやっぱり三流で何か裏があるのがバレバレだったけど、そのおかげで楽に隊員を増やす事が出来たのだ。あの三流っぷりもたまにはいいかもしれない、などと思ってしまった。