「……賭け……?」
 まるで一国の騎士のように跪き、手の甲に口付けをする。そして……言われた言葉。
「あぁ、賭けだ。 ほら、アスレア、昔の事覚えてるか?俺たちが初めて会った時のこと」
 そう言われて思い出す、昔の光景。春風に誘われて出かけた草原で、出会ったこと。花を――を貰ったこと。
「あの時、“花”、渡したよな?」
「……えぇ。貴方が偽りの花(レプリカ)って言っていた――」
「うん、それだ」
 リランは覚えていてくれた事が嬉しかったのか、少し照れながら頬を掻いた。けれど、すぐに表情を戻すと、両手をアスレアの前に出した。
「リラン?それで、“賭け”って……」
 その手を見つめながら、アスレアが訊いた。リランは頷いて、手をヒラヒラと振って見せた。
「今から、俺が二つの花を出す。
 1つは、昔あげたような偽りの花(レプリカ)。 もう1つは――本物の花(オリジナル)だ。一方は俺の作った物、もう一方は本物。……それはわかるよな?それを、一緒に出す。どっちが本物かは俺にもわからない。わからないように、術がかけてあるから」
 両手が微かに光ると、小さな紫の花が出てきた。チューリップによく似た、可愛らしい花だ。アスレアはそれを見て、ぎゅっとスカートのポケットを握り締めた。
「そ……それをどうするの……?」
「これを……アスレア、君に選んで欲しいんだ。 この二つの内、どちらか一つを」
 真剣な眼差し、両手に生んだ花の茎をそれぞれに持ち、アスレアに見せる。
「……選んで……そしたらどうなるのよ……」
「君が、俺の作った偽りの花(レプリカ)を選んだら、俺はすぐにこの場から消えようと思う。
 そして、これから先、一生、君の前には現れない」
「なっ……!」
「そして、もし君が……俺の作ったのじゃない、本物の花(オリジナル)を選んだら……。 俺は今すぐに君を攫って、何処か遠くで一緒に――暮らしたい……」
 自分の手の中に生んだ、花を見つめながらリランは言った。
 春風が吹いて、二つの花が揺れる。揺れ方は双方同じ。……何から、何まで一緒だった。
「な……に、それ……。 賭けってそれの事なの……?」
「……」
「やだ……嘘よね? ほっ、本当はどっちも本物とかそういうのじゃないの? ねぇ、そうなんでしょ?!私の事……試してるだけよね……?」
「……選んで……くれないか……」
 下を向きながら、すごく辛そうな声を出した。アスレアは思わずこみ上げてきた涙を拭おうとポケットからハンカチを取り出す。――と、ハンカチと一緒に何かが落ちた。リランがそれに気づき、すかさず拾い上げる。それは、紫の花を押し花にした、栞だった。
「アスレア……」
「あ、ごめん……。 ははは、えっと……押し花にしてね、使ってるの……」
 何時もの笑いとは違う、少し照れたような、それでいて嘲りが入ったような笑い。アスレアはすばやく受け取ると、ポケットの中にしまいこんだ。
「――ありがとう」
 リランは小さく呟いた。それは聞こえることなく、風と共に消えた。


「どちらか1つを指差すだけでいいんだ」
 こくん
「そしたら、俺は花に火をつける」
 こくん
「君の指したほうが燃えたら……俺の負け」
 ……。
「君の指したほうが残ったら……俺と……君の勝ち」


 アスレアは慎重に考えた。どちらも、同じにしか見えない。風が吹いたとき、揺れる方向も、葉っぱの向きも、紫の筋の入り方も――全てが同じに見えた。
「――こっち」
 そう言って指差したのは、アスレアから向かって左。リランの右手にある、花の方だった。
「こっち……で、いいんだな……?」
「うん」
 力強く頷くアスレアに、リランはどこか呆気にとられた様な表情をした。何故、この人は……こんなにも強いのだろうか……。そう、思わずにはいられなかった。
「何で……こっちに……?」
 自分でも全くわからない二つの花。試しに理由を訊いてみる。
「何でって……、こっちだと思ったから。 こっちを選んで、って言ってるような気がしたから」
 それでいいでしょ?、と小さく笑う。リランはその笑顔を見て、あぁ、そうだな、と笑い返した。二人の笑い声は次第に大きくなり、柔らかな草原に響いた。
「もし、これが燃えても、俺はずっとアスレアの事、好きだから」
「……“もし”なんてないわ。 あるのは、私の横に、貴方が居る未来だけ」
 それじゃ、やるぞ。手の中の花に力を加える。手は少しずつ赤みを帯びて、終いには炎が燃え盛った。丁度、手全体が炎に包まれている形になっている。
「これも、魔法なのね?」
 全然、熱くない炎に触れながらアスレアが言った。花はまだ――何も変わらない。リランはもう一度、力を加えた。炎はますます燃え盛り――1輪の花が燃え散った。





「ちょ、ちょっと、見えないわよギルガ!!」
「アルッ、俺だって全然見えないんだぞ! その無駄に高い背なら、もうちょっと後ろだっていいだろ! あぁっ、肝心なところが見えないなんて!」
「無駄に、ですってぇ?! ギルガが小さすぎるんでしょうが! やーい、チビッ!」
「なななな何だとぉ?! こんの年増!」
「ほほほほほほほほほほ、お姉さんになんて事言うのかしら!!」
「――お前等なぁ……」
 リランとアスレアが居るところから約200メートルほど離れた場所。草木が生い茂り、少し見ただけでは、昼夜問わず暗闇にしか見えないその場所に、3人は居た。
「あー……もう、お前等ワイドショー好きのオバハンかぃ」
 常人の目ではほとんど見えない、二つの影を必死で見ようと、ギルガとアルが苦戦していた。双眼鏡を作り出してみたり、相手を押しのけて、良い場所を確保したり……。ルカは当然参加していないのだが、後ろから見ているだけでも疲れているようだった。
 何故、此処に3人が居るかというと……まぁ、話すと長いのだが……。
「おぉぉっ?! リランが何か取り出したわっ!」
「えっ、何処っ!!?」
 ……実は、ギルガがピアスに向かって叫んだときに飛んできていたのだ。それで、ワイドショーズキノオバハンの如く、こうして野次馬しているわけである……。ルカはすぐに帰る、と言ったのだがアルに脅され、ギルガに泣きつかれたため仕方なく残っていたのだ。
「……おぃ、早く帰るぞ……」
 何回もこうして言っているのだが、尽く無視され、今に至る――





 まさか、自分たちの事を覗き見されているとは露知らず、リランとアスレアは燃え散った花を無言のまま見つめていた。とても、長い沈黙。風の音と、遠くで鳴く鳥の声しか聞こえない。
 燃え散った花は――右。
 アスレアから見て――右の花、だった。
「リラン……」
「アスレア……」
 二人して、信じられない、と言った様な表情で見詰め合った。アスレアもあれほど力強く答えていたと言うのに、本当に自分の予想が当たっていたのに驚いたようだ。震える腕を伸ばして、リランの服の袖を掴んだ。リランもまた、腕を伸ばした。アスレアの腰の辺りを抱きしめると、そのまま宙に上げる。その動作に一瞬戸惑ったアスレアもすぐに、両手をリランの肩にかけて、顔を近づけた。
「アスレアッ! 大好きだよ!!」
「私もよ、リランッ!!」
 そのまま、顔を近づけていき――二人は、唇を合わせあった。



 * * *



「まぁ、まぁ、リランちゃんったら」
「はっはっは、リラン君もなかなか苦労しそうだな〜。 なぁ、母さん?」
「えぇ、あなた」
 時が流れるのは早く、アスレアがテックに結婚を申し込まれた時――というか、振られた時――から、もう5年の月日が経っていた。
 あれからリランはアスレアと共に、ライラ家の門をくぐった。正式にアスレアに結婚を申し込むために。“娘さんをください”、そう言うために。そして……謝るために。

「お……、お義母さん……。 お義父さん……」
 アスレアはそのまま何処か遠くへ行こう、と言ったのだがリランが強くそれを希望したのでそうなった。本当は……アスレアも家族と離れるのが辛かったのだろう。
「リランー。 お菓子ちゃんと出来た?」
 そしてライラ家の門をくぐると、まず最初に殴られた。
 ――セスターさんに。
『やっとわかったのですかっ! リラン様の鈍感には本当に呆れますわ!!』
 怒っているような言葉だったけれど……彼女の顔は微笑んでいて、瞳の端には涙が光っていた。セスターはそれを隠すように一瞬後ろを向いた後、すぐにこっちに向きかえって言った。
『アスレアお嬢様、おめでとうございます。 さ、旦那様と奥様がお待ちです』
 通されたのは所謂大広間という所で、4人がけのソファには旦那様と奥様――アスレアの両親が座っていた。そして、前のテーブルには紅茶カップが4つ。

「お菓子? あ、あ゛ぁぁ!!! やばいぃぃっ!!」
 さぁ、こちらへ、と言われて向かい合う形で置かれたソファに腰掛ける。まだ中身の入っていない紅茶カップを見て、頭の中に疑問が生まれる。
『あ……あの……父様、母様……?』
 アスレアが絶えかねたのか、両親に声をかける。そしたら突然、クラッカーの音が鳴った。
 パーンッ パーンッッ
『……え?』
 思わず口から疑問符が飛び出した。なんとクラッカーを鳴らしているのは……人在らざる者……スケルトンやゾンビだったのだから。しかも、何処から飛び出してきたのか、先ほどまでは絶対にいなかったソファの影から総勢8人(?)もの集団が出てきたのだ。
『はっはっはっは、どうだい、母さん? 私は合格だと思うが』
『あら、あなたも? 私も花丸あげちゃうわv』
 クラッカーの音に驚きもせずに、平然と話し合う二人。
 リランとアスレアは既に圧倒されていて口を挟むことすら出来ない。

「――またなのか……?」
 その間も夫婦の話は進んでいるようで、近くのゾンビに何かを説明している。
「――アレ、何回目だっけ?」
 そして、その説明も終わったとき、リランとアスレアは両側に立っていたスケルトンに突然腕を掴まれ立たされた。母と父はそれぞれ――母はリラン、父はアスレア――に手を差し出すと、同時に口を開いた。
『さ、結婚式を挙げましょ(よう)』
 誂えたように、テックさんとの式のが残っているから!と言って部屋から引っ張り出される。それから二人は色んな部屋を引きずり回された。体を洗い、服を変え、髪形を整える。
 次にリランがアスレアに会ったのは、結婚式場でだった。

「……確か……23回目だったと思うわ」
 何時の間に集めたのやら、アスレアの親しい友達、そしてリランの知り合い――と言っても少数だったが――が既に式場の教会に集まっていた。それも、集まっていたのは当初テックとの結婚式を挙げる場所とは、“違う”場所。色んな疑問を持ったリランだったが、余りにも自分を無視して進められる出来事に、口を挟むことは愚か、声の1つあげる事がが出来なかった。
『汝、リラン=ファブガ。
 貴方はアスレア=R=ライラを妻とし、生涯変わることなく愛することを誓いますか?』
『――誓います』
『汝、アスレア=R=ライラ。
 貴女はリラン=ファブガと夫とし、生涯変わることなく愛することを誓いますか?』
『誓います』
『では、指輪の交換を』
 式が始まり、これまた何処から持って――と、連れてきたのか、牧師が聖書を読み上げ、誓いを訊いた。……ちなみにこの教会内には人在らざる者達は居ない。居たら今頃、天に召されていること間違いなしだからだ。

「うぎゃぁっ! すんげぇ、焦げてる!!!」
 二人は言われた通り、指輪の交換をする。そして、誓いの口付けを交わした――





「……リラン様、このようなクッキーに500℃のオーブンは強すぎますのよ……」
 慌ててキッチンに駆け込んだリランにセスターが呆れたように呟いた。
 何故、クッキーを作っているかというと……昔からアスレアはクッキー、リランは紅茶、とそれぞれが作っていたのだが、最近アスレアがカモミールなどの紅茶素材を作り始めたことで、リランの仕事(?)が無くなってしまったからだ。それなら……と言うアルの提案で、リランがクッキーに挑戦しているのだが……全戦連敗。今まで上手くいった試しがない。
 毎週、ルカやギルガ、アルも呼んでのお茶会を開くときにそのチャンスは来るのだが……いつも種が爆発したり、焦げすぎたり。以前にはキッチンが丸焦げになったことすらあったのだ。
「なぁ、レア。もうあいつに作らせるのやめろよ。 家が吹っ飛ぶぞ?」
 ソファでレアのお手製のカモミールティーを飲みながらルカが言った。
「いいのよ。リランがやりたい、って言っているんだもの」
 口調だけは少し突き放すような言い方だったが、表情はとても柔らかかった。フリフリのエプロンを付けて頑張る夫の姿を見ながら、ストレートのカモミールティーを啜る。
「――あー……なんつーか……ゴチソウサマ」
 その微笑ましい雰囲気から漏れる甘い空気にやられたルカはいち早く非難した。部屋からはルカ同様、一人……二人と消えていき、終いにはアスレアとリランだけになった。
「あれ? あいつらは……?」
「さぁ? リランの失敗作を食べるのが嫌で逃げ出したんじゃないの?」
 少し意地悪そうにアスレアは言った。リランはばつの悪そうな顔をする。
「嘘よ、嘘。 ね、クッキー頂戴」
 リランは後ろに持った焦げ焦げのクッキーの乗った皿を差し出した。アスレアはその内の1つを取って口に入れる。
「ど……どうだ?」
「うーん……やっぱりオーブンの熱と……ちょっと粉っぽいかも……」
「そうか……、えっと……熱と……粉……、と」
 アスレアの言うことをエプロンから取り出したメモ帳に書き留める。そこにはもう白地が無いほどに書き込まれていて、熱心に研究しているのがよくわかる。
「……俺も一応味見してみるか……」
 そう言ってメモ帳を見ながら皿のあった場所へ手を伸ばす。――が、皿がない。あれ……?そう思った瞬間、腕を引かれてソファに倒れこんだ。
「アアアスレアッ?!」
「味見なら――」
 ちゅ
「――これでもいいでしょ?」
「……う、うん」
 口惜しそうに話した唇にもう一度合わせようとする。3Cm、2Cm、1Cm……
「クセぇ!!! クサすぎ!!!」
「わっ、馬鹿ね! 声出しちゃダメじゃないのっ!」
「――先、帰ってもいいか……?」
 突然バルコニーで声が響いた。二人は慌てて離れ、バルコニーへと駆け寄った。
 そこには、窓に張り付くように覗き込んでいたアルとギルガ。そして明後日の方向を向いて汗をかくルカ……。
「お……前等……っっ!!!」
「ヤッ、ヤベェ!! 逃げよう! ルカ……!!……ってルカ?!」
「逃げたわね! もーっ、行くわよっ!!」
 慌てて逃げ出そうとする二人。ルカはさっき既に逃げ出していた。……まぁ、準備は万端だったのだろう、二人を置いていくところから見て、かなり怒っていたと思われる。
「ふっふっふっふ、逃がさないぞーーーっ! こらぁっ、待て!!」
「ひえぇぇーー、アルッ、早く!!」
「あれっ?! あれぇっ?! 術が発動しないっ!!」
「えぇぇえぇぇっっ?!?!」
「二人とも……観念しやがれ!!!」
「「ひゃぁぁぁあぁーーーっ!!!!!」」





 そんな時がずっと続いたら――そう思ってしまうのは、誰でも一緒だろう。
 でも、やはり “ 時 ” には逆らえなかった。






「リラン……私……もう、逝くね……」
「アスレアッ!! アスレアッ!!!」
 長い……本当に長い時間が経った。アスレアは次第に弱り、年老いていった。そして、リランは変わらぬまま、昔から、何1つ変わらぬ姿。
「ありがと……リラン、私幸せだったからね……」
「俺も、俺もっ……幸せだったよアスレア」
「リラン……私――」
 死期を悟ったアスレアがリランに言葉を残そうとする。けれど、リランは口に指を当てて、その言葉を遮った。小さく首を振って、わかってるよ、と笑った。
 そして、花を取り出した。
「……俺に出来るのはこのくらいしかないけど……君へのせめてもの餞に、この花を贈らせてくれないか?君の好きな、そして……俺の好きなこの花を。
 何時までも、生まれ変わったとき……俺のこと少しでも、覚えていて欲しいから」
 その言葉に、アスレアは小さく声をあげた。
「え? あ……、ううん、そうじゃないよ。 ちゃんとした「花」。
 俺と君が育てた、本物の花(オリジナル)。俺の作った偽りの花(レプリカ)なんか到底及ばない、綺麗な花だよ……」
 紫の花をそっと、髪に添える。アスレアは優しく微笑んだ。
 そして、そのまま息を引き取った。





 ――なぁ、アスレア?
 ――君は……俺の作った偽りの花(レプリカ)よりも、本当に育てた本物の花(オリジナル)よりも……

 ――綺麗な、俺の“華”だった。

 ――いつまでも咲き誇る、極上の俺だけの“華”。
 ――ありがとう、アスレア。 俺も……そろそろ眠りにつくよ……。





 アスレアの死後、リランは自分を封印した。
 生半可な魔法使いじゃ絶対に解けない封印を。自分の全魔力を篭めて封印をした。
 けれど、1つだけ封印解除の方法を本に記した。
 何時か、誰かが解いてくれるのも――いいかもしれない、そう思って。

 長い時を経て、またアスレアに会える望みを託して――彼は眠りについた。





 * * *





 春風と共に、花の匂いが運ばれる。草原だった場所には家々が建ち、村は街となり、街は都市となっていった。人々が溢れ、街中は賑わいを見せた。
 そんな中、一人の少年が人ごみに紛れて走っていた。時折ぶつかってしまい、その度に小さく謝る。少年は街の一角の大きな館へと入っていった。
「ただいまっ!」
 男の子としては標準的な長さ、赤みがかった茶色の髪を揺らしながら階段をかけあがった。少年は自室に鞄を置くと、すぐにまた廊下を走った。時々すれ違う人や……人在らざる者達にもちゃんと挨拶をしながら走る。
 バンッ
 大きな音を開けて扉が開かれる。少年はその部屋に入ると、また同じように扉を閉めた。その扉の横には、小さく、こう書かれていた。
 “書斎”
 彼が眠りから目覚めるのは――そう、遠いことではないかもしれない――





 F i n .