カチャリとドアを開ける音がして、そこからゾロゾロと人が出て行きました。
 道化とサリアもそれに続きます。
 その動きを見つけたようで、部長がマイク片手に飛んできました。
「あ、どうもどうも!お話終わりましたか?」
「えぇ、おかげさまで。部長さんも説明はうまく行きましたでしょうか?」
「こちらもおかげさまで!最初はよくわからなかったですけど、でも確かにしっくりしますからねぇ」
 なっはっはっは、と大声で笑う部長。
 どうやら第一~第五までの説明は奇の国の人達から教えて貰った事を話していたようです。
「今までも「世界」に意思があるという事はわかっちゃあいたんですが、まさかここまで観察してるとはね!
 良かれ悪かれ、「世界」の事を真剣に思う人が過半数を超えたら――それに「世界」も応えてくれる。……うんうん、全くもって意味がわかりませんが、素晴らしい!」
 奇の国クルスの話によると、やはり藍の世界の穴は完全に自由に行き来が出来るようになったようでした。
 その条件は明確にはわかっていないものの、先ほど部長が言ったように過半数の人が「世界」を思う時、それは開かれるのだそうです。
 黄の世界では、真に「世界」を思いやった時。
 赤の世界では、本気で「世界」を滅ぼしてやろうかと思った時。――この考えは後に改められたそうですが。
 緑の世界では、世界の事をもっと知りたいと思った時。
 それぞれにそういう条件のもと、自由が生まれたのだとクルスは話しました。
「藍の世界では数年前に大きな事件があったと聞きました。その時に皆一様に、どんな思惑であれ「世界」の事を真剣に考えたのではないでしょうか。
 そして思う気持ちが昨日とうとう過半数を超え、それにより世界は応え――自由を与えた。これからは自分が制限を化さなくてもやっていける、と世界に思わせたのです。
 あなた方は世界から信用を勝ち取ったのです。だから、その信用に応えなくてはいけない」
 ゴクリと部長が生唾を飲み込みました。
「ですので手始めに――我が世界へいらっしゃいませんか。
 自分達で言うのもなんですが、我等の世界はここよりも随分進んだ位置におります。そういった場所へ行き、学び、持ち帰ってこの世界をよりよいものへと発展させていくのです」
「なるほど……!」
「反対に私共がこちらにお邪魔する、というのもお許し頂けると助かります。
 双方やはり文化の違いなどがありますので、そういった面を是非教えて頂きたい」
「おお、それも素晴らしい!」
 わやわやと話し始めるクルスと部長を尻目に、道化は少し離れた場所へと向かいました。
 当然サリアも着いていきました。

「あ、あの……キサラム、様?」
 サリアはどう読んでいいかわからず、とりあえず疑問符をつけてそう言ってみました。
「今までと同じでいいよ。あぁ、でも“様”は無しな。道化、と。 あと敬語も無しで」
「ええと、じゃあ、道化……さん」
「……。……うん」
 呼び捨てにならなかったという事を少し考え、でも様よりいいと思い、それから道化は返事をしました。
「お父様の事――故郷の事、気に病み過ぎないようにしてね。事実は悲しかったけれど、でも嬉しい事もあったから」
 嬉しい事? そんな事があっただろうか、と道化は考えました。
 サリアはそんな道化を見て、ふんわりと笑いました。
「わからないかな? 貴方の名前――やっと思い出せたじゃない。父はもうずっと、貴方の名前を知りたがっていたんでしょう?」
 道化は驚きました。
 記憶を取り戻した今、名前にそこまでの意味があるという事を失念していました。
 そう、親父は死に際にも言いました。
『お前の本当の名前を知らずに行くのが心残りだ』
 と。
「キサラム=キーリィルさん、か。うん素敵な名前だわ。キーリィルだったら……キール、でいいのかしら?そもそもそちらには愛称というものは存在したのかしら」
 いえ、キーリ?リィル?とサリアは何度も道化の名前を呟きました。
 道化は道化のままで――本名など、もうさして重要ではありませんでしたが、やはりこうして名前を呼ばれるのは悪くないものでした。
 それに、親父の言葉が再び過ぎります。
『いつか本当の名前を思い出して、娘に、サリアに呼んでもらえ』
 ……と。
 親父の心残りの一つが今、氷解していきました。
 そしてもう一つは――。
「サリア」
「はい、なんですか道化さん」
 真正面に立って真剣な顔で目の前の顔を見つめます。
「昨日言ったように、オレはアンタをいつか宇宙に連れてってやりたいと思ってる。
 親父が見せてやりたいって言っていた景色を、アンタにも見てもらいたいと思ってるんだ。
 最大の難所だと思われた世界の意思もどういうわけか、無くなった。――だから、行こうと思えばもうすぐにでも行ける」
 ぎゅっと両手を握り締めて道化は言います。
「でも、でもまだダメだ。
 サリアが言っていたように、悪名高いヤツ等も機に乗じて宇宙に出てしまった。そうじゃなくても分母が増えた今、宇宙の治安は悪くなってしまうと思う。
 そんな中に――アンタを連れて行ったり、出来ない」
「道化さん……」
 握り締めていた両手を開き、サリアの手に重ねました。
「だからオレ――奇の国に行って、色々と学んでこようと思う。クルスも一度キサラムとして来て欲しいって言ってたしな」

 *

 ずっと捜していた。
 その言葉の通り、「奇の国」では行方不明になった貴族の子供をずっと捜していました。
 反旗を翻した者達は捕まえられはしませんでしたが、数年後大破した残骸は見つかっていたのです。
 その時に周囲に散らばっていたいくつかの容器は回収され、中に居た子供達も無事に解凍――つまり起きたのですが、それでも見つからなかった人が居たのでした。
 それが道化――キサラム=キーリィル。
 ただ一人だけ捜し出せなかった彼を、奇の国は何百年も探していたのです。

「……とは言え、「黄の世界」に来て代表を務めてくれ!――とかそういうような事ではありません。むしろ今更来られても、という部分もありますしね」
 しれっとクルスは言いました。
 ……どうやらこの人は妙な方向に口が達者なようで、肩を竦めつつこう続けました。
「ただ、一人だけ見つかってないのもどうにも目覚めが悪いな――と」
 王族や貴族達を処分しておいて目覚めの問題か、と道化は思いましたが……まぁ、反論はしない事にしました。
「ですので、出来たら一度「奇の国」に来て頂けるとありがたいのですよ。
 最後の一人がちゃんと見つかったのだという事を、世界中に知らせておきたいものですから」
 なるほどそれも一理ある、と道化は頷きました。
 それに記憶が戻った今、里帰りも悪くないと、そうも思いました。
 最も、里に帰っても迎えて入れてくれる知り合いなどは居ないのですが。

 *

「とりあえずは捜され人としての役割を果たすけど、その後は向こうで学ばせて貰いたいんだ。
 なんたってざっと五百年分は先を行ってる世界なんだ、治安云々なんてもの一瞬で治めるスゴ技も持ってるかもしれないもんな。
 技術だって教えて貰えばもっともっと確実な方法で簡単に宇宙に来れるようになるだろ?……簡単、ってトコはオレの希望だけど」

 今、藍の世界で宇宙に行くには「宇宙を駆ける機械」に乗るか、この港から伸びている「道」を行くしかありません。
 どちらも念入りに準備をしなければならないし、制約も多い。それに体への負荷も堪ったものではありませんでした。
 道化は下りしか体験していませんでしたが、それはもう壮絶な下り方だったのです。

 それを思い出したせいで、最後の方は若干苦笑が混じりました。
 しかしすぐにその苦笑から苦味を取り出し、道化は微笑みました。
 少し困ったように、でも嬉しそうに。
「さっき、ホントついさっきだ――アンタ言ったよな。“「――もし行ってしまったとしても、ここに、帰ってきてください」”って。
 行き先は宇宙センターじゃなくて、他の世界になっちまったけど……でも」
 重ねていた手を外し、ぎゅっと……今度は体ごと抱きしめました。
「必ず帰ってくるから、待っててくれないか」
「! ……っ、え、えぇ!」
 一瞬言葉を失いましたが、サリアは慌てて返事をしました。顔が急速に熱くなっていくのを感じます。
「絶対に――戻ってきて、アンタに……絶対、会いに行くからさ」
 その声は少し泣きそうに聞こえて、釣られて視界がぼやけていきそうになりました。
 でも、ここで泣くのではなく、と。
「道化さん!」
 ぐいっと顔を上げて道化を見ました。
 思ったとおり、その瞳は少しばかり潤んでいます。
 それとは逆方向へと気持ちを向けるべく、サリアは満面の笑みを乗せました。
「待っていますから――気をつけて、行ってきてくださいね」
 そして頭を道化の胸に預けて、
「いつまでもずっと待ってますから――」
 サリアもまた背中に手を回してぎゅっと抱きしめ返したのでした……。



 * * *



 そうして月日は流れ、ある時、奇の国の宇宙センターから一通の手紙が藍の国へと届けられました。
 宛名はサリア=アヴィラ。差出人はキサラム=キーリィル――ですが、それには斜線が入り、横に「道化」と書いてありました。
 サリアはその手紙をポストから出しながら、視線をゆっくりと正面へと向けて、それからにっこりと微笑みました。

 そこには、道化が立っていました。

「随分、待ちましたよ」
「あ、いや、悪い……」
「悪い、じゃなくて他に言う事がありますよね?」
「う、あぁ。――待っててくれて、ありがとう。サリア」
 苦笑いを顔に乗せて、道化は言いました。
 ふと空を見上げると、元から藍の世界にあった宇宙を駆ける機械、それに奇の国の船、銅の国の鳥、緑の国の飛行機がそれぞれ飛び交っています。
 少し前までは信じられなかった光景なのですが、妙に溶け込んでいるような気もします。
 それらを視界に収めながら、道化はポケットをまさぐってチケットを取り出しました。
 ――宇宙への、チケットでした。
「遅くなったけど、約束を果たしに来た」
「約束……?」
 道化はつかつかと歩み寄り、サリアの手にチケットを握らせます。
「もう宇宙は大丈夫だ。知ってるかもしれないが、行く方法も随分楽になった。センターは今や観光名所の一つと化してるくらいだしな」
 帰ってくる途中で“宇宙せんたぁまんじゅう”を見た道化は思い出し笑いをしそうになりました。が、抑えました。
「……もう危険な事は無い。だから、アンタを連れて行っても大丈夫だ」
 チケットを持っていない方の手は道化からの手紙が握られていましたが、それを無視して掴みました。
 拍子に手紙はスルリと抜け、ハラハラと地面へ落ちて行きます。
「だから、サリア――宇宙に行くぞ」
 重力に身を任せ、落ちていく手紙。
「アンタの親父に約束した事、やっと実現出来る。アンタに宇宙を見せてやるから」
 そうして今度はチケットを持っている方の手も、ぎゅっと握り締めました。
「親父の居た場所、……居る場所を二人で見よう。んで、その後は――」

 パサッと音を立てて手紙は着地しました。
 そこには酷く簡単な文章が数行、書かれていました。
 そう、挨拶すらも無く始まったその文章は、


 道化が藍に参ります。

 道化が逢いに参ります。



 ――――道化は、愛に参りました。



「愛してるサリア。きっと幸せにしてみせるから……一緒になってくれないか」
 道化の、突然とも言える愛の告白にサリアは目を見開いて驚きましたが――
「えぇ、喜んで」
 すぐに、にっこりと笑って返しました。
 それからそっと道化に身を預け、小さく呟きます。
「約束、守ってくれてありがとう」
「あぁ、親父に約束したからな」
「……それだけじゃなくて。――私の所に帰ってきてくれて、会いにきてくれて、ありがとう。
 ずっと、待ってた……」
 消え入るような、泣いているような声で言われて道化はもう辛抱たまらず、サリアをぎゅぎゅぎゅっと抱きしめました。
「絶対に帰ってくるって言ったろ!男に二言はねぇーんだよ。 だから、アンタの――サリアの事も必ず幸せにしてみせる」
 そして道化はぐいっと握りこぶしを作って天高く掲げました。
「だから親父!アンタの本当の息子になってもいいよな!」
 ――返事などは当然ありませんので、しばらく経って二人で顔を見合わせて噴出しました。
「ま、親父に報告は宇宙に出た時にちゃんとするからな。――それに、きっと許してくれる……よな」
「えぇ、きっと」
 少し感傷を乗せながら空を見上げました。

 色々あってここまでやってきた事、それを一つ一つ思い出してから感慨深げに道化は頷きました。
「……サリア」
「なんです?」
「腹、減ったな」
「……もう」
 てっきりまともな事を言うのかと思っていたので、サリアは肩を竦めて苦笑しました。
「貴方の好きなポテトパイ、たくさん作って待ってましたよ」
「おおー!!マジか!!やったぜ!愛してるサリア!」
「ふふ、私もです。 ――ところで、この変な手紙は何なんです?」
 つ、と落ちた手紙を拾い上げて言いました。
「なっ?!変って言うなよ、ちゃんと考えて書いてんだからな!語呂合わせで詩っぽくてカッコイイだろ?」
「……。……」
 何も言わずにただ笑いを顔に浮かべて。
「……さ、パイが冷めますし、行きましょうか」
「ちょっ、何か言えよ?!」

 パタン

 音を立てて扉が閉まりました。
 風圧で近くの木からひらひらと色あせた階段に木の葉が舞い落ちました。

 そこはかつて、一人の親父が一人の娘と写真を撮った場所でした。
 それと同じように、道化とサリアと――子供が写真に納まるのも、きっとそう遠くはない事なのでしょう――。






 Fin.