翌日から、藤乃さんは猛アタックを開始した。
 朝も一緒に居るのを見かけ、授業の合間もお弁当も昼休みも放課後も、別のクラスとは思えないくらいにべったりと隣に居る。
「ここまで来るとちょっと引くよね……とでも言うと思ったか!ますます面白くなってきたよ!!」
 この間からテンションが上がりっぱなしの蒼依が、朝っぱらから一人でコントをやっている。
 それに反比例して私のテンションは下がりっぱなしだ。こんなので上がる人が居たらお目にかかりたい。
 ――……嫌われている、望みは無い、とわかっていたとしても、やっぱり好きな人には僅かでも希望を抱かずにはいられなかったのだろうか。自分が思っていた以上の消沈っぷりに、本人が一番驚いている。
 藤乃さんアタックが続いて早数日、その間に告白する人も増えた、と聞いた。
 危機感を抱いた人が一斉に告白し始めたのだろう。気持ちはわからないでも無い。
 ちなみに良い結果は一つも聞こえては来ず、藤乃さんがいるからか、という話まで出てきているらしい。
 ――と、蒼依が聞きたくも無いのに教えてくれた。

「祐美!まったニュースだよー!今度は大ニュース!!」
 ある日の事、息を切らせて蒼依がやってきた。
 通学路で会うのは珍しい。途中で道は一緒になるのだけれど、電車の時間の都合で同じ時間帯になる事は滅多に無いからだ。
 今日は早めに出たからか、丁度一緒になったらしい。
「……どうしたの?」
 最近の蒼依ニュースは嫌な話題が多い。
 そして今日も例に漏れず、秋関係の話だった。
「あのねっ、あのね!昨日の放課後に告白した子の話なんだけど!返答がね?!」
 と、ここで切って大きく深呼吸をする。……そうまでしないといけない言葉が続くのだろうか。
「返答の仕方が、とうとう変わったらしいの!」
「……へぇ」
「今までは『ごめん』とかそういう謝りの言葉だけだったんだけど――ついに昨日っ、『好きな人がいるから』に変わったのよ!!」
「っ!」
 思わず目を見開いた。と同時に心臓がぎゅっと掴まれたように痛んだ。
「もう皆とうとう藤乃さんに落とされたか?!って大盛り上がりだよ!いやー、思ってたより早かったよね~……って、祐美?祐美?!」
 歩きながら話していた蒼依の後方で、私は立ち止まったまま動けていなかった。
 衝撃が大きすぎた。
 今までそういう話を聞いた事が無かったから、考えもしなかった。
 そっか……とうとう、藤乃さんの事――好き、に……。
「うわっ!?ちょっ、なんで泣いてんの!?」
「……え?」
「え?じゃないよぉ!何?朝っぱらから玉ねぎ切って、それが今キた?!……ンなワケないよね……ごめん、あたし何かマズい事言った?」
 シュンとなる蒼依に、泣きながら笑い返す。
「ううん……ごめん、ちょっと、……思い出し泣き……というか。昨日の小説のラストが、ね……」
 適当過ぎる嘘が口を突いて出た。
「……ホント?」
「うん、ごめんごめん。本当に感動モノだったから!」
 パタパタと片手を振って、もう片方の手で涙を拭う。身内以外の人前で泣くのなんて久しぶりだ。
「ん……それならいいけど――って、ちょっと待てよ!?良くないよ!?思い出し泣きするって事は何か別の事考えてたってワケで、あたしの話聞いて無かったんじゃん!もー、祐美、聞いてよぉー!!」
「あはは、ごめんごめん。でもちゃんと聞いてたから大丈夫よ」
「むー……ならいいけどさぁ」
 ごめんね、と再度謝ると蒼依も納得したらしい。深く頷くと、先ほどの話を続けようとした。
 のだが。
「でさ~――っと、おお!アレは!噂をすればっ!!」
 その言葉に後ろを向くと、秋が居た。珍しく一人だ。
「藤乃さんが居ない今がチャーンス!ちょっと話聞きに行ってみよーよ!」
 ぐいぐいっと腕を引っ張られる。
 一瞬釣られて行きそうになるけれど、ハッとなって留まった。……嫌いな人間の所に行く事は、無い、ハズだ。
 蒼依も思い出したのか、腕を離した。
「ご、ごめん……そいや仲良くないんだっけ。うう、ええ、と、じゃあ、っくー……!!」
「……行きたいなら行ってきたら?」
「ごめんね!祐美!行ってきます!!」
 行動の早い事、呆れる程の切り替えで蒼依は秋の方へと駆け出した。
 制服なのに逆走してくる珍しい人に気づいたのか、向こうもこちらの存在を認めたらしく――

「……!」

 ぐるっと前に向き直る。
 ――――――き、気のせいかもしれないけど……今、目が合った、気がした。
 別にそう珍しい事じゃない。
 ふと視線を動かした時にそうなる事はある――でも!
 自分が見つめていて、それを相手に気づかれた結果、目が合うのは……初めてかもしれなかった。
 顔が熱くなって、ついでに目頭も熱くなってきてまた泣きそうになった。
 後ろからは蒼依の声とそれに応対する秋の声が風に乗って聞こえてくる。
 その空間に居られなくて、私は足を速めた。
 早歩きから駆け足になって、仕舞いにはダッシュにまで変わった。
 まだ早い時間帯だから他に歩いている生徒は居なかった。居なくて、良かった。
 走っている間に、涙腺は壊れてしまったから。



 * * *



 校門を入ってすぐに校舎には向かわず、裏の方の水場に向かう。
 目を冷やさないと変に思われる。
 ハンカチを出して水にさらし、絞って目元を冷やす。――朝の冷えた水がほてった目元に気持ちいい。
 しばらくそうしてると、すぐ近くの駐車場に車が止まる音が聞こえた。
 車通勤の先生か、もしくは事務員の人か。どちらにせよ挨拶はすべきだ。
 そう思ってハンカチを取り、運転手を確認する。
 と、
「……何、泣いてんだ?」
「――牧原、先生」
 驚いた顔をした、先生が立っていた。
 やだ、もうだいぶ冷やしたのに何で泣いてるってわかったの?!
 慌てて顔を背けると、ジャリッという音と共に気配が近づいてきた。
「祐美、どうかしたのか?怪我でも?」
「……また、祐美って言ったわね……」
「二人っきりだからな。それで?どうした?」
「……別に……何でも、無い……」
 そうは言うけれど、じわりとまた涙が浮かんでくる。
 もう自分でも何でここまで泣けるのかわからないのが、泣けてくる。
「嘘だな。で?どこだ?」
「なに、が?」
「怪我だよ怪我!どこ擦りむいたんだ!?」
 ガシッと腕をとって、表、裏と見ていく。
 その強引さに涙が引っ込んで、怒りの感情が湧き上がってきた。
「ちょっと!!別に怪我だとか言ってないじゃない?!セクハラで訴えるわよ!?」
「うるせーなー、昔っからやってただろーが。ほれ、ちっちぇ傷だったらツバつけてやっから、教えろって」
「!!!」
 こ、コイツ……もう子供じゃないのに、何でこういう事言うの?!
「だから怪我じゃないわよ!それにツバとか――本当にあり得ないから、冗談でも嫌だわ」
 心底嫌そうな顔をして言うと、シュンと項垂れて「心配してやってんのに……」と返された。
「うっ……し、心配は、ありがと。――でも、怪我はしてないから。……でも、ちょっと目元冷やしたいからアイスノンが欲しい、です」
「アイスノンか!それなら確か数学部屋の冷凍庫にもあったから、そこ行くか!」
「うん……ありがと、ゆーちゃん」
「――また、ゆーちゃんって言ったな?」
 片眉を吊り上げてゆーちゃんは言う。
「……二人っきりだから、いいじゃない」
「まぁ、……な」

 その後、数学部屋――つまりは数学担当の教師の集まる部屋に行って、アイスノンを貰い目元を冷やした。
 結構酷い状態だったらしく、結局は朝の時間をほとんど使ってしまった。……早くに来てて、助かった。
「げっ、もう予鈴か!俺、職員室行かなきゃなんないから、祐美も教室行きな」
「うん。ありがと」
 ゆーちゃんは冷やしている間付き合ってくれていて、ちょっとの間家族団欒状態になってたりして。
 もう家を出て一人暮らしをしてるけど、よく帰ってるらしいから、実家の話とかをいっぱいしてくれて。それを聞いていると、またおじいちゃんとおばあちゃんの所にも遊びに行きたいな。なんて思った。
「二時間目、数学だからな。それまでには顔戻しとけよ――……いや、待てよ。俺担任だから、朝のHRか。それまでには通常運転に戻しとけよ!」
「朝のHRってすぐじゃないの!」
 今は8時25分。本鈴が30分に鳴り、それからしばらくして先生がやってきてHRだ。――もっとも、他のクラスでは本鈴きっちりから始まるらしいが。
 だから時間はあまり残っていない。
「すぐじゃないの!……ってお前……どの道、教室行くだろ?そん時他の子に気づかれないためにはもう今の時点で通常運転じゃなきゃダメじゃねーか」
「……はっ、そ、それもそうね……」
 寝ぼけたか私。パチパチとほっぺたを叩いて気合を入れる。
 ガラララッと引き戸を開けて促された。
「ま、もう大丈夫だろ。松崎辺りには気づかれるかもしれないけど」
「あぁ、蒼依なら大丈夫。ちょっとした言い訳してあるから。……ありがとうございました、牧原先生」
 きっと小説のラストの感動だという嘘を信じてくれている事だろう。
「ん、そーか。んじゃ、職員室こっちだから」
 クイッと後ろを指差す。
 それに深く頷いて、顔を上げた時には、――その向こうに、秋の姿が現れていた。

 一瞬驚いたような顔をした後に、その眉は顰められ、その表情のままこちらへと向かってきた。
 廊下を歩く音に気づいたのだろう、先生は後ろを振り向き親指を立てていた手を開いて、振ってみせる。
「おー、委員長おはよーさん。職員室前のボックスにはなんかあったか?」
 ボックスとは、クラス毎にプリントなどが入れられるもので、委員長は毎朝それを取りに行かなければいけないのだ。
 しかし彼は手ぶら。きっと何も無い日なのだろう。
「いいえ、ありませんでしたが」
 …………明らかに怒気を含んだ声だった。
「……どした?虫の居所でも悪かったかぁ?」
「えぇ、そんな所です。――それより、何で、牧原先生と副委員長が同じ部屋から出てくるんですか?」
「そ、それは……」
 泣いてて、それを治す為に冷やしてました――とは言えなかった。
 だって、泣いてたのを隠したくて必死で冷やしてたのに、ここで言いたくは無い。
「んー、まー、色々あってな。 まっ、そんな事よりこの色男~!蘭様アタックに落ちたらしいじゃねぇか!」
 実にふざけた言い方……教師の言う台詞なのかと小一時間問い詰めたい所だ。というかその噂、もう知ってるのね……
 けれどそんなふざけに微塵も触れず、彼は一瞥すると、
「……それが先生に何か関係があるんですか?」
 とこれまた怒ったように返した。
「い、いや、何も……無いけど、な?蘭様可愛いからなー、……な、なんちって」
「(バカッ)」
 バシッと後ろから背中をぶったたいてやる。もう、何言ってんのよこの人は!
「いてっ、何すんだよ新城ぃ。……っとやべやべ、時間無ぇーや!お前等も教室行っとけよー!」
 叩いた背中を摩りながら先生は駆けて行く。廊下を走るなって言われてるっていうのに……。
 やれやれ、とその背中を見送っていると、横でぼそぼそっと声が聞こえた。
「……じゃあ、……が…りに、…………」
「……え?」
 ついそう聞き返してしまったけど――すぐに後悔した。
 眉間に皺を寄せたしかめっ面で、睨み返されたからだ。そしてやはり、と思う。
 ――こんな些細な聞き返しでも、ここまでの反応をするくらいに……嫌われてるのだ、と。
 また泣きそうになって、ぐっと堪える。
 何かを言おうかと思ったけど何を言えばいいのかわからずに、結局何も言わずにその場から逃げようとした。
 けれど、
「新城さん」
 呼び止められる。
「…………な、に?」
 恐る恐る振り返ると、さっきと同じような表情のまま、彼はこちらを見ていた。
 そんな顔で睨むならわざわざ呼び止めないで欲しい。もう嫌われてるのはわかってるんだから!
 感情がすぐに顔に出て、泣きそうな表情になったのを横を向いて、更に片手で隠す。
「何なのよ……」
 再度そう言うと、一歩近づいてきた。ビクッとなって私は一歩後ずさった。
「僕は言ったのに、何で――――」

「あ!見つけたぁ~! 渡辺君、おはよう~!今日は何で校門通らなかったの?わたし、探しちゃった!」

「藤乃さん……今日は裏の方から入ったんですよ……」
「おはよ、渡辺君!あのね、今日のお弁当も頑張って作ったから、一緒に食べようね!」
 向こうの角から藤乃さんがやって来た。
「あら、ええと……んんと……あぁ!確か、新城、さん?だよね。おはよう!」
 にっこりと笑顔で言われて、
「お、おはよう……」
 と返す。
 間近で見ると本当に可愛いな、と思う。それに……思ったよりも気さくな感じがするかもしれない。
 もっと別世界の人かと思ってたけど。――なんて余裕ぶいて客観的な立場の私が考えていた。
 そして主観的な立場の私は……その、間近で見る、並ぶ二人にものすごい衝撃を受けていた。
 蒼依の話が蘇る。

     「返答の仕方が、とうとう変わったらしいの!」
 『ごめん』
「いやー、思ってたより早かったよね~」
                                 『好きな人がいるから』
                  「とうとう藤乃さんに落とされたか?!って」


 まだ付き合い始めて無かったとしても、時間の問題なんだろう。
 ――この二人は、きっと、もう……。
 くるっと回ってそのまま駆け出した。
 後ろから彼の声が聞こえたけれど、今度は止まらない。止まれない。
 最短距離で教室に向かうにはすぐ角を曲がった所の階段を上がればいいんだけど、そうしたらきっと二人も上がってくる。
 私は遠回りになるルートを選び、遠くの階段へ向かう。
 泣いたらダメだ。折角ゆーちゃんが時間削って一緒にいてくれたのも台無しになるし、蒼依や皆に不審に思われる。
 かろうじて涙を堪えて、階段を一段一段踏みしめて上がった。
 涙は出なくても、心がかき乱されてとても通常運転どころじゃなかったから、それを直さなくっちゃ……。
 踊り場まで上がり、時計を確認する。……これだとギリギリだけどなんとかなるだろう。
 そう思ってまた一段上がろうと足を上げた時、

 バタバタバタバタバタバタバタッッ ダンダンダンダンッ ダンッダンッダンッダンッ

 すごい音が近づいてきた。
 最初は廊下を走ってる音、次に階段を駆け上がり、最終的には一番飛ばしになったようだ。
 一体誰が?と思って下を覗き込んだ。
「あれぇ!?あれれぇ!? お姉ちゃん?!」
「結衣!!」
「どしたの?もうギリギリの時間だよ!?」
 ――……妹の結衣だった。
「結衣、アンタ……いつもこんなギリギリなの?」
「そんな事無いよー!あと10秒は早い!」
「……そう」
 聞いた私がバカだった……。
 ふぅ、と溜息をつく。
 身内パワーというか呆れパワーというか、一気に心は通常運転になっていった。
「っと、じゃー、行くね!お姉ちゃんバイバーイ!」
 再びバタバタバタバタッという音を立てて結衣は去っていく。
 ……これからはもうちょっと早く出るように言うべきかしら……。
 そんな事を思いながら、今度は私も階段を一段飛ばしで上がった。うん――持ち直せた、よね。



 * * *



 教室に着くと蒼依が心配そうな顔でやってきた。
「祐美どしたの?遅いから心配したよー」
「ごめんね、ちょっと顔冷やしてて――ホラ、ちょっと目元が、ね」
 ポンと手を打つ蒼依。なるほど、という顔で頷いた。
「よっぽど泣ける小説だったんだねー。あたしにも今度貸してよ~」
「……えええ、蒼依に本貸すと一年くらい返って来ないから嫌よ……」
「それは確かに」
 うんうん、とまた頷く。ってそこは頷いちゃいけないでしょうに。
「ま、良かった良かった!事故にでもあったんじゃないかと渡辺と一緒にめちゃんこ心配してたんだよー!……っと、あ、え、と、……ホラ、祐美が行っちゃった時、一緒に居たからね?」
 私の好き嫌いに配慮して言ってくれる蒼依に感謝すると同時に、彼も蒼依が一緒に居たから心配するフリしなきゃいけなかったんだろうな、と思った。……そうじゃなきゃ、ううん、それしかあり得ないもの……。
 窓際をそっと窺う。
 窓の外を見ているので横顔、それもほとんど後ろに近いアングルしか見れない。
 ――それならば、……もう少し、見つめていても……いいよね?

 HRが終わり、一時間目が始まるまでの間、クラス内の話題と言えば概ね一つだった。
「わ、渡辺君――あ、あの、噂って本当なの?!」
「……噂って何の事ですか」
「アレだよアレ!好きなヤツがいるとかなんとかのさー!マジなの?あれ?」
「多くの女子を斬り捨てた渡辺がとうとう彼女持ちになんのか?」
「別に斬った覚えも捨てた覚えもありませんが……丁重にお断りしただけで」
「で、本当なの!?」
 皆が興味津々で耳をそばだてる。
 私は――机に両肘をついて、その状態で両耳塞いでいた。
 聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない……。
「―――」
「!!!」
「~~!!」
「……っ?」
 耳を塞いでも少し聞こえてくる喧騒は驚き、悲しみ、嬉しさ、妬み、色んなものがあるみたいで、それのどれ一つとしてちゃんとは聞き取れなかった。
 でもこれだけの反応がある、という事はきっと――……“いる”という事なのだろう。
 そんな風に推理してしまう自分の頭がすごく嫌になって机に突っ伏した。
 体勢を変えた事で両手は耳から外れ、必然的に周りの音が聞こえ始める。
「で、誰なんだ!?やっぱり蘭様か!?」
「嘘!!いやー!!!」
「で、でも今からでもわたしの事をっ」
 ……やっぱり。…………。
 女の子達は悲しげな言葉が多いけど、それでも大半は藤乃さんの名前を出して騒いでいた。

 ガラガラガラ

「こらこらー!なぁに、そんなに騒いでるの?チャイム鳴ったわよー?」
 しばらくして一時間目、英語担当の斎川先生がやってきた。長い髪を一つに束ねてパンツスーツを着こなす、若い綺麗な女の先生だ。
「もー、何を騒いでるのか先生にも教えなさいっ!」
 ……牧原先生同様、ちょっとまだ生徒っぽい面があるのが玉にキズ。
 まぁ、私からするともう一つ、二つ、三つ……まぁ、たくさん玉にキズな面はあるんだけど……。
「なるほど。渡辺君のアレね、先生も聞いてるわよ~。職員室も大盛り上がり!」
「えっ、それってマジ?先生達も暇だな!」
 一人の男子生徒が言った。
 全くもって、同意せざるを得ない。ウチの学校の先生は一体何をやってるんだか。
「まぁ、それはさておいて。今日は38ページから――」
 パンッと教科書を叩くと、驚くほどの切り替えで斎川先生は言った。途端、クラス中がガクッとなったのがわかった気がした。……私はありがたかったけど。
 こんな――クラス規模、学年、学校規模で……失恋ショーを開催したくないもの……。
 どんな規模であろうと結果が変わらないのはわかっている。
 でも、それを噂する人数が多ければ多いほど、傷を抉られる回数も多くなっていくのだ。
 だから……それはごめんだった。

 一時間目が終わり、二時間目数学。
 その前の休み時間では、珍しく牧原先生が既に教室に来ていた。
 そして私に向けて手招きをする。
「……何ですか?」
「ちょっと、話があるからさ、こっち来てくれるか」
 そう言って廊下、階段、と促される。
 周りに人が居ない所に来ると、ずいっと顔を近づけてきた。
「な、何?!」
「そんなビビるなって、別に何もしねーから。……いや、ちょっと内緒話がさ」
 ハテナマークを頭の上で乱舞させながら、口元に耳を近づける。
「――実はHR終わった後の時間に結衣ちゃんに会ったんだけどさ――突然飛び蹴りかまされたんだけど、姉さんどういう教育してんの?」
「…………はい?」
「だーかーらぁ!結衣ちゃんが飛び蹴りを、だな!」
 再度言われても理解不能だ。……何で結衣がそんな事を?
「それがよ……祐美、朝に結衣ちゃんに会ったのか? 『よくもお姉ちゃんを泣かせたなこのクズが!』って台詞付きだったんだけど……」
 ……えええええ?!
 嘘、あんな少しの間で――泣いたのがバレてたっていうの?! しかも、結衣ったら犯人を断定しちゃってるし。
「もうおじさんわかんない。濡れ衣な上に断定で、あんなに遊んでやってたのに恩を仇で返された気分だよ!」
 おいおい、と無くゆーちゃんの背をポンと叩く。
「確かに結衣ってゆーちゃんの事嫌いみたいだもんね……仕方ないわよ」
「ちょっと待て、慰めは無いのか?!」
「無いわ」
 何故かは知らないけれど、結衣はゆーちゃんの事を毛嫌いしているようだ。……まぁ、大方、小さい頃にからかわれたとかそういう事が原因なんだろうけど。
「……まぁ、そんな風に不当に暴力を受けたから、結衣ちゃんにすいません俺が悪かったです、って言っといて」
 ……。……。
 ええと……、
「――ゆーちゃんが悪かったの?」
「いや、悪く無いけどさ……」
 そう言いながら頬をそっと撫でられた。
「祐美が泣いてたのは事実だもんな。原因は話す気になんない?」
「……。……ごめん」
 手を除けて顔を背けた。
「いや、別に無理に聞き出したりはしねぇよ。……言いたくなったら、聞いてやっから」
「……うん、ありがとうゆーちゃん」

 そして教室に戻り授業が始まった。
 三時間目も四時間目も、合間の休み時間は変わらずに過ぎていった。
 最近と違う事と言えば――
「そういや、蘭ちゃん全然来ないね?」
「……そうね」
 お弁当の時間、蒼依が不思議そうに言った。
 確かに、今日朝に会って以来藤乃さんの姿を見ていない。
 大方クラスで質問責めにあっているのだろう。
 少し複雑な構造をしている我が校舎は、同学年であっても教室の位置が随分違う。だから、質問責めにあっていては、とてもじゃないけれど他のクラスに行ったり出来ない……のだと思う。
 でも今はお弁当時間――もとい、お昼休み。こんな長い休み時間だ、彼女が来ないハズが

「渡辺君!」

 ……ホラ、来た。
 来ないハズが、……無かったんだ。
「蒼依、屋上行こう?」
「ん?でも今日晴れだし、きっと人いっぱい居るよ?」
「……じゃあ、中庭でも、校庭でもどこでもいいわ。……教室は嫌なの」
 ぎゅっとお弁当袋を握り締めて言う。
 変に思われたかもしれないけれど、仕方ない。
「まー、あたしは別にどこでもいいし。……あ!じゃあ家庭科室は? 家庭科の先生が居たら美味しいお茶淹れてくれるよ!」



 という事で家庭科室。
 ほんわか、和服が似合いそうなやまとなでしこを地で行く家庭科の先生が来訪を歓迎してくれた。
「あら、新城さんに、松崎さんも」
「斎川せんせーだ!……って、うお!?先生、おべんと重箱なの!?」
 英語担当の斎川先生もそこに居た。前に聞いた話だと、家庭科の先生と仲が良いんだそうだ。
「すっごー、お昼に重箱3段食べちゃうんだ?女の人なのに」
 私達のお弁当箱の、軽く5倍はありそうな重箱だ。
「あ!わかった!先生達2人で食べるんだ?そーでしょ?」
「残念ハズレー!松崎さんワンポイントマイナス! これはぜぇんぶわたしのお腹に入るのよ!!」
 ポンッとお腹を叩いて斎川先生は言う。……ったく、相変わらずなんだから。
「うええ、ホントですかぁ。いいなぁ、それなのに何でそんなに細いんですかぁ?!」
「本当にそう思うわよね……すごく気になるわ……」
 家庭科の先生がおっとりと言うのが、ちょっとリアルで怖かったりする。
 そんな風に女4人で楽しくお弁当タイムを過ごした。蒼依が言ってた通り、家庭科の先生が淹れてくれるお茶は絶品でなんと和菓子のデザートまで頂いてしまった。

「ごちそうさまでした!美味しかったぁ~」
 にへへ、と蒼依が笑いながら頭を下げる。
「ごちそうさまでした。和菓子、とても美味しかったです」
 私もそう言って頭を下げ、……それを上げて、とても不吉な笑みを目撃してしまった。きっと、蒼依は気づいていない。
 その不吉な笑みの持ち主がちょいちょいと手招きをしてくるので、それに従う事にする。ここで逆らっても後々面倒な事になりそうな気がしたからだ。

「……何ですか」
「そうツレない反応しないでよ~、祐美ちゃんv ねね、さっきの和菓子ね、わたしが買ってきたのよ!」
 斎川先生は実に嬉しそうに笑う。
「……それが?」
「あの和菓子ね、すっごーい高かったの!」
「……で?」
「美味しかったでしょ?食べれて嬉しかったでしょ?」
「……本題を言ってくれませんか」
「和菓子の代金は取らないから、――放課後ちょっと手伝って欲しいなー、なんて思ってたりするんだけど」
 欲しいな、なんて……そんな甘っちょろい事じゃないくせによく言ったものだ。
 私は深く、深く……息を吐いて、から。
「……わかりました。どこに行けばいいんですか?」
「えっとねー、どこにしよっかなー。英語部屋が手軽でいっか。放課後になったら来てね!」
 んじゃヨロシク~、と言って先生はご飯を食べていた位置に戻る。
 この、ちょっと自己中心的な感じは兄妹よく似てると思う。

 牧原先生はお母さんの弟。
 そして斎川先生は――お父さんの妹、なのだった。
 別に何かこの学校にコネがあるとかそういうのでは無い。
 あくまでたまたま。
 斎川先生、改めサトミちゃんはこの学校にやってきてまだ2年目だし、たぶん牧原先生――ゆーちゃんは、再来年くらいには転勤だろう。
 ちなみにサトミちゃん。結婚する前は新城サトミで、今は3つ上の和食料理人の旦那さんと結婚して斎川サトミになっている。
 それにしても……見かけによらず大飯食らいのサトミちゃんたっての希望で、旦那さんが毎日重箱弁当を作ってあげてるというのは本当だったのか……。あんまり信じたくは無かったけど。

 とりあえずサトミちゃんの横暴な取り決めで私の放課後は無くなってしまったらしい。
 と言っても、部活もやってないからあんまり関係無いんだけどね……。
 蒼依に手伝って貰おうかと思ったけど、部活忙しいらしいから下手に声かけられないか。
 願わくばまともで、やりがいのある手伝い事でありますように。