identity?
独自の世界を築き上げ 独自の道を突き進む。
これは色んな意味でヤツにぴったりだ、とそう思った。
俺は今、とある試練の真っ只中にいた。
そう――原稿の受け取り、という。
ダンダンダンッッ
「こらっ!!このバカ!!ドアを開けろってのに!!!」
ご近所への迷惑なんてのはこの際考えないことにしておいて、俺は手が痛くなるほどに目の前のドアを叩いていた。ドアへ打ち付ける音の合間に「絶対嫌だ!!」だの「帰れ!!帰ってしまえ!!」などという声が聞こえてくる。
「帰らないに決まってんだろ?!大体締め切り2週間も伸ばしてやったのにまだ出来てないたぁ、どういう了見だコラ!!絶対に今日中に仕上げて貰うからな!!!――兎に角ここを開けろっっ!!!」
ダンダンダンダンダンッッ
再び強くドアを叩く。……っく、手が痛ぇ。
しかし中からは
「仕方ないだろ!編集のお前なんかにはわかんないだろーけどなっ、キャラクターがちゃんと動いてくれないのに無理に動かしたら世界が上手く成り立たなくなるんだよ!そんな作品は世に出したくないんだ!帰ってくれ!!!」
と、俺には全くもって意味のわからん言い訳と“帰れ”が帰ってきた。
――ホッントに意味わかんねーよ。キャラクターが動いてくれない?キャラクターなんてのは動かす動かさないじゃなくて作者が考えるモンだろうがっ。
「意味のわからん事ほざいてないで早く開けろ!!それとも何か?お前はそんな言い訳でこれから先何にも書かないつもりか?! 別に俺は構わんがな!世界中のどっかにいる希少な天然記念物なみのお前のファンの皆様に申し訳ないと思わないのかっ!!!」
大声で捲くし立てる。無論“俺は構わん”てのは嘘だ。……とても構う、そうとても。こいつが原稿仕上げなきゃ俺は路頭に迷ってしまうになるのだ。
まぁ、それはさておき。そんな俺の言葉にすぐに反論が来ると思ったのだが――
カチャリ
しばしの沈黙の後、鍵を開ける音がした。
俺は少し驚きつつもドアノブを捻る。ドアを開けたその先には
「希少ってのは失礼だぞ。僕はこれでもベストセラー作家だ」
憮然とした顔のヤツが居た。
* * *
「大体君はさ、少し周りの事を考えたほうが良いと思うよ」
渋々といった感じで通された書斎。自分の事を棚に上げたか、それとも自覚無しなのかは知らないがヤツは心底困ったようにそう言った。俺はそれに一言だけ返す。
「ヒトの事を言う前に実践なさってクダサイ、センセ」
その言葉に自覚はあったのか、「うっ」と小さく詰まって、コホンと咳をする。
「あー、まぁ……うん。そうだね、今コーヒーを持ってこよう!」
無視しやがった。そして俺が何かを言う隙を与えずに部屋から出て行く。後には扉の向こう、パタパタというスリッパの音だけが聞こえていた。
「……ったく」
小さく呟いてキャスター付きの椅子に座る。これはいつもヤツが物を書く時に使っているものだ。大きめの黒い机とセットになっていて、とても使いやすい。値段も普通に買えば相当高いのだろうが――これは“タダ”だった。どこのバカが捨てたのか知らないが、道端に放置されていたのを見つけて勝手に持って帰ってきたのだ。その時は丁度俺も一緒で、担いで帰ると言って聞かないバカの為にわざわざワゴンのトランクを提供してやったのを覚えている。
……綺麗だとは言え、道端に捨ててあるようなモノを使うヤツの気がしれないが。
「まぁ、使い心地は最高……か」
カラカラとキャスターを転がした。
「それで?今回の事の原因は?」
目の前でミルクと砂糖をどばどばと入れるヤツを見ながらそう聞いた。ちなみに俺はブラック派だ。
「んー、別に影響とかはないんだけどね。ただこう……上手く動いてくれないんだよ」
6杯目の砂糖を入れ終えてやっと砂糖入れの蓋を閉じる。ティースプーンでかき混ぜながらそう返してきた。
「上手く動いてくれないって、ちゃんと話は考えてあるんだろう?」
どの作家もそうか、と言われるとわからないが大抵の場合は作品を描く前にプロットという物を作る。大まかなあらすじやポイントになるような話を書き留めておくような物だと思って貰えればいいだろう。それを作っておく事によって矛盾点が出来にくい、筋が通った物語を作りやすくなるらしい。
そしてソレをヤツも作っていたハズだ。
だから今回のような事は起きにくいと……思っていたのだが。
「違う、違うよ。 話はそりゃもうちゃんと考えてあるとも。でも細かい所はやっぱり書く時に考える事になる。するとね、キャラクターがその細かい所で思うように動けなくなる事があるんだよ。
今度もそうだ。美緒――つまりは犯人なんだけど、この子が犯人だとはわかっていない時に主人公と話す場面とか……何だか上手く話してくれないんだ。余り考えずにキィを叩いていると後で読み返して露骨過ぎる感じがしてしまったり、ね」
それはつまり“犯人”っぽさが出過ぎるという事だろうか?……ううむ、読者側としてはわかりやすい気もするがやはり書く側としては納得がいかないんだろうか。
「一度でも、少しでもそう感じてしまうと全てがダメになってしまうようなそんな気分になってしまってね。何を書いても気持ちがついていかないんだ。……そんな状態で書いたものは僕の“作品”とは呼べない」
そう言ってミルクと砂糖たっぷりの最早コーヒーとは呼べない代物を一口。格好をつけてはいるが、可愛いクマさんの絵柄のマグカップで台無しである。
「作品とは呼べない……ねぇ。俺としてはとりあえず原稿上げろと言いたいんだが――」
そこで切ると、間髪入れずに「鬼」と言われた。
「……。ま、とりあえずちょっと見せてみろよ」
ノロノロとソファから立ち上がって机の上のパソコンのスイッチを入れる。
ブゥン、という音がしてOSが立ち上がる。
「あ、それ。そのソフトだから」
そう言われてデスクトップにあるアイコンをクリックする。比較的軽いソフトらしく、すぐに立ち上がった。画面には以前書いていたらしい物がそのまま映し出されている。「最後に開いたファイルを表示~」とかそんな感じに設定してあるのだろう。
「……どーぞ」
小さく言って、ヤツはその場を離れた。俺はブラックコーヒーの残りを飲み干すと、パソコンに向かった。
* * *
カチ カチ カチカチ
マウスをクリックする音が部屋に響く。意外と量を書いていたらしく、スクロールバーが随分小さくなっていた。俺は下の方の三角印をクリックしながら下へと読み進めていった。
* * *
「ふ……ぅ」
読み終えて、思わず出た溜息。いやこの場合は感嘆の息、か。
何がどう不満なのか全くわからない。話の筋も通ってるし、ヤツが気にしていた“露骨”云々は丸っきりその姿を見せなかった。……けして俺がそーいうのに疎いというワケではなく。
「なかなか良いじゃないか」
パソコンの画面を見たままそう言った。
「……」
ん?すぐに反応すると思ったんだが――
何も返ってこないのを不審に思って振り向くと、
「……Zz」
ソファに横たわってすぴすぴと眠るヤツが見えた。
「おぃ……」
ふと気がついて窓の外を見れば随分と陽は低く、景色は橙に染まっていた。
意外と時間がかかっていたようだ。 いや、それでもこの状況で寝るか?フツー。
――ゴーイングマイウェイとはこの事か。
俺は今度は正真正銘の溜息をつくと、カバンからフロッピーを取り出してドライブに挿入する。そして今読んだ分を書き込む。起動音だけが響き、しばらくして書き込みが終わり自動的に出てきた。
中身がちゃんと入っている事を確認し、パソコンの電源を切る。
その一連の動作の間にも全く起きる気配を見せずに眠っているヤツに手近にあったケットを掛け、部屋を後にした。
家を出るときに鍵も掛けずに寝ているのは無用心かな、とは思ったがどうする事も出来ないので一応きっちりと入り口の門を閉めておいた。
俺は塀に寄り添うように停めていたワゴンに乗って、エンジンをかける。
「ごくろーさまでした、センセ」
絶対に聞こえない呟きを残して、ワゴンは走り去っていった。
* * *
後日。勝手に持っていった事がバレて、かなりの勢いで怒鳴り散らされたのは言うまでもない。
ホントはかなりヤバいんだが――まぁ、そこはそれ。
「幼馴染の誼(よしみ)って事で」
「納得出来るかああぁっっ!!!!!」
閑静な住宅街の中――ご近所迷惑も省みず大声で、ヤツは叫んだのだった。
2005.11.12.