台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題
[ 27 ] もう、追い付けないよ。

 それを知ったのは偶然だった。
 書を借りに入った部屋で、変な積み方をされていたせいか崩れてきた本の隙間にそれはあった。
「……しゃ、しん」
 写真だった。
 ぼやけたピントで写されたそれには男が一人と、女が一人、笑ってこちらを見ている。
 幸せそうな笑顔で、男は女の肩を抱いている。
 見知らぬ顔の、その男が抱いている女の顔は見知った顔だった。

 コンコン

 開けっ放しにしていた扉が叩かれる。
 慌ててそちらを見ると、“見知った顔”の女が立っていた。
「何してるんだ、ティカ。……随分散らかして」
 少しウェーブのかかった長髪を揺らして彼女は近づいてくる。
 その顔には呆れたような表情を乗せて、……少しだけ怒気も放って。
「ちょ、ちょっと調べたい事があったから!あ、あとこれは俺がやったんじゃなくて勝手に崩れてきて!」
 言い訳がましく聞こえるかもしれないけど、本当の事だから仕方ない。
「調べ物? ほう、勉強か。 偉いな」
 ひょい、と手に持っていた本を覗き込んでくる。
 でもすぐに顔をしかめた。
「……。もっと、マシな勉強をしろ、お前は」
 俺が持っていたのは植物を掛け合わせて新種を作る〜的な事が書かれている本だ。とても難しい本、なのだが。
「どうせ“ピーマンの味がしないピーマン”とか、“1本の苗から数種類の果物を収穫出来る品種”とか……そういう事やりたがっているのだろう?」
 う、図星。
「べっ、別にいいじゃねーか!大体ピーマンってのはなァ、マズすぎるんだよ!」
 それに……果物いっぺんに取れたら効率がいいじゃねーかよ。
 ブツブツ言ってるとポンポンと頭を叩かれた。
「まぁ、何にせよ勉強するのはいい事だな。でも魔術の事も少しはやるんだぞ」
 そう言いながら本棚の方へ向かい何冊かを取り出した。
「ホラ、これとかわかりやすかったな。アルスラが薦めてくれたんだが、古代の魔法使いの研究書を元に書かれているそうだ」
 分厚い本を渡される。
 思った以上に重かったそれを支えられなくて体勢を崩しかけ、その反動で持っていた本を落としてしまった。
 そしてそれと一緒に、さっき見ていた写真もひらひらと床に落ちた。
「……これ、は」
 驚いたように呟いて、写真を拾い上げる。
「え、と。なんかこの、崩れちゃった本の間に挟まってたみたいなんだ! そこに写ってるの――ミライザだよな?」
 他の落ちた本を拾いながら言った。
 彼女は「あぁ」と小さく頷いた。



 その後は各自室に戻って、そのまま就寝。
 写真の話はしばらくの間、露ほども出てこなかった。

 俺は気にしてないといったら嘘になるが、問いただす程の物でもないので何も言わずにいた。
 何で肩なんか抱かれてんだよ、とか。
 めちゃくちゃいい笑顔してっけど、そんなの俺には見せてくれた事ないよなぁ、とか。
 ていうかその男誰だよ、お前の何々だよ、とか。

 ――訂正。
 めちゃくちゃ気にはしていたが、ミライザの反応が怖くて問いただす事が出来なかった。
 意味深に視線を送ってたりしたからこっちの訊きたい事くらいわかってただろうけど、何も言わなかったからこれで話はおしまい。
 全部忘れて無かった事にしろ、と。 そういう態度だったのに、ふとした会話の中でそれは唐突に出てきた。



「おぉー!今回のトマトはなかなか出来がいいなぁ!」
 麦藁帽に首タオル。完璧に農家のおっさんと化している。
 そして採りたてののトマトを服でゴシゴシと拭いてからかぶりついた。
 口の中に広がる甘さに感激しながらニヤニヤしていると背後から声が聞こえた。
「懐かしいな」
 日差しを掌で遮りながらミライザはそう言った。
「……懐かしい? トマト作り始めたのはそんなに昔じゃないぞ」
 今年が3回目の収穫だから、失敗分も合わせてせいぜい4〜5年だ。
「いや、そういうんじゃなくて。 昔――よく知っていた人もこういう事が好きで、それを思い出したんだよ」
 誰の事だ?と考えて、ふと思い出した。
「あー……もしかして、あの写真の?」
 そういえば挟まっていた本は植物系の本だったような気がする。
 ミライザは「覚えていたのか」と軽く驚きながら、首を縦に振った。
「お前と会う随分前の話だけど……今でもよく思い出すよ」
 遠い、遠い。
 過去を見るように空を仰いだ彼女に俺はちょっとムッとする。
 別に彼女自身にムカついているわけじゃない。 そういう表情を彼女にさせる男がムカつくのだ。
「……ふーん。 で、誰なんだよソイツは」
 不機嫌をあらわにしながら訊いた俺に苦笑しながら、
「アベルっていってね。同じ街に住んでいたんだ」
 そう答える。

 そして。
「わたしを庇って死んでしまった」



 * * *



 その日は久しぶりにフレアとファルギブが遊びに来た。
 いつも唐突にやってくるので食事の用意が大変になる。だから食後に「少しは考えろ」と言ってやるとフレアは「悪い」と謝り、ファルギブは……何か色々言ってたけど、聞かなかった事にする。
「じゃあ、お詫びに皿洗いでも手伝おうかな」
 そう言ったフレアと一緒に後片付けをする。ちなみに家事は当番制で今日は俺だった。
 横に立つフレアにすすぎ終わった食器を渡して布巾で拭いてもらう。
 しばらくそうしていて、あと少しという所でふと思いついた。
「そういやさ、フレアはミライザの昔の事とか知ってるんだよな?」
 一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに
「あぁ。そうだな、知ってると思うが……それがどうかしたのか?」
 と答えた。
 俺は見つけた写真の事と、こないだのミライザの様子を話して、直球にその男が何者なのかと訊いた。
「アベル……。 あー……アベル=スティラートか。 何者って、ただの人間だったぞ?」
 首を傾げながらそう言ったフレアに、「そうじゃなくて」と言った瞬間、手伝いもせずにソファでごろごろしていたファルギブが大声をあげた。
「ぶわぁーか! そういう事じゃなくって、思春期なティカ坊ちゃまはどういう関係だったのか、とか恋人だったのとか、正直殺したいけど、アッもう死んでるんだったもう1回生き返らせて殺したい!とか、そういう事を訊きたがってんだよ」

 ……。
 ……相変わらずなんてウザいヤツなんだ。
 大体なんだ思春期って。

「あぁ、なるほど。そういう事だったか。 えーっと、同じ街の人間で、たぶんどっちも好きあってたっぽいけど告白とかはしてなかったらしいから恋人では無いなぁ。あと生き返らせるには時間が経ち過ぎてるからちょっと無理かな」
「まともに答えなくていいから」
 律儀にファルギブの言った事に返したフレアにそう言いながらため息をつく。
「じゃあ“庇った”っていうのは?」
 そこが1番訊きたかったところだ。
 フレアは少し考え込んで、きょろきょろと辺りを見渡した。
「……ミライザには私が言ったって事話すなよ?」
 俺は神妙に、頷いた。

「ティカはミライザがどんな状況で“魔術師”になったのか、知っているか?」
 首を横に振った。昔からいくら訊いても絶対に教えてくれなかった。
「そうだろうな、きっと話したくないハズだ。
 ミライザは――私達が見つけた時、ほとんど発狂していたんだ」
「……え?」
「自分が変な体になった事を認識してしまったミライザは何回も自殺を試みた。……結果は言わなくてもわかると思うけど、全ては失敗に終わった。
 それだけでも十分精神を壊しただろう。 けれどもっと悪い事にその“自殺”の場面を街の人達に見られてしまったんだ。
 あっという間に噂は広がりそれに恐怖した街の人間によって魔女狩りと称した虐殺が始まろうとして――アベルはそれを阻止しようと立ちはだかって、ミライザの目の前でなぶり殺しにされた。
 ……それは発狂してもおかしくない程の悲惨さだった」
 淡々と告げられる真実は、情感をこめて話されるよりもずっと惨さを浮き彫りにさせた。
「私達がそこに駆けつけるのがもう少し早ければ、と今でも思うよ。……本当に――見ていられないような状態だったんだ」



 * * *



 フレアにその話をして貰ってから数ヶ月が経ち、俺は写真の男の事を忘れかけていた。
 ミライザにとっては思い出したくない話のはずなので、うっかり口に出さないよう故意に忘れようとしていたというのが本当のところだが。
 でもそれがいけなかった。
 本当は、絶対に忘れたりしちゃいけなかった事だったのに。



 少し遠出をしよう。場所はお前の好きな所でいい。
 そう彼女が言ったので、少し前にフレア達と一緒に編み出した空間移動の魔法を使ってみる事にした。
 移動したい場所を頭に思い浮かべて発動のきっかけとなる呪文を唱える。
 行った事のある所ならその情景を思い浮かべ、行った事のない所なら地図などで地名を調べその名前を思い浮かべながら発動させる。 前者ならその場所に飛ぶが、後者ならその地名のどこかに飛ぶ。
 今回は後者だった。

「へぇ、結構大きい街なんだなー」
 着いた場所はそれなりに発展した都市だった。
 大きな建物が立ち並び、道々ではたくさんの人が行き交っている。
 俺達は上手い具合に人通りの無い裏路地に出現し、人波に紛れて広場のような所へと出ていた。
 真ん中には大きな噴水があり、縁には休憩の為に腰掛けている人がちらほら居た。
 主にご老人、時々中年。
 若い人や子供は流石に元気があるのか、噴水で遊ぶ子供と付き添いの人くらいしか居なかった。
「……で、どうするよ?何か店とか行くのか?」
 ざっと辺りを見渡しながら横に居るミライザに問いかける。
 食べ物屋はたくさんあるようで、昼時という事もあってかなり賑わっていた。
「そうだな。いい時間だし、そうしようか」
 軽く頷き広場を後にしようとした。

 その時、

 クンッ

 ミライザの服の裾を掴んだ人間が居た。
 引っ張られた裾を辿るとさっきまで噴水の縁に座っていた老人の手があって。
 老人の目は大きく見開かれていた。

タラス……!!!!

 そしてミライザの目も見開かれた。
「……どこで、その名前を」
 そこまで言って何かを思い出したように俺の方を見た。
「ティカ。この街は何だ? この街の名前はまさか……チェザーク、なのか?!」
 震える声。まるで泣いているように聞こえる。
 俺はその事にすごく動揺して、口を開く事が出来なかった。
「どうなんだ、ティカッッ!!!!」

 コクン

 首を縦に振る。
 目の前の彼女は見る見る凍りついていった。
 そんなミライザを見て、その老人は大声で叫ぶ。

「この街の、名前くらいは覚えていたようじゃなぁ?!
 ワシは、ワシ等は貴様の事を一時たりとも忘れはしなかったわ!
 あの惨劇を!!あの暗い夜を!!……貴様がこの街を壊した日の事を忘れはしなかった!!!!」

 あんなに賑わっていた広場がしんと静まり返った。
 老人の声だけが響く。

「善良なアベルを惑わし、庇わせ、その死すらも利用して街の人間を殺していった事、覚えているじゃろう!
 魔女よ!!!

 ふと気づくと俺達に一定の距離を置いて、武器を持った人間が広場を取り囲んでいた。
 その誰もが殺気を放ち、俺達を狙っている。

 あぁ。
 最近はこういうのも随分と減っていたから油断した。

 そう思った瞬間、腕を掴まれて空高く飛び上がっていた。
 ミライザが術を使ったのだった。
 下の方では「逃げたぞ!」とか「卑怯者め!」とか……「この人殺し」とか、そういう声が上がっている。
 俺はほぼ確信していたが、あえて問いかけた。
「み、ミライザ……もしかして、もしかしなくともこの街は――」
「わたしの居た街だ」
 その顔は血の気が失せ、目だけが血走っていた。

 うかつだった。
 フレアに話を聞いた時点で、ミライザが“その街”には絶対に行きたくないだろうという事は理解出来たはずなのに。 そして魔法で飛ぶ時にそこに行かないよう、街の名前くらいは訊くべきだったのに!

 空にいるままでなんとか彼女を慰めようとするが、それは許して貰えそうになかった。
 広場に居た数人が同じように空に上がってきたからだ。

 そういえば最近一般の人間でも空を飛ぶ事が出来る術が開発されたとファルギブが言っていた。
 魔力の容量を多く必要とし、長ったらしい呪文の後に宝珠を使って発動させなければいけないので使える人間は結構限られているらしいが、それでも今まで俺達“魔術師”しかいなかった場所に彼等が上がってくるというのはちょっとした恐怖だった。

 ヤツ等が同じ目線に到達する頃にやっとこの場から去らなければいけないという思考に行き着いて、俺は横を見る。
 するとミライザは、
……逃げなきゃ、逃げなきゃ。 遠くに、絶対に捕まらない遠くに、遠くに遠くに遠くに!!!!!!
 そう叫んで、

 グンッ

 すごい勢いで俺の腕を引っ張り、そのままの勢いで空を裂くように飛んだ。
 慌てて上がってきていたヤツ等も追ってくるが、みるみる内に離されていき、やがて見えなくなった。



 街を越え、丘を越え、森を越えた所で、やっとミライザは術を止めた。



 荒い息をして、その瞳からは大粒の雫が落ちていた。
 そしてまだ、呟いていた――逃げなきゃ、と。
「大丈夫、大丈夫だミライザ。アイツ等はここまでは来れない、もう、追いつけないよ。だから、大丈夫だ」
 俺は彼女の肩を掴んで必死でそう言った。すると焦点の合ってない眼が俺を見た。
 いや、“俺じゃない誰か”を見た。

ダメ!もっと、ずっと逃げなきゃ、追ってくるわ必ず!そしたらわたしは捕まって、ずっとあの広場の磔台に縛りつけられたままになるわ……!

「ミライ……ザ……?」
 何だか変だ。 いつもこんな口調じゃないのに。
 それに――磔、って何の事だよ?

あぁ、違う。違うの。それだけじゃないのよ、貴方だって殺されてしまうかもしれないのよ
 アベル!!!!

 アベル。
 それはあの写真の男の名前だ。
 もう存在しないはずの男の名前を、何で彼女は叫んでいる……?!
「ミライザ!!ミライザッ!!しっかりしろ、どうしたんだよ、しっかりしろよ!!!!」
 肩を大きく揺さぶるが彼女の焦点はいつまでも合わない。
 俺は泣きたい気持ちになり、でもそれを押し留めて耳のピアスを手で包み魔力を籠めた。こうする事で同じようにピアスをしている人に声を届けられるようになるのだ。
 小さい声でも聞こえるのはわかっていても、大声で叫んだ。
フレア! フレアッッ!! 助けてくれ、ミライザが……!!!!



 * * *



 ベッドの横にある椅子に座り、眠る彼女を見ていた。
「……すまないな、ティカ。もうずっと大丈夫だったから油断していた」
 ドアの脇でフレアが言った。
「昔、見つけた頃はずっとこんな感じだったんだ。 いつまでもアベルと逃げ回っている記憶を繰り返して。

 ――実際にはそう長く逃げ回ってられずに捕まってミライザは磔台に、アベルは遠くへ連れていかれる所だったが一瞬の隙をついて逃げ、ミライザを助け出そうとして……広場の磔台の前で殺されたそうだ。
 そして好きな人の死を間近で見てしまったミライザは、自分でもわからないままに力を使って辺りに居た人達を殺してしまった。……その、さっき言ってた老人の話はこれの事だろうな。 私達がそこに着いた時、ミライザは血溜まりの中でアベルの亡骸を抱えて泣き叫んでいたんだ。

 そんな最期だったから、無理にでもアベルの死を否定したくて、記憶の中でずっといつまでも2人で逃げていたんだろうな。それはすごく辛い事だけど、1人きりじゃないというのはすごく嬉しいものだから」
 そう言ってベッドの側までやって来る。
 そしてミライザの髪をそっと撫でた。
「あの頃はもう普通の精神状態には戻れないんじゃないかと思っていた。でもな、ティカ」
 こちらを振り向き、優しく笑った。
「お前がいたから、ミライザは戻ってくる事が出来た」
「……え?」
 唐突に言われてきょとんとしてしまった。
「ミライザを見つけた年にお前が生まれて、すぐに“魔術師”になる子供だとわかった。
 だからいつ覚醒してもいいように影ながら見守る必要があって、私達は相談してミライザにその役をやって貰う事にした。
 勿論そんな状態のままじゃダメだから、何回も何回も話しかけて、『1人じゃない』という事と守るべき存在がいる事を理解させて」
 一旦息を吐き出して、またミライザの方を向いた。
「やっぱり最初はすぐに何かあるとこんな状態になってたけど、次第にそれも無くなっていった。ずっとティカの事を見ていて、守らなきゃいけないんだって自覚していったからだと思うんだ」
 遠い昔を思い出すように話すフレアの後ろで、俺は
「そう、か」
 と小さく呟いた。

「今日の事はあまりに突然だから対応出来なかっただけだと思う。だから大丈夫だとは思うけど――万が一何かあったらすぐに連絡を入れてくれ。すぐに来るから」
 もう一度ミライザの髪を撫でて、フレアは部屋から消えた。

 俺はまたベッド脇の椅子に座り、眠る彼女を見ていた。
 少しウェーブのかかった髪がシーツの上に投げ出されている。その一房を手に取り、口付ける。
 そして思わず悪態をついた。

「ちくしょう、母親は2人もいらねぇんだよ」

 さっきまでのフレアの話を聞いているとわかってしまったのだ。
 彼女が俺へと向けるものが何なのか。

 生まれた時から見守って、おかしかった精神状態が回復する程に大きな存在で、でも恋人に向ける愛情じゃない。
 母性愛以外の何物でも無いそれは、俺が欲しいものじゃ無い。

 ……。
 …………。

 まずは異性として認識して貰う事から始めないと。
 見てろよミライザ。“アベル”の事なんて追い付いて、追い越して、綺麗さっぱり忘れさせてやる。

 だから、早く目を覚ませよ。
ぐだぐだなのは毎度の事なので今更ですが、やっぱりぐだぐだですね!!
シリアス(?)に見せかけて実の所ティカの恋愛相談室みたいな話でした。
ティカの小さい頃のもいつかまともに書いてあげたいですなぁ。

2008.3.4.