台 詞 で 創 作 1 0 0 の お 題
[ 76 ] 自慢じゃないけど、傷付く勇気は無い。

 久しぶりに締め切りにも余裕があって、俺は実にいい気分だった。
 担当の先生方も順調に進めているみたいだし、編集作業だってスイスイ進んでる。
 その日もノルマを早々とクリアし、なんとも嬉しい事に時間に余裕があったから晩飯を気合入れて作るか!
 ……って、材料買い込んで、いつものようにアヤの家に向かったんだ。

 アヤ、というのは俺の担当してる作家先生の一人、新島絢人(にいじま あやと)の事だ。
 作家と担当という間柄だけでなく、俺達は幼馴染だった。
 別にご近所さんでは無かったのだが、親同士が仲が良かったらしい。――今は両親とも他界しているので詳しくは知らないが。
 アヤは今、昔から住んでいる家に一人で居る。
 だから――という事でも無いのだが、締め切りに関係無く出来る限りアヤの家には行くようにしている。
 一人暮らしのくせに家事という家事が出来ないアイツの為に、なんていうと若干どころかかなり気持ち悪いが、ある意味当たっているのでどうしようも無い。
 なんたって我が社を支えていると言っても過言では無い作家先生なのだ! 万が一、何かがあっては困る!
 ……というのはまぁ、建前で――自分ん家より仕事場から近いからな……。
 昔から何度と無く訪れているし、最早勝手知ったるなんとやら。第二の家と化しているのだ。

 さて、そんなワケで俺はいつもよりちょっぴしお高めのスーパーで買った荷物を片手に颯爽と玄関の扉を開けた。
 大抵すぐにアヤは俺に気づいて玄関まで迎えに来てくれるのだが――今日はそれが無い。
 もしや出かけてるのか?と思ったが、人の気配はする。……泥棒さんだったら終わりだが。
 出迎えてくれないのを不思議に思いつつもとりあえず食材を冷蔵庫に――とキッチンに向かい、
「……酒臭っ!!」
「あ゛ぁん?」
 ……そこで呑んだくれているアヤを見つけた。

 *

「おま、……おまっ!?」
 あまりの出来事にツッコミの言葉がうまく出てこなかった。
 キッチンに立ち込める異臭――あぁ、酒の臭いの事だ――、目の据わった作家先生。片手には俺が飲みたくて呑みたくてしょうがなかった超高級日本酒が握られてやがる。ちくしょおお、アレ高いんだよな!!!
 ……て、違う違う。
「なっ、何で酒なんか飲んでるんだよ!? お前弱いだろうが!!」
「ちっ、っせーな」
 う、ウワアアアアア!!!
 ガンたれるだけでなく、舌打ちまでしましたよこの人!!いつもはこんなんじゃ無いのに!!
 アヤは酒に弱い。……のに酒が好きだった。
 しかも顔が赤くなったり吐いたりもせず――完全に“のまれる”のだ。酒に。
「オレが酒飲もうが何しようがテメーには関係無ぇだろ――すっこんでろボケが。死ね」
 ……泣きたい。
 笑い上戸泣き上戸絡み酒などなど、酒によって起こされる症状は多々あれどコイツはそのどれでもなく、そしてそのどれよりもタチが悪かった。
 普段笑顔に隠されている黒い部分が、完全に表に出てくるのだ。
 ――人はそれを二重人格と呼ぶ。
「どっ、どうしたんだよアヤ? 酒なんか飲んで……」
 恐る恐る聞いてみる。
 するとヤツ――普段の彼とは違い過ぎるのでつい、こう呼んでしまう――は俺に一瞥をくれた。
 そして、
「二度同じ事言う程オレは暇じゃねーんだ、消えろ、今すぐ」
 くいっ、とラッパ飲み。
 ……。……待てコラ。
 流石に付き合いは長いので、今までにも何度と無くこの二重人格様には応対してきた。
 しかしながら、今回は特に酷いように思う。――まぁ、一升瓶ほとんど空だしな。呑んだ量に比例するのなら、コイツはとんでもなく凶暴な人格に成ってしまったって事になる。
 こめかみに青筋を立てながらも冷静に分析する。
 さて――コイツをどうするか、と。
「ンだよ、まだ消えてなかったのか。はよ、去ねや」
 何でこういう時に関西弁が入るのか、と。まぁ、お母さんが確か向こうの人だったからなぁ――とか考えたりしていたが、ううん、そうじゃないだろ。
 俺はとりあえず元凶とも言える酒を取り上げることにした。
 幸い、今は態度で負け負けだが体格的には俺に分がある。
 ぐっと一升瓶を掴むと案の定反抗されたが有無を言わさず取り上げた。ついでに洗ってあったコップに氷と水を入れて一升瓶の形のまま固まっていた手に握らせてやった。
「飲んで」
「ハァ? んで、テメーに指図受けなきゃなんねーんだよ」
「いいから、飲んで下さい」
 まずはこのタチの悪い酒を抜くことから始めなければならない。
 それまでは何を言われように下手に出るに尽きる。
「いいから、いいから」
 そう何度も促す俺に文句を言うのも飽きたのか、アヤはコクコクッと水を飲んだ。
 酒のせいではなく部屋に篭った熱気のせいかアヤの頬には若干の赤みが差していたが、それが僅かながら引いたように思う。
 さ、次は。
「シャワー浴びてきてください」
 ぐいぐいっと風呂場に追いやる。ついでに替えの服も用意してやる。俺ってば完全におふくろさん。
「触んなようぜぇから、ったくわかった行くから押すんじゃねーよ!!」
 とかとか、言ってたけど頭っから無視だ。対応してやる義理は無い。
 アヤを風呂に入らせている間に部屋の換気だ。
 都合よくキッチンだったので窓を開けて扇風機と換気扇を回せば他の部屋よりも早く空気の入れ替えが済んだ。
 ……前に納戸でされた時は堪ったもんじゃなかった事を思い出す。

 程なくして風呂場の戸が開く音がして、衣擦れの音が聞こえてきた。
 衣擦れ――これが彼女とかだったらすげぇドキドキのシチュエーションなんだけどね。悲しいかな、俺は今や完全に子供を待つおふくろさんなのである。
 そしてやはり程なくして、アヤはやってきた。
「………………ご、ごめんねタカ」
 素面に戻って。

 *

「で、こうなった原因を聞かせて貰おうか」
 晩飯時。
 俺は買ってきた材料を余すことなく使って、晩御飯をこしらえた。
 今日は豪華海鮮天丼だ。その名の通り、海鮮系の天ぷらをたくさん作ってそれを極上の天つゆと共に熱々のご飯に盛り付けて食す、最高の食べ物だ。
 その最高の食べ物を前に、アヤはシュンとなっていた。
 僅かながらに酒の臭いが残ってはいるが、もう普段のアヤに戻っている。
「え、えと……うーん、話すと長いんだけど」
「それは本当に話すと長くなるのか、話したくないのかどっちだ」
 間髪入れずに問う。
 アヤはウッと詰まった。……後者か。
「話せ!」
 その原因がプライベートな事だったらちと聞くのは引けるのが、実際問題俺には迷惑がかかっている。――原因をはっきりさせて貰わないとこちらも困るのだ。
 ギリリとさっきとは逆にガンたれるくらいの視線をアヤに送ると、ややあって折れた。
 ポツリ、とそれは呟きから始まった。
「……感想を、聞いちゃったんだ」
 はぁ?!それだけじゃ意味わっかんねーよ!!
 とすかさず合いの手(?)を入れたくなったが、抑えろ俺。
「感想ってお前の作品のか?」
 コクリと頷くアヤ。
「感想聞いて、それが何でヤケ酒に繋がるんだ?」
 作品を読んでの感想というのは、ファンから今までにもたくさん貰っているはずだ。それなのに、なぜ?
 するとアヤはフルフルと首を横に振って、言った。
「……わ、悪い方の、感想」
 基本的にファンからの感想というのは肯定的意見ばかりだ。そりゃま、そうか。その作品がよっぽど気に入らなければわざわざ筆をとろうなんてヤツは居そうに無い。たまにそうでない人も居るが、それでもやはり作品を全て読んでくださった上での意見なので全否定では無い――と思う。
 しかしながら、今回の“感想”を言った人物とは、そういうのとは違うものだったらしい。
「……ほら、こないだね新しいの出たでしょ。それが本屋さんに並んでたんだよ。……でもそれを凝視するのも恥ずかしいから、横をサッと通り抜けようとしたんだ。
 でも、その時にね――声が、聞こえてきちゃって……」
 アヤの話によると、その声の主はどうやら高校生くらいの男子二人だったらしい。

 * *

 平積みの本の前に立って、一人が言った。
『その人の本こないだ読んだけどさー、くっそつまんなかった。何アレ』
 もう一人が返す。
『そうかな? ぼくは結構好きだけどね、この人の。読みやすくない?テンポいいっていうか』
『……あー、テンポねぇ……』
 肯定的な意見を言った一人に、最初の一人が返す。
『話のテンポっていうか、テンポ良く――人、殺しすぎじゃね?』
 そうして本を手に取りパラパラと捲る。
『この話がどうかは知んねーけどさァ、俺がこないだ読んだヤツ何人死んだと思う?十人だぜ、十人!
 人が出てきたと思ったらバッタバッタと死んでってさぁ。まー、推理小説だから死ななきゃはじまんねぇのかもしんねーけど。
 でもコイツが怪しい!→死んでる→犯人じゃない。
 のくだりを何回繰り返すんだ、っつーの!!最後の方には飽きてきて、はいはいまた怪しい人出ましたーまた死ぬんでしょーとか思ってたら、ソイツ犯人だしよ。
 もうハァァ!?って感じだったって』
 身振り手振りを加えて説明するその一人に、もう一人はぽむっと手を打つ。
『それはちょっと言えてるかも。この人ってさ、絶対殺すの好きだよね』
『だろ!? そりゃあある程度死なないと話も発展し辛いんだろーけど、殺しすぎたらぐだぐだになるんだって事、言ってやりたいぜ全く。
 話の中とは言え、こんなに殺しまくってさ――この作家せんせ、ホントはマジで人殺したいから文章にして発散してんのかも、とか思っちまったぜ』
『はは、確かに』

 * *

 俺は手元のプリントを読み終えた。
 アヤの話によると――ていうのは、読んで字の如し。
 ご丁寧に彼はその時聞いた会話を文章にして小説仕立てにしていたのだ。……なんちゅー無駄な事を。口頭で伝えろよ!
 話せば長くなる、なんて口を濁していたわりには妙に用意周到なのも引っかかったが、そこはあえて触れないでおくとして。
「……ま、まぁ、大体の筋はわかった」
 ゴホンと咳払いをしてプリントを机の隅に置く。
「で、この感想?聞いて――それがヤケ酒に繋がるほどショックだったのか?」
 恐らくこの男子高校生の一人が読んだのは、かなり初期の作品だ。それはもうバッタバッタと死んでいった。大長編でも無いのに死にすぎて本当にびっくりだ。
 しかしそれはその本を出した辺りで既にだいぶ言われていた事なのだが――。
「改めて、今、この時期に言われたのがショックだったんだよ!
 ……覚えてるかな、前に見た映画のせいで僕、人が死ぬ場面を書けなくなったって言ってただろう?」
「あ、あぁ……」
 そんな事もあったな、と思い出す。
 そう――確か戦争モノの映画を見て、人の命の尊さを理解しただのご高説を並べ立てて、あげく人が死ぬシーンを書くのが辛くなったとか言って、締め切りをブッチ切ろうとした時の事だ。
「締め切り逃げの話な、うんうん覚えてる」
「確かに締め切りを破りそうにはなったけど、本当に一時的にではあるけど、書けなかったんだよ!!!」
 ……破りそう。
 じゃなくて、破ったじゃねーか!どアホ!!
 と言いたいが、今は置いておこう。
「本当に僕は人が死ぬのが怖くなった。話の中とは言え、その人の生きてきた人生完全に否定するようなモンだ。
 自然死なら良い、事故死でも良い――でも僕の場合、“僕の悪意”によって思考を支配された人間に……殺されるんだ。
 殺されるほどの罪があったのかもしれない。でも人間が人間を裁くなんて事、本当は誰にだって出来やしないハズなんだ!
 誰にだって、生き続ける権利はあったハズなんだ……」
 ……まぁ、こないだ発売された本でもちゃんと死んでますけどね。
「で、それがヤケ酒にどう繋がるって?」
 食事の前に軽く済ませてしまいたかったが、思いのほかかかりそうなので箸を取る。熱々――からはちょびっと遠ざかった天ぷらをつまんだ。
「今はその映画のせいもあって、そんな風に思うんだ。
 でも男子高校生が言っていた話を書いていた時は違う。……僕は本当に、人を殺すのが楽しかった」
 アヤはと言うと、箸を握り締めてはいるものの、天丼には手を伸ばさない。あー、冷める冷める。
「文字の上だけでも、人一人死んでいくのが愉しかったんだ。誰がどうやって、人間の息の根を止めるか。どうやったらその行動を周囲に悟られずに済むか。どうやったら……もっと効率良く、自分の快感を満たせるのか」
 ……天丼だけでなく、俺の思考も冷める冷める。
 お前、ンな事考えてたのか。
「ほら、どうしようもなく人を殺したくなって、完全犯罪の方法を虱潰しに探したりした事、あるだろう!?」
「ねぇよ!」
「ええっ?!無いの?! ほっ、ほら、死後硬直について調べたり、死体の処理の仕方とかを夜な夜な考えたり!」
「あるわけねぇだろ!!ンな怖ぇ事、考えるか! てかさも一般論のように言うな!!!」
 思わず立ち上がって反論してしまった。
 ったく、コイツどんな頭してんだ!?
「そ、そうか……無いよね。はは、まぁ、……そりゃ、そうだ」
 ギリッと睨み付けてはいたが、しょぼくれていくアヤに俺はストンと椅子に落ち着く。
「……わかってるんだ。そんなの普通じゃないって。単なる一度やるとなかなか抜け出せない病だって」
 病――それを人は中二病と呼ぶ。こういった殺害願望では決して無いが、その辺りの年齢に一度はする突拍子も無い妄想だからだそうだ。……確か。うろ覚えかつ自分補完してるので違うような気もする。
 まぁ、その頃のアヤは中二よりも大分年を重ねていたハズだけど。
「わかってたから。今はもう――わかってるから。
 だからその頃の記憶が呼び起こされるのが嫌だった。何も思い出したくなかった、何も考えたくなかったんだ」
「……それで、酒に逃げた、と?」
 アヤは酒に飲まれると人が変わったようになる。
 それはつまり、思考も変わってしまう――という事なのだろう。
 アヤである事には変わりないのだが、思考の方向を一定方向に強制的に向かせるには確かにお誂え向きだった。
 コクリと頷くのを確認する。
 そしてようやく箸を天ぷらにかけて、また口を開いた。
「まぁ、それだけじゃないんだけどね。……感想ってさ、その内容がどうであれ、僕には酷く重く圧し掛かる時があるんだ。
 ありがたい事に僕にはファンという人達が居て、それぞれが考えた文章を手紙という“作品”にして僕に送ってくれる。
 それは本当に本当に嬉しい事なんだけど、――影響、されそうになる。
 自慢じゃないけど、傷付く勇気は無い。けど、無条件に嬉しいと思える勇気も無いんだ。
 影響されないように、僕の思考を溶かされないように、作家としての自分とは違う自分を創ってからじゃないと受け止められない時がある。
 なのに」
 そこまで言ってアヤは言葉を止めた。
 ……なんてこたー無い、最高級の車えびの天ぷらを口に運んだからだ。
 てか天丼冷めるから食べて貰えるのはいいんだけどな、そこで切るなよ!もうちょっと言ってからにしろよ!
「なのに……なんだよ?」
 もっぎゅもっぎゅと噛み締めてる最中、先を促すのはあまりよろしくないとわかっていながら、俺はそう言ってしまった。
 アヤは口をもごもごさせながら言う。
「にゃのに、ぼきゅはそのふたりのはなひぃをきーた時、ぼぎゅのままだったから、じゃいれくとにうけひれてしまったふぁけだよ!」
 ……。
 やっぱ食べ終わるまで待てば良かった。
 えーと、――“なのに、僕はその二人の話を聞いた時、僕のままだったからダイレクトに受け入れてしまったワケだよ!――かな?
 そう反復してみせると、ウンウンと首を縦に振った。
 ……しっかし、まぁ。
「お前さァ、よく
 “僕が感動するのは、影響されるのは、形のある物だ。“人”って言う、すぐに変化する気持ちを持っている生物が、その気持ちを固めて、残した物なんだよ”
 とか言ってんじゃん。
 それとは違うのに、何で影響されるんだ?」
 “”の中は若干声色アリで言ってみる。
 この台詞はアヤが何度も何度も言っているので耳にタコなのだ。……しかもそれを締め切り破りの言い訳に使うもんだから腹が立つ事この上ない台詞だったりする。
 ともかくとして、今回の男子高校生二人の会話は“形のある物”では無いハズだ。
 口から出て、一瞬の内に掻き消えてしまう儚い言の葉でしか無い。
「……そ、それはそうなんだけど……さ」
 アヤは俺の指摘に口ごもった。
「僕のその台詞はさ……綺麗ごとでもあるんだよタカ。 だって“物”じゃなくたって、自分の事を言われたら――それは絶対に心を揺さぶるだろう?良い方向にも、悪い方向にも、……揺さぶられずにはいられないだろう?」
 まぁ、それも確かに。
 面と向かって、で無かったとしても、自分の事を話題に出されて気にしない人間はそうは居ない。と思う。
「僕はその二人の言葉に影響されたくなかった。
 どうしても人が死ぬ話を書いている僕が、それを受け入れてしまうとまた“書けなくなる”気がしたんだ。
 人が死にすぎと言われると、抑えたくなる。殺したい願望があるんじゃないかといわれると、一人も殺せなくなる。
 だから、それも考えたくなくて――酒に、逃げた」
「……」
 相槌を返さないのは口の中でアオリイカの天ぷらが踊ってるからだ。あぁ、マジ美味いコレ。
 十二分にそれを味わってから嚥下する。
 そして口を開いた。
「で、上手く逃げれたのか?」
 その問いにアヤは首を横に振る。
「……ダメだった。だからもっと逃げようとして、酒飲みまくっちゃったよ」
 流し台に置かれた一升瓶に視線を向ける。ほとんど空のそれには今、水が入っている。ちゃんと洗ってビンの日に出さないといけないからな。
「傷付きたくない。それは確かだけど、でもやっぱり意見として受け止めなくちゃダメなんだよね。……時間はかかるけど、色々と考える機会をくれた彼等には感謝しなくちゃいけないね」
 なんて、力無く笑いやがる。
 俺はそれを見ながらキスの天ぷらを口に放り込んだ。
 それをやはり十二分に味わってから、一つため息。
「しかしお前も難儀な性格してるよなぁ。作品に影響されるだの、感想に振り回されるだの――悪い方面はともかく、嬉しい事は素直に受けとりゃいいのに」
 俺だったら褒められたら両手挙げて喜ぶけどね、と付け加える。
 するとアヤは苦笑した。
「僕もそう、思うよ」



 * * *



 豪華海鮮天丼を平らげた後、早々に洗い機をかけてしまうべく、順々に食器を入れていく。
 洗い機に入らないもの――今日使ったどんぶりはデカ過ぎて無理なのだ――は手洗い。それをアヤにも手伝わせながら俺達はまた話をしていた。
「でさ、僕は思うわけだよ。世に出て見聞を広めてこそ、真に重みのある作品を創る事が出来る――それは確かにそうだと思う。
 でも、世に出て見聞を広める事こそ、その人の想像を狭めてしまう事でもあると思うんだ。
 ……まぁ、それを逆に広げるくらいじゃないと作家なんて名乗るのはおこがましいとも思うんだけど」
「よくわかんねーけど、例えば?」
 じゃぶじゃぶと水音を立てながら返す。
「そう例えば、僕がこんなの見たことない!とても斬新な考えだ!と思っていたものが、他でもう使われていたとするだろう?
 それを知れたことは良い事だけど、一方で僕の考えを殺してしまう事でもあるんだ。
 自分の考えたものを、同じように考え出した人が居る。
 そういう事実があったら、それ以降に“斬新な考えだ!”と考え出したもの全てに、“もしかしたら他の人も考えているかもしれない”と思う気持ちが付きまとう。
 それは確実に創作欲を磨り減らすもので、つまりは考えを鈍らせるんだ」
 アヤは渡した食器を拭きながら言う。
「世に出て見聞を広めるという事は、色んな人の考えたものを知るという事だと僕は思う。
 他の考えを知る事で、僕はまた一つ選択肢を失う。
 仮にさっき言ったように同じ事を考えていたとして、それを発表すればただの二番煎じでしかなく、それどころかオリジナリティに欠ける話になってしまうだろう。
 その話を考えるに至った僕の想像力は意味の無いものになり、そして誰にでも考え付けるような話しか考えられない頭に絶望するわけさ。
 物を知るっていうのは――つまり、そういう事だと思う」
 説明を求めておいてなんだが、よくわからん。
 ……けど。
「ちょっと違うくないか?ソレ」
 俺は食器洗い機に洗剤を入れてぽちっとボタンを押した。
「全部が全部作品作りに直結する事じゃないとは思うけど、一つ知ることで、選択肢は減るしか無いのか?
 一つ知ることで、新しい考えがもっと浮かんでくるもんなんじゃないのか?
 誰もが思いつくような例がわかって、それを乗り越えてオリジナルを創るという事に意義を見出すチャンスにしか、俺は思えねーぜ」
 だってそうじゃないか。
 自分の考えていたものが既に誰かに使われていたとして。
 そうしたら次の物を考えるだろう? 今度こそ、誰かと被らないように――と。
 それは確実に自身の想像力を鍛える事になり、自信にも繋がるもののハズだ。
「パターンを知ってこそ、創れるオリジナルってもんがあると俺は思う。
 って言っても、パターンをツギハギにしてオリジナル詐欺しろって話じゃねーぞ。色々知った上で、そのどれでも無い事を考え出す、そのチャンスだって言ってんだ。
 だから、色んな事を知るのは決して想像を狭める事にはならんと……思うぞ」
 そしてコホンと咳払いをした。
「だからな、アヤ。さっき言ってた、ファンレター読む時の事だけど」
「うん?」
「別人格なんて創らずに、全部自分で受け止めるべきだと思う。そうして全部受け止めて、自分の中で昇華させてこそ次に繋がるだろ?」
 さっきは“嬉しい事くらい”なんて言ったけど……違うな。
 それが良い事でも、悪い事でも。
 目を背けるよりも真っ向から見据えた方が、きっと良い方向に進める。
「折角ファンレターという名の“作品”に触れる機会があるんだ。自分の糧に出来るモン、見逃すのは勿体無いじゃねーか」
 ニカッと笑いかけると、でも、と返された。
「……影響されちゃったら困るじゃないか」
「影響なんてのはな、そんなの自分の中で消化出来てない内に色々とやろうとするからそうなるんだ。全部昇華させて自分のモンにしちまえば、これほど強い味方はねーぞ!
 お前の事思ってくれる人間が、お前の事だけ――まぁ、正確に言やぁ作品、だけど――考えて、“形ある物”にしてくれてんだ。
 それは新しい境地への一歩だったり、想像力の糧だったり……いや、もっと簡単に言えば――“ヤル気”に繋がるもんなんだ。
 なのにお前、それをみすみす逃しちまうなんて、アホとしか言いようがねーぞ」
 自分でも若干言っている意味がわからないが、まぁ、あまり外れてはいないと思う。
「だから今日、お前はその男子高校生二人の話も逃げずに真っ向から受け止めれば良かったんだ。
 んで殺しまくった過去も思い出して、映画の事も思い出して、それで尚人を殺すという事がどういう事なのかを考えて――。
 そうしたら自ずと良い作品を創る事にも繋がってくだろ?」
 それから俺はビシッと人差し指を立てた。
「でな、お前がそうやって逃げなかったら俺は酔っ払ったお前の相手をする事も無く、戸棚の奥にしまってあった超高級日本酒をいつか飲むことも出来たかもしんねぇんだよ!」
 最後の方はちょっぴしトーンを大きめに。
「前に戸棚整理してた時に見つけて、めっちゃくちゃ飲んでみたかったんだぜ!?でも流石に自分で買ったもんじゃねーし、勝手に開けるわけにはいかねーだろ?
 でもお前に言うと多分一緒に飲む事になるだろ……そしたらまた口悪いのが出てきてさ、めんどくさい事になるわけだ。
 だからなかなか言い出せなかったけど……でも飲みたかったんだよ!!!」
「…………」
 力説していると、アヤの目がどんどんジトッとしたものに変わっていった。
 あ、アハハ……こりゃマズったか。
「ちょっぴし良い事言ったかと思ったら、結局そういう風に繋がるんだね……はぁ、真面目に聞いた僕がバカだったよ」
 心底呆れたようにため息をつかれた。
「……でもまぁ、確かにそうかもね。僕は誰かに影響される事に怯え過ぎているのかもしれない。
 何かを知ることによって、その分今までの自分が削られて消えてしまうような気がしていた。現に文章を書いたりする部分が一時的に麻痺してたワケだしね。
 そして知りすぎたら、自分じゃなくなるような気さえしてた。
 けどそうじゃない。
 何か、も“自分”にしていかなくっちゃ、いけないんだよね」
 ポツリポツリと呟くようにアヤは言う。
 俺はどれに動作だけ返す。つまり、頷きを、だ。
 うん――大半口から出任せで言った適当な事だけど、多分間違っちゃいない――よな?

 *

 食後の片付けも終わり、俺はいそいそと布団の準備を始めていた。
 余裕があったら自宅に帰ろうかと思っていたけれど、やめて泊まる事にする。……余裕ってのはアレだ。時間じゃなく、精神の方。
 酔っ払い止めて、話聞くだけで俺はもー精一杯だったワケだ。

 そんな俺を置いて、アヤは何やら鞄をごそごそとやっている。
 一体何だ?と問いかけてみれば、満面の笑みでこう、答えた。
「へっへっへー!西坂先生の最新刊!ゲットしてきたんだ!!」
 ……。
「いやぁ、続き気になってたんだよねぇ。いよいよクライマックスだし!上下巻出終わるまで待とうかと思ったけど、無理だったよ〜」
 ……。
 ……おい!
 俺はシーツをかけていた手を止めてアヤを凝視する。
 ついさっきまで影響がどうのと心底悩んでいたヤツと同じ言葉とは思えない。
 しかも“今”は考えを改めた後かもしれないけど、それを買った時はまだそうじゃなかったハズだ。――恐らく男子高校生の話を聞いた辺りに買っただろうからな。
 何かを知ることによって、自分が削られていくんじゃなかったのか?!
 お前が今持ってる、その話は“何か”に分類されるんじゃないのかよ!!
「……アヤ」
「ん? どうかしたの、タカ?」
 無邪気な笑顔のアヤに向けて、俺は片手をスタンバイさせる。
 そして、
「こんの――鳥アタマが!!!!」
 ぼすっという音を立てて、その笑顔に枕をめり込ませたのだった。
書きたいものが見事に昇華されてない典型例でした。そもそも何が書きたかったのが自分でもようわからん。
てか後半いらんかったかもねー。まぁ、いいか。

2011.8.3.