それは、古より“ 魔女の色 ”などと言われ、恐れられてきた色
その色は、魔性の色
しかし、私はこの世界の話をしよう。
このムラサキがとても愛しく思える話を。
言葉には意味があり、ムラサキノカケラにも意味があることを。
魔性の色とされるムラサキの儚く悲しい物語。
キーワードは、ムラサキノカケラ。
第5節 ムラサキノカケラ “ 尊い紫 ”
× × ×
一月二十七日(曇り)
もうすぐ妻の誕生日だ。彼女はいつもそんな事いい、といっているが今年は結婚して10年ということもあるので、僕だけの特別の物をあげようと思う。
彼女は何なら喜んでくれるだろうか……。明日、書斎で探してみることにしよう。
今日採掘場でまた落石事故があった。僕の仲間は全員無事だったが、隣町のやつが一人死んだ。最近地盤が緩んできているらしい。僕も気をつけないといつやられるかわからない。少し怖い。
一月二十八日(雨)
今日は休みだったから一日書斎に篭って、彼女が好きそうなものがないか、と探してみた。でもセンスのない僕にはわからないし、彼女に訊くことなんて絶対にできない。まだ日にちはあるので考えておくことにする。
雨だった。どしゃぶりだった。どしゃぶりの雨のおかげで、今日は採掘場に入れずに皆無事だった。最近落石事故が多いのも雨のせいかもしれない。今の季節に雨が多いなんてめずらしい。
一月二十九日(雨)
昨日よりマシになった雨だったが、土がぬかるみ採掘場には入れなかった。
僕は仲間に妻の誕生日に何を贈ればいいか相談した。
あるやつは「花を贈れ」と。
あるやつは「一緒にでかけたらどうだ」と。
あるやつは「愛を贈れ」と。
どれもあんまりピンと来なかった。明日一番まともなやつがくるのでそいつに訊こうと思う。
遠い街で大きな落石事故があって大勢死んだらしい。死が近づいているのかと思うと怖い。でも、僕には昔から悪運があるので大丈夫だと思う。それに彼女を残して死ぬなんて出来ない。
二月一日(晴れ)
2日も日記をつけていなかった。ずっと降っていた雨がやんで、仕事ができたからだ。
今日はすごく金持ちそうなご婦人から注文を受けた。なんでも今度結婚する娘に、飛び切りのルビーの指輪をプレゼントしたいのだとか。ケバイ表面とは裏腹に優しいご婦人のようだった。
晴れたのでまだ地盤は緩い、が事故はなかった。この晴れがいつまで続くのか心配だ。
――追記
一番まともなやつに訊いた答えは「誕生石はどうだ」だった。僕は誕生石に詳しくないので明日書斎で調べてみようと思う。書斎にそういうような本があるといいのだが。
二月二日(晴れ)
妻の誕生日まで、あと一週間をきった。今日は書斎で誕生石のことを調べた。
彼女の誕生石はアメシスト。高貴な紫水晶だった。彼女に似合うと思った。彼女の為にあるようだと思った。
今日はルビーの細工の仕事があったので採掘場にはいかなかった。事故もなかったらしいがちょっと危なくなっている、という噂を耳にした。ルビーの指輪の細工が思ったより難しいので、明日も採掘場にはいけそうもない。
二月三日(曇り)
妻の誕生日に向け、準備をはじめた。誕生石のアメシストは自分で掘り出すことにした。本当なら買うところなのが、特別だし、最近アメシストが多く掘り出されると聞いたから、自分で掘り出すことに決めた。
ルビーの細工は順調にいった。今日下見にきたご婦人も、まだ出来上がっていないのにたいへん気に入ってくれた。……気に入りすぎて少し危なかった。この調子だと明日には仕上がりそうだ。
天気がまた悪くなりだした。
二月五日(雨)
昨日は日記をつけていなかった。
ルビーの細工が終わり、ご婦人の家まで届けにいったところとても感謝されて――それはとても嬉しかった――終いには食事まですすめられて帰るに帰れなくなったからだ。
結局、家に帰ったのが遅くて日記をつけれなかった。
また雨だ。雨の音を聞くと無性に怖くなる。採掘場でまた事故があった。今度は一人死んだ。仲間だった。ずっと前から一緒にいたやつだった。今日は休みだったから行ってなかったけど、行っていたら僕も巻き込まれていただろう。もうすぐ妻の誕生日なので採掘場に行かなければいけない。
怖い――
二月六日(雨)
やっぱり雨だった。今日は日記をつける気分じゃない。昨日死んだやつの葬式に行ってきた。
二月七日(雨)
とうとう明後日が妻の誕生日だ。僕は明日採掘場に行って、アメシストを探してこようと思う。本当はもっと前に行って細工など綺麗なものにしたかったが、この雨だったのでなかなか行けなかった。しかし、もう雨だとか言ってられない。明日――行く。
× × ×
ここで日記は終わっていた。
この日記は夫ランスのものだ。いや、“だった”。
私がこの日記を見つけたのは、あの事故から一週間ほどした時だった。
あの事故……あの事故でランスは死んだ。採掘場での落石事故。犠牲者は二人。そのうちの一人がランス。あの日は雨が強くて「危ない」と私は言った。けれど、彼は「今日行かなきゃいけないんだよディアナ。大丈夫だ、帰ってくるから」と言って出かけた。
帰ってくるって言ったのに――彼は、ランスは、帰ってこなかった――
事故当日、いや正確には事故翌日。家に人が来た。信じられない、信じたくない、事実を持って。
「ランスが事故にあった!! ディアナッ、来てくれ!!」
家に来た人は、ランスの仲間で私とも面識のあるルィーダだった。いつもはおとなしく、めったなことで取り乱さない彼だったが今回は違った。私もめったなことでは取り乱さない方だと思っている。だが、形振りかまわず飛び出した私に街の人は驚いていた。
――当然だろう。夫が事故にあったときいて平常心でいられる人なんていないはず。
私は祈りながら走った。採掘場へと。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……。 ランスは? ランスはっ?!」
採掘場についた途端、私は周りにいた人たちに問いただした。でも誰も何も答えてはくれなかった。ただ困惑した表情で事故の様子をみつめるだけだった。私は埒があかないので事故現場へと入っていった。そこにはランスといつも一緒に仕事をやっている人たちがいた。皆泣いていた。
「ディアナ……」
その中の一人が私に気づき声をかける。
「ランスは? どこにいるの?! 事故なんて嘘なんでしょっ?!」
嘘なんてありえない、皆の表情、そしてこの有様。何処をどう、とっても「事故」という言葉しか浮かんでこない。でも、私には信じられなかった。信じたく……なかった。
「ねぇ?ランスは……? 彼は大丈夫だったの?」
涙声で皆に問いただす。
――誰も答えない。
「ディアナ……来てくれ」
ルィーダが私の腕を取り奥へと進んでいく。
そのルィーダの顔が、声が、何もかもダメなんだと言ってる様な気がした。
そこには……眠っているような……でも明らかに眠ってはいないあの人が――
「ラ……ンス……?ランス!!!!!」
駆け寄ろうとした。でも、ルィーダに止められた。
「離してルィーダ! あの人、ランスのとこに行かせてよ!!!」
「ディアナ落ち着け! ランスは今、息を引き取ったんだ。その時ランスは……ディアナには自分の……大事な人だかっ――」
ルィーダは泣いていた。
私も……泣いていた。
途端、ルィーダが手を離した。そして小さく呟いた。
「行ってもいい。 あいつは言ってたけど……やっぱりそんなの辛すぎるもんな……」
私は、今にも倒れそうだったけど何とか持ち直して、一歩一歩あの人の元へ近づく。
その顔は微笑んでいるようで、いい夢を見て眠っているようで……。
――でも眠っているのとは違う肌の色。どんどん冷えていく体。もう開かない……一生開かない瞳。
「ラ……ンス……。 なんで……? 私を置いていくの……?帰ってくるって!!!大丈夫だからって!!そう言ったのに……。 ランス。ねぇ、ランス。 目を開けてよ。 ランスーーーーっっっ!!!!!」
涙で顔がぐちゃぐちゃになる。視界がぼやけて……あの人の体に涙が落ちる。
御伽話だとこの涙で主人公は生き返ったりするのに……。ランスは生き返らない。
――どうして? どうして私を置いていくの……?
「奥さん……ですか?」
「え……?」
いきなり後ろから言われて、私は振り返った。そこには、人のよさそうな笑みを浮かべた老紳士がいた。
「あの……?」
「私は隣町で医者をやっているものです。今回の事件で急遽こちらに呼ばれました。私が来たときはまだご主人は息があって……。それで私に預け物をしまして、そのあと……。
……預かったものをお渡しましょうか」
そう言って、老紳士は鞄から手のひらにのるほどの包みを取り出した。
「これを。 貴女の誕生日のお祝いに差し上げたかったようです」
包みを開けるとそこには私の誕生石のアメシストの原石があった。
アメシスト……私の誕生石だった。そして明日は――
――そっか
――そうだったんだ
――あの人があんな風に言ってた理由(わけ)がわかった
――私の……
――私のために……
「っふっくっっ……」
何もかも自分のせいなんだと思った。
実際そうだった。
私が……、私が、2月に生まれてなければこんなことには!!!
「ラ……ンス……ごめんね。私のせいでこんな……私のせいで……」
「それは違う」
後ろから声がした。ルィーダだった。
「だって!! 私が……私のためにランスは!!!」
「ディアナ、落ち着け。ランスはな、お前との結婚十年目だし今まで贈り物らしいものをしてこなかったから張り切ってたんだ。皆に「ディアナに何を贈ったら喜んでくれるだろう?」って訊きまくってた。それで――そうだよ……俺が……俺が……」
「でも……ランスのいない生活なんて、私には生きていけない。ランスと一緒じゃないなんて……」
「死ぬっていうのか……?そんなのランスが喜ぶと思ってるのか!!
そんなことしたら悲しむだけなのわかってるだろ?ランスはディアナの為に死をも覚悟して出かけたんだ。そして手に入れた。――男の意地、ってやつなのかもしれないけどな」
ルィーダは遠くを見ながら言った。
そして私がまた口を開こうとした瞬間……
『もし、ご主人に会いたいんだったら、二週間後に来る女の子に頼んでみな』
「えっ?」
声が聞こえた。その声は小さくて、人ごみの中に消え入るように――
――ランスはずっと私の中にいる。
――それだけは、わかっていたから。
――でも……それから一週間。
――私は家の中で、ただ、ぼーっとしていることしか出来なかった。
事故から一週間ほど経ったある日の事だった。
また、あの声が聞こえたのだ。
『あの子がもうすぐ来るよ。それまでにご主人の気持ち、知っておいた方がいいんじゃないか?』
何処からともなく聞こえる声。けれど、私はその居所を突き止めた。
それは……信じられないけれど……ランスの取ってきたアメシストの原石から聞こえていた。
「あ……アメシストがしゃべった……? ねぇ!貴方誰?」
返って来るのは沈黙ばかり。結局それ以上その声を聞くことは出来なかった。
「ランスの気持ち……? 何の事……っ!!」
アメシストの言っている意味がよくわからなかったのだけど……ふいに思いついて私は今まで踏み出せずにいたランスの部屋へ向かった。あの時、ルィーダが言っていた事が確かなら……あの人なら、何か書いているはず。そう思って私はランスの日記を探した。
「あった……」
ランスの日記は探すまでもなく机の上に無造作に置かれたままになっていた。一週間という短い間でも、埃が少し積もり綺麗に整頓された部屋が煤けて見えた。
「ランス、勝手に日記見るけど……ごめんね?」
もういないランスに謝り、日記を開けた。
――ランスがどれだけ私の事を考えてくれていたか
――どれだけ愛してくれていたか
――それがよく……わかった……。
頬を伝って涙が落ちる。
その涙はアメシストの原石に吸い込まれていった。
アメシストは光り輝き結晶になる。
その色は高貴な紫、透き通るような――ムラサキノカケラ。
ムラサキノカケラ
魔性の色でも、魔女の色でも、私には関係ない。
これは、ランスの私への愛の結晶。
そして、私のランスへの愛の結晶。
今までありがとう。
そしてこれからも――
一週間後、私の前に女の子が現れたら、私はこう言おう。
「あの人にもう一度だけ……会わせてくれる?」
会って言いたいことが、たくさんあるの。