翌日。
朝起きて、服を着替えて洗面所へ向かい顔を洗う。
冷たい水を顔にかけて眠気を飛ばし食堂へ。
テレビを見ると丁度天気予報が流れていた。
お天気お姉さんによると、今日の天気は快晴。 雲一つ無いどっピッカーンの真っ青な空が窓越しにも見える。
「秋君、おかわりはいるかしら?」
「あ、いえ。大丈夫です。ありがとうございます」
我が家のダイニングには秋が居て、一緒に食事をしている。
お互いに嫌いあってたし、両親の間の交流も無くなっていたので知らなかったのだが、秋のご両親は地方に赴任しているらしく彼は実質一人暮らしをしていたらしい。
毎朝一緒に行く事になったんだったら、朝ご飯も一緒にどうかしら?
と母さんが言ってくれたのでそれに甘える事にしたのだ。
ちなみに今日――というか昨日の晩――はお泊りもしていってたりする。
本当はゆーちゃんも泊まる予定だったんだけど、結衣が何故か撃退したらしい。……それで退くゆーちゃんもゆーちゃんだけどね。
「祐美ちゃんはご飯にする?パンにする?」
「パン、かな。結衣は?」
丁度起きてきた結衣にも尋ねる。
「あたしもパン!マーマレードと練乳とバターたっぷりべったり塗って……」
「……そんなに塗ったら太るわよ」
寝ぼけているのか地なのか……流石に全部塗るのは糖分とカロリー的に不安なのでマーマレードだけにしておこう。
「忘れ物は無い?秋君お弁当は?」
「持ちました。朝ご飯だけでなく、お弁当までありがとうございます」
「いいのよ~。未来のお婿さんの為だもの!」
「……母さん、気が早すぎるわ……」
げんなり、というリアクションでそう返すと、
「そうだよお母さん!!」
と、何故か結衣が賛同してくれるらしい。
「ウチの姉妹より、ゆーくんが先だよ!アレどっかにやらないとお姉ちゃんの周りが不安だもん!」
「……本当に結衣ちゃんの言う通りです。牧原先生に結婚の予定とか無いんですかね」
「――秋君よくわかってるね!!」
「――結衣ちゃんこそ、目の付け所が実に良いですね」
なるほど、賛同というのとは少し違う意見だったか……。しかも秋と結託しちゃって、まぁ。
「本当に結衣はゆーちゃんが嫌いね。……何でなの?」
うっ、とつまる。
でも3人の視線に耐えかねたのか、結衣は観念した。
「わ、笑わない……?」
「答えによるわ」
「――小さい時、ね。イチゴのショートケーキ食べてた時に……あのバカにおっきいイチゴとチョコプレート取られたの!!!」
……。
…………。
…………ハァ。
思わず絶句してしまった。
「……お子様」
「当時はお子様だったんだもん、仕方ないもん!」
「まぁ、食べ物の恨みは怖いというし、そもそも牧原先生が悪い」
でも、だからと言ってそんなしょーもない話が発端だったとは……。
「それだけじゃないもん!大切にしてた人形のスカート全部ミニスカにされたし、教科書の肖像画とかにヒゲ描かれたし、お箸3点セットの中身を全部スプーンにされたりしたもん!!」
……しょ、しょーもなさすぎる……。
それをまだネに持ってる結衣もちょっとアレだけど……ゆーちゃん、どんだけガキなのよ……。
「流石は牧原先生。僕の中で更に評価が落ちました」
秋も秋で楽しそうにしてるし。
「ほらほら、皆。ここで立ち話してたら時間はあっという間よ。 いってらっしゃいな」
「はーい、お母さん行ってきまーす!」
「はい、じゃあ、母さん行ってくるわ」
「それでは小母さん、行ってきます」
3人で通学路を行くのなんていつ以来だか。小学校の低学年くらいかな。
「結衣も毎朝起こしてあげるから、これからは一緒に行こうね?」
「うん!地味に階段駆け上がりキツかったもんねー。あ!でも秋君が嫌だったらあたしは遠慮するよ?」
「……まぁ、そう思う時が来たら言うよ」
「結衣ったら……」
無駄に気遣い溢れる妹の配慮に私も、秋も少し赤くなりながらそう返していた。
学校に着くとまだそれなりに早い時間で、教室にはあまり人が居なかった。
でもいつも早い蒼依はもう来ていて、
「……お? おぉっ!? とうとう開通した!?」
「開通?何の話よ」
「何って、二人のラブラブトンネルに決まってるじゃないのさー!良かったねぇ、祐美。……まぁ、良かったんじゃないの、渡辺」
・ ・ ・ 。
……って、え?!
「も、も、もしかして、蒼依っ、気づいて!?」
「え、勿論だよ?でも必死に嫌ってるフリしてるし、そこを指摘するのはヤボってモノでしょ?伊達に色んな人観察してないよ!」
グッと親指を立てて言われても……怒りしか沸いてこないワケで。
「あーおーいーいいいい!!何よそれ何よソレ!私、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないの、ヤボでも言ってよ!!」
顔が熱くなってくる。もう、本当に恥ずかしい!
「ごめんねー。あたし、こーいう事は邪魔しないけど、協力もしない主義なんだぁ。まぁまぁ、もう良い具合になったんだからいーじゃないの。おめでと、お二人さん」
「う、うん……ありがと」
「一応礼は言っておくよ。……ありがとう」
でもそんな風に気づいたのは蒼依だけで、後の皆はやっぱり藤乃さん説が有力なようだった。
そして藤乃さん本人も昨日私が見た時と変わらず嬉しそうな雰囲気のまま、クラスにやってきた。
「……ちょっと、渡辺。まさか二股してんじゃないでしょうね?!」
蒼依が小声で、でも怒った声で秋に言った。
「まさか。ただ……昨日は祐美を追いかけるのに必死で、ちゃんとした断りは入れてなかったかもしれないな」
「しれないな、じゃないでしょっ。アレ、明らかに勘違いしてるじゃん!!」
確かに振られた人間には到底思えない。
その証拠に手にはお弁当らしきモノを持って、一直線に秋の所へやってくる。
「渡辺君!」
周りにハートマークが散ってる錯角が見えてきそうなくらいだった。
「これ、今日のお弁当なの。今日は特に頑張っちゃった!だって……付き合い始めて、初めてのお弁当、だものね!だから早く見せたくって!」
その言葉に周りがざわめいた。
やっぱり、とかうわあああ、とか信じたくない、とかすげー、とか……まぁ、色々。
しかし、差し出された秋はそのお弁当を受け取らずに首を横に振る。
「……どういう、意味?」
「今日からはもう弁当があるんで、それは受け取れないんです」
そう言って我が家のお弁当を取り出した。
瞬間、藤乃さんの頬に朱が走る。
「なっ、何よそれ、わたし達付き合い始めたんでしょう!?なのになんで、その初日からそういう事するの!?」
「あぁ、すみません……昨日話が途中で終わってしまいましたからね」
「……何が言いたいの?」
藤乃さんがそう言って、その整った眉が顰められた。
秋はと言うと、私の方へ来て――そしてその後ろに行ってしまった。 ? 何して、
「お気持ちは嬉しいです、“ありがとう”。でも、僕には『好きな人が」
っ!?!?
「――いるもので』」
もっと後ろに行ったのかと思っていれば、本当は私の真後ろだったようで、し、しかも……これって――抱きしめられて、る?!
「ちょっ、しゅ……」
「「「ええええええええええ!!!!!」」」
私の声は周囲の叫びによってかき消される。
「う、嘘だろ!アレ、お前等って仲悪かったんじゃ?!」
「そーだよな。オレ中学校から一緒だけど、仲良さそうトコなんて一回も見た事ないぞ?!」
「……こ、これは……嫌よ嫌よも好きの内っていうアレだったの?」
皆好き勝手な事言っちゃってもう……あぁ、でもやっぱり世間からの認識では“仲悪い”なんだね……。
そりゃそうか。実際にそうだったんだし。
こんな皆の反応の中、藤乃さんは目を見開いて驚愕の表情だった。
「――まさか、冗談よね?」
「何でこんな時に冗談を言わなければいけないんですか」
「だって!! みっ、皆も言ってるけど、渡辺君と新城さんは仲が悪いって、そういう噂じゃない!」
こちらを指差し、叫ぶ藤乃さん。
「……へぇ」
クスッと背後で笑う気配がして、
「こういう――事、するのが、“仲悪い”、なんですか?」
ぐいっと肩を引かれて後ろに仰け反る。
強制的に向かされた上に、秋の顔が近づいて、きて――っ!?
「っは、ぁ」
やっと解放されて、通常の状態に戻る。つまり、視線は前に、なるワケで。
「なっ、なっ、なっ……な、何してんのよ?!」
「何、ってキス――ですが」
さっきよりも更に驚愕の顔で、そしてそれプラス顔をほんのり赤くして、藤乃さんは言い、それにしれっと秋が返す。
「好きな人に対する愛情表現です。何か問題でも?」
「そ、れは……」
ふいっと視線を逸らしてしまう。
「そんなワケで、すみませんがそのお弁当は受け取ることが出来ませんので」
手元のお弁当を見て、こちらを見て、周りを見て――
「っ、」
耐え切れなくなったように藤乃さんは教室から駆け出していった。
ガギャンッ、とすごい音を立ててドアが閉められる。
「うおっ、こえっ」
近くに居た男子がそんな事をぼやいて……それ以外は、実に静かな空間になっていた。
無言の視線が突き刺さるようだった。
その沈黙を破ったのは、
「はいはーい!イチャイチャはそこまでー!」
蒼依だった。
「ほらほら、思春期真っ只中の高校生に刺激的なモノ見せてるんじゃないよー。もう、このエロ魔人が!」
「った、松崎、やめろって」
バシバシと秋の背中を叩いているらしい。
しばらくして、背後に感じていた熱が消える。
場所を移動して私の前に来た秋の腕を叩いてやった。――何するのよ!というのを言外に籠めて。
周りの人間はまだ沈黙していて、でも、その中の一人が手を叩いた。
「いやー、とうとう仲直りしたんだな、お前ら!」
そんな言葉と一緒に。
「……え?」
「だって小学校の時はすげー仲良かったもんな。アレ知ってると中学・高校は何事かと思ってたくらいなんだぜ」
見ると声の主は小学校から一緒の男子生徒で、その隣も同じく。ウンウンと頷いている。
「だよね!喧嘩しちゃったのかな?でも仲直りまで長いな~とか思ってたらまだ高校まで続いてるんだもん。ちょっと驚いたよ」
「ホントに。でも仲直り――ていうか、カップル誕生だね。おめでと、祐美ちゃん!」
これは小学校が一緒で、中学は別、高校でまた一緒になった女の子達。
そんな風に、小学校の私達を知っている人達が次々に祝福してくれる。
「あ、ありがとう……」
まさかこんな事を言って貰えるとは思ってなかったので驚く反面、ものすごく嬉しかった。
すると蒼依が不思議そうな顔をしていた。
「……あれ?小学校は仲良かったの?マジで?」
蒼依は高校からの友達だから昔の事は知らないのだ。
「うん……まぁ、その、一応幼馴染だしね」
「じゃあ、何であんなに仲悪くなってたの?!」
うっ……そこに来るか……。
「ええと、あんまり――覚えてないんだけど、……誰かに秋が私の事を嫌いって、周りに居ると迷惑って言ってる、みたいな事言われて」
「僕も似たような事を言われて、ちょっと勘違いしてしまったんだよな、祐美」
ぽりぽりと頬を掻いて、苦笑しながら秋も言う。
「へぇ、デレたらお互い下の名前で呼ぶようになるんだ」
「は?」
「あ、いや何でもない。――でも、そんな事があったんだねー。なるほどなるほど……でもその話って結局嘘なんでしょ?」
……それは、きっとそうだと思う。
少なくとも私は秋が嫌いでは無かったし、一緒に居るのが嫌だと思った事も無かったハズだ。
そうやって考え込んでいると、ふいに声が上がる。
「あの、さ」
「……佐音(さね)君?」
さっき祝福してくれた人達同様、小学校から一緒の男の子だ。
「――悪い、それ、オレのせいだ」
「は、い?」
「だから……その、お互いに嫌いっつー噂……言ったの、オレなんだ」
バツが悪そうに言う彼に思考が停止しそうになる。え、ちょっと待って、今、何言ったのよ?!
「どういう事か説明して貰おうか、佐音」
ワントーン下がった声で秋が言った。
「……いや、なんつーか……お前等、すっげー仲良かったから、ちょっとムカついて」
「僕達が仲良くしてて、それで何でお前がムカつくんだ」
「それは、その、わかるだろ?」
「……」
わざとなのか、秋はそれに返さない。
「~~~っ、あの、時、オレ――新城の事、好きだったんだよ!だから仲の良い渡辺が嫌だったんだ。それで、あんな噂を……悪い!今更言っても仕方無い事だってわかってるけど……ごめん、すまんかった、申し訳ない、すみません!!!」
ガバッと腰を折って佐音君が謝ってくる。まるで謝り倒す、って感じだ。
……ていうか……でも、好かれてたのは嬉しいけど、私佐音君に別に好きとか言われた覚え全く無いんだけど。
「ちょっとした冗談ってつもりだったのに、あの後ホントにお前等が険悪な状態になっていって――すっげー、罪悪感でさ……でもまた仲良くなってくれて良かったよ」
たはは、と笑う佐音君。
まぁ、ちょっと、いやかなり……ムカつく所ではあるけれど、素直に謝ったならいいか。今はもう解決したんだし。
と私は思ったんだけど――隣から流れてくる(気がする)冷たい空気は、絶対にそんな事は思ってなさそうで。
「……で? まさか、お前――、まだ好き、とか言うんじゃないだろうな? 祐美は誰にも渡さないぞ」
?!?!?!?
「ちょっ、と、秋!!!」
な、な、な、何恥ずかしい事言ってるのよ?!?!
ギッ、と横を見ると……あ、……え…………。
なんだかすごく見覚えのある表情だった。
眉を顰めて、歯を噛み締めて口角を下げてる……前まではものすごく睨まれてるとしか認識してなかったけど――今なら分かる気がする。
これって、“苦しい”顔だ。
……見てたら、こっちまで苦しくなってきそうで思わず手が伸びる。服の裾をぎゅっと掴んだ。
しかし、
「あ、いや、ち、違うからな!オレは今別の人が好きだし!ていうか付き合ってるし!だ、だから安心しろって、誰も取らねーよ!」
佐音君がそう言って、ふっと表情が緩められた。……それを見て、ホッとする。
「あー、それ知ってるよ!銀女子の子でしょ?中学一緒だったもん、ゆりかちゃん」
蒼依がそう言って、佐音君と話しだした。
それをきっかけに私達の会話に注目していた周りの人達も普段の自分達の行動に戻っていったのだった。
* * *
その後の授業や休み時間はなかなかに悲惨なものが多かった。
本当に何をしてるんだ、と思うくらいに噂が回るのが速い先生陣にからかわれ、他のクラスからも人が来るし、で。
……中には藤乃さんの友達も居て、ちょっと嫌な感じの視線を送られたりもしたけど。
正直悪い事をしたかな、とは思う。
彼女が秋の事を好きだっていうのはわかってた事だし、向こうから見たら横取りしたようなものなんだもの。
「……ねぇ、秋」
「ん?」
帰り道、一緒に並んで帰った。
「……ホントに、私で……その、藤乃さんじゃなくて、良かったの?」
つい、そんな事を訊いてしまう。
だって誰が見たって向こうの方が可愛い。
「バカだな、祐美は。 僕の言った事覚えてないのか?僕には――君だけ、なんだよ。昔からね。……祐美こそ、僕で良かったの?」
「あ、当たり前じゃない!秋だから、……秋が、いい、の」
うわ……自分で言っといてなんだけど、恥ずかしい……!
私の言葉を聞いて秋は優しく笑った。
「そう」
サッと手を取られ、握られる。
「嬉しいな」
――ホント、もう、顔から火が出そうだ!
握られてないもう片方の手で顔を覆った。
「……まぁ、嫌って言われても、もう離してあげないけどね」
「え?」
何か呟いていたけれどよく聞こえなくて聞き返す。でも、笑顔を返されただけだった。
夕方の空、太陽が作り出す影が手を繋いだ所で一緒になってる。
それを見て、心臓がぎゅっと握られたみたいに痛くなった。
――嫌われてると思ってて、私もそういう態度を取って。
その結果、それが悲しくて、辛くて――それで胸が苦しかった。
でも、嬉しくても、胸って苦しくなるモノなんだ……。
握られた手をこっちからもぎゅっと握り返して、向けられた視線に笑い返す。
胸の痛みはまだ引かないけど、引かなくていいと思う。
だってこれってきっと幸せ過ぎるから。
横に並ぶ秋を見て、一緒になった影を見て、幸せを噛み締めて。
私を嫌いだった、大好きな貴方と歩いていく。
終