何が始まりだったかなんて、誰も知らない。
 ――ただ、在った。 在るべき存在だから、其処に、在った。 それだけだった。
 だから、それでもって誰かを助けようなんて思ったことはなかった。
 その力を使って『助けて欲しい』だなんて言う人達が現れるなんて、思ってもみなかった。
 そして、それを断った時に酷いこと――悪魔だなんて――を言われるなんて……、私には、知る由もなかったんだ。

プロローグ “ 吟遊詩人 ”

「あのぉ……」
 遠慮がちに呟いた言葉。それはとても小さく、すごく儚いものだったけれど、少女が歩みを止めて欲しかった人物にはしっかりと届いた。
 人ごみに紛れて聞き流しそうになったけれど――いや、だからこそ聞こえたのだった。

「――俺?」
「はいっ、貴方ですっ!!」

 たったったっ、と小走りに近づいてきたのはまだ幼い少女。
 可愛らしい声によく合う風貌で、長めの金髪を二つにくくり、紅いリボンで留めていた。少女はその髪を揺らしながら道を駆けてきた。
「何か……用かな?」
 肩にかけて持っていた少量の荷物を一旦降ろすと、手近にあった箱に座り、少女と向かい合った。
 漆黒の髪を無造作にかきあげると、青色の綺麗な瞳と――そして、赤色の瞳が現れた。
「あ、あのっ、お願いがあるんですっ!!」
 頬を紅潮させながら話す少女に少し落ち着いて、と言って自分の隣に座らせる。
「お願いって?」
「お母さんから聞いたんです! 貴方は吟遊詩人さんですよねっ?」
 可愛い口から出た言葉に少年は思わず呻いた。
 ――一体、何処から漏れたんだ――と。
「お、お嬢さん、ソレ、何処から聞いたの?」
 極力平静を装って尋ねる。……口元が異様に曲がっているのは……まぁ、この際見過ごすことにしよう。
「町長さんがね、皆に話してたって。『私の家に泊めた若者は、とても話が上手かった』って言ってたって」
「町長……?」
「知らないですか? 宿屋のおじいさんですっ」
 言われた瞬間、少年の顔に“ヤバイ”といった様な表情が浮かんだ。

 少年は昨日、宿に泊まろうと思ったのだが十分なお金を持っていなかったため、普通なら金を取って聞かせる「話」を金の代わりに聞かせたのだった。
 ――そして、その宿の主人が町長。

「あ、ああぁっ、あの死にそうな爺さん!」
 ぽんっ、と手を打つと、その手をそのまま頭にやり「やっちまった……」と呟いた。
 その様子には微塵も気づかぬ少女は相変わらずの可愛らしい声でこう言った。

「それで!あたしにも聞かせて欲しいですっ。昔のお話や物語が好きなんですっ。
 あ、お金なら持ってきました。えっと――はいっ!!」

 そう言って差し出された手の上には僅かな銅貨と1枚の銀貨。ざっと200Gといったところだろうか。
 その硬貨を見ながら少年はまた呻いた。
 ――足りないのだ。標準の価格には到底足りない金額だったのだ。
 しかし、一生懸命かき集めて来たのだろう少女を見ていると心を動かされたらしく、

「金はいいよ」

 と、小さく言った。
「えぇっ、でっでも。 お母さんがお金が要るって言ってました!」
 思いもかけない言葉が返ってきたことにより少女は慌てた。
 無理にでも受け取ってもらおうと少年の手を取ってお金を押し込む。
 しかし、少年は少女の頭を撫でると優しく、とても、優しく言った。
「その代わりと言っちゃなんだけど――」
 不適に笑う少年の心の中の表情を気づきもせず、少女は少年の顔を見上げた。





「ご馳走様でしたっ♪」
 パチンッ、とにこやかに手を合わせた後、それを作ってくれた人の方を向いた。
「すみませんでした、最近どうもお腹の減りが早くって……」
「いえいえ、いいのよ」
 これまたにこやかに答えたのは、綺麗なブロンドの髪が映える青色の瞳の女性。
 ――先ほど少年を引き止めた少女の母親だった。
 少年の食べっぷりに驚きながらも、自分の料理を美味しそうに食べてくれた少年に好感を覚えたようだ。
 食事が終わった後も「コーヒーはどうかしら?」と訊いて、「いえ、ココアの方が」と厚かましく答えた少年に熱々のココアを持ってきてくれたほどだから。
「それじゃお兄ちゃん、「話」、聞かせてくれるよねっ?」
 少年が食事を終えるのを今か今かと待ち構えていた少女はもう耐え切れなかったようで、少年の真正面の席によじ登ると顔を輝かせて訊いた。
「あぁ、わかってるよ」
 急かされながらも楽しそうに答える少年。
 母親が台所から人数分のココアを持ってきて、自らも席に着いた時、「話」は幕を開けることになった。


 少年は鞄の中から分厚い本を取り出すと少女と母親を見た。
 そして、その本の1ページ目を開くと二人に目次を見せた。
 そこには、何百ものお話の題名が書かれていた。

 ――王女様が魔物に捕まる話、呑気な村人の話、当の昔に滅びたとされる古代人の話、海底の奥深くに眠る大海賊の財宝の話――在りとあらゆる時代、世界のお話が其処には連ねられていた。

「この中から聞きたい「話」を選んでください」
 職業柄なのか、本を取り出した時から少年は敬語を使っていた。
 少女は目次を見て、お目当ての「話」があるかどうか、眼で隈なく探した。母親は元より、娘の為に「話」をして貰うつもりだったので、そんな娘の様子を見て優しく微笑んだ。
「――この中から選ばなきゃダメ?」
 目次の中に必死にお目当ての「話」を見つけ出そうとしていた少女は、少しガッカリしたような、それでいてねだる様な表情で少年を見上げた。
 少年はまさかそう言われるとは思っていなかったらしく、少々、面食らったようだった。
「この中に無いんですか……? ほとんど在るはずなんですが……」
 自分でも目次のページを見ながら答える。しかし、少女は首を横に振った。
「ううん、無いの。 あたしの聞きたい「話」、ここには無いのっ」
 少年はウーン、と唸ると、少女の方を向いた。
「――それじゃ、君が聞きたい「話」……ってのはどんな題名かわかる?」
 自分の本の中には全ての「話」が入っているはずなんだけど、と内心思いながらも、この少女の為にも話をしてやりたい、と思い、少年は少女に訊いた。思いもよらない出来事のせいか、口調が砕けている。

「わかる。 あのね、「ニジノカケラ」っていうの」
「ニジノ……カケラ?」

 少女の口から出てきた言葉に少年は一瞬考え込んだ。
 その事を知ってか、知らずか、少女が付け加える。
「世界の色んなところに散らばった「ニジノカケラ」を集めるお話ですっ」
「あ……、あぁ……「ニジノカケラ」ね。 っと……そりゃこっちだな」
 少年は思い出したように鞄の中から1冊の本を取り出した。
 本の表紙には、七つの宝石と魔方陣が書かれている。そして、真ん中には「ニジノカケラ」と少し古風な書体で書かれていた。
「これだ……、っと。 コホン、……これですか?」
 少し素に戻りかけていた口調をさり気なく――“さり気なく”には程遠いが――直しながら、少年は少女にその本を見せた。
「うんっ、それっ!!」
「しかし……「ニジノカケラ」だなんて、よく知ってましたね……。 滅茶マイナーな「話」なのに」
 敬語なのか、そうでないのかハッキリせんかい、と言いたくなるような謎の言葉を放ちながら少年は本を開いた。
 少女は「うん、すごいでしょ~」と満面の笑みで微笑んだ。


「では、創(はじ)めますね。……と、その前にお名前をお聞かせ願いますでしょうか?」
 本を開いて、準備を整えた少年は、思い出したように二人に名前を訊いた。
「名前?……えっと、あたしはラミィ=ルーチェ=ザクス、っていうの」
「私はルミエラ=ルーチェ=M=ザクス、といいます」
 二人の名前を聞いて、少年は自分にしかわからないような笑みを浮かべた。
 そして、「俺はジャック、っていいます」と言った。――フルネームを教えた二人に対し、ジャックはファーストネームしか、言わなかった。





「七色の石が織り成す物語。
 いつの日も、どこの世界でも、“ニジ”は生きている。この世界も例外ではなく。
 伝説はこうあった。
 ――古来より伝わりしニジノカケラ  全てを集めよ  汝の扉いざ開かれん――
 いつの日もどこの世界でも“ニジ”は生きている。この世界も、例外ではない。

 伝説、そして現代に渡る「話」をお聞かせ致しましょう」





 こうして、物語は幕を開けることになった。